烏が鳴くから
帰りましょ

即興習作

『丙』

 過剰な装飾の、ともすれば珍妙にさえ思える少女――それが、第一の印象だった。背もさして高くは無く、体つきも逞しいとは言えず。実年齢を知った時には、己より五つも年上だと、とても信じられずに居た。
 大口を開いた化け物が、私の首を食いちぎろうとした瞬間、視界を染めた赤い髪と、それより赤黒い液体の雨。瞼を濡らして頬に粘り付いた、血の鉄臭さが神経を鈍麻させる。
 彼女は、赤い羅刹だった。たった一降りの刀で、化け物の背骨までを叩き割り、崩れ落ちる肉を蹴り飛ばしては道を開く。数匹のオスの群を潰すまで、数分と時間は掛からなかった。

「あ、ありがとう……」

「………………」

 礼を述べても彼女は受け取らず、鼻をひくつかせて――

「……えっ、ちょ、ちょ……貴女……!?」

 肉片の一つを摘み上げると、鼻にぐうと近づけた。
 鼻の頭が血で赤く染めるのも意に介さず、彼女は存分に呼吸を楽しみ――それから、私に近づいてくる。
 血濡れの修羅は、愉しみも悲しみもしていなかった。幼げな顔をぽうと呆けさせたまま、衣服の裾で血濡れた手を拭いながら、私の首筋に鼻を埋める。
 すん、すん、と小さな呼吸が肌を擽る――私は、オスの群に囲まれた時と同じ恐怖を感じた。自分より強い生き物に、急所を曝け出している感覚――喰われるかも知れないとさえ、思った。
 だが、彼女は理知有る獣だ。ついぞ牙が突き立つ事は無く、彼女は私を解放する。

「ごめんね、取っちゃいました」

「え……?」

 彼女は礼儀正しく、そして申し訳なさそうに頭を下げる。

「貴女のお父さんです。ごめんなさい、私が殺しちゃいました……そっちの、二つに斬れてるオスです」

 きぃん、と高らかに鋼を響かせて、彼女は鞘に刀を修めた。肌を濡らす返り血を、拭う布も無いのだろう、立ち去る彼女の目に、既に私は無く――

「……ああ、また父さんじゃない」

 ――私の父を、斬って、顧みもせず。赤の女は何処かへと消えた。
 慟哭が私を突き動かしたが、躯を抱きしめても暖かさは既に無くて、流れ落ちる血が肌を冷たく濡らす。それでも私は臆病で、彼女を追う事も憎む事も出来ない。

 ただ――ただ、一つだけ、恨んだ。教えぬままに、何故立ち去らなかったのかと。
 答えは知っている、彼女が最後に、呟くように教えてくれた。
 父を殺すのはきっと、彼女には至上の幸福で――それを味わえぬ私を、憐れんだのだ。
 腐臭に烏が集まり、父の屍も私の眼球も平等に啄む。空の眼窩の裏側に私は彼女の――丙の女の、赤い髪を見た。





『荒城 春』

 なんとも、異装の少女であった。
 いや、少女と呼んで良い年齢かも、分かり難いところであった。肌や髪が持つ空気は、十台の少女のように見える。だが、目に浮かぶ暗い影の色合いは、20代の女が持つような憂いを孕んでいた。
 背が高い。手足は長く、硬そうだ。太い訳ではないが、鍛えた肉が付いて居る。すらりと、170cmくらいのものだろうか、踵の低い靴を履いているのに、寧ろ背が高く見えた。
 狂暴な面構えをしている。だのに、顔立ちは整っていた。横顔など、攻撃的な表情も合わさって、獣のような美しさがある。肉食獣の、爪や牙や鬣が持つ、それである。そしてまなざしは、成人した女のような憂いの目。狂気に口元を歪ませ、返り血で頬を染めているのに、少女には憂いがあった。満ち足りていないようであった。
 不足を埋めようと、少女は脚を一度振るう。目の前の女の顔が、また少し歪になった。避けた唇の間から、前歯が折れて生まれた空洞が見えている。血が流れて来て、哀れな女の顎を濡らした。

「あらあら、まあまあ、とんだ間抜け面をした方じゃありませんこと。貧しい私に施しを下さったのなら、入れ歯は不要で生きられたものを」

 女の襟首を掴んで、少女はにたあと笑った。品の良い顔立ちに似合わぬ、けだものの顔であった。女が呻いて、手から逃れようとする。その鳩尾に爪先を沈み込ませ、少女はノイズを思わせる、ざらざらとした笑い声を上げた。
 荒城 春。それが、この少女の名である。名前の風雅に似合わぬ、気性の激しい少女であった。追い剥ぎのような事をして、子分を引き連れて、暮らしていた。
 春は、この女に対して、一切の怨恨を持っていない。個人的な好悪の感情も無いだろう。だが、春は女の顔を酷く蹴り付けて、昔は少女程でないにせよ、整っていただろう顔を、見るも無残に潰していた。

「脱げよ、こら」

 女の背に震えが走る。此処は居住区から1km程に離れた、廃棄された旧都市群だ。オスが居る、武器が要る、裸では歩けない――そんな事より寧ろ女は、目の前の少女が獣欲に任せ、我が身を蹂躙する事を恐れた。

「……お前、つまんねぇ事を考えたろ?」

 春は、聡い少女であった。獲物の心の動きに先回りし、追い詰める事に長けていた。天性の狩人であった。
 少女は女に、想像が出来る程度の不幸を与えるつもりはなかった。代わりに、びくとも動かぬ女の腕をひねり上げ、両手首を縄で括った。結びつけた後、余った縄の長さは1mも無い。春はそれを引っ張って歩いた。女が転倒し、痛みに呻き声を上げる。それを気にも止めず歩いた先には、春の愛車が有った。良くも残っていたと感嘆するような、大型の自動二輪である。その後部、キャリア部分に、春は縄を括り付けた。
 女は、己の境遇を理解した。始めは止めろと叫び、次には春を罵った。何れも無意味だと知ると、ぎゃあぎゃあと泣き喚いた。ごうと轟くエンジン音が、全てを掻き消した。断末魔さえも掻き消した。
 幾多の戦闘で荒れ果て、石が露出した大地――赤い肉階を引き摺って、荒城 春の笑い声が、いやに楽しげに響いていた。





『こいのぼり』

 晴天の朝であった。
 暑くは無い。風が吹いているからだ。
 柔らかな風に袖がそよぐ、心地良い朝であった。

「やねよーりーたーかーいーー」

「そりゃ高いでしょうよ、屋上でやってんですもん」

「操、風情が無ーい。歌詞にとやかくいうもんじゃ無いんですよ、ほら引っ張って引っ張って」

「えーりゃさーのさっこーらさー」

 直径が5cmも有りそうなロープを、緋扇操が引いている。
 ロープは、金属の柱の先端、滑車から吊り下がって居た。一端を引くと、もう一端が上がる。ずるずるとコンクリートに体を這わせて、大蛇のような縄が持ち上がっていく。

「……雛人形が良かった」

「あんな高級品、駄目です! 我慢なさい!」

「うちの母さんかあんたは!」

 騒々しいのは常の事。どこか拗ねたような顔の操の横には、背丈もさして変わらぬカムイ・紅雪が立っている。

「まあまあ、いいじゃないですか。ほーら、あっちの青いのが私でー、貴女は緑のあっちのでー」

「……どれですか」

 一通りの仕事を終えた操が、双眼鏡を覗いた。
 二つのレンズの向こうに、川が広がっていた。
 赤い、青い、黄色の、緑の、黒の、鯉が泳いで居た。

「集めも集めたり、流石だね。あ、500までは数えたよ」

「うっわ……あんた、その労力は別な事に使った方が言いと思うわ……」

「辛辣だね。……僕のはそこの、黒の真鯉を貰おう。横のが君の」

「右の緑の?」

「いや、左のちっちゃなの」

 ずばん、と痛烈な炸裂音。操の下段蹴りを、コネリー・ヘイワードはしっかりと脛を持ち上げ受け止めて居た。

「これだけの数、どこから集めたんだい?」

「まあ、ちょっと、ちょろまかした予算で買い占めた配給券と交換して回りまして」

 風に泳ぐ500の鯉のぼりを、カムイが見上げて、そう言う。

「カムイ。鯉のぼり、食べれる、ない。本物の鯉違う」

「鯉は食べちゃ駄目ですよー、後で柏餅食べさせてあげますから。ほら、あっちの綺麗な赤が紅花ちゃん。アッシュちゃんに似合うような、灰色の染め直しも有るんですよ」

 昼食の時間が引き伸ばされている不満を、李紅花が訴える。然しカムイは、微笑を崩さぬのである。

「……綺麗ですねぇ」

 しみじみと、呟いた。
 空に、留めるものも無い空に、鯉のぼりは悠々と泳いでいる。
 何処へも行けぬ身の上を嘆くことも無く、風を受けて、尾をくねらせているのだ。
 これは、人の、思い出である。
 息子を、男孫を失った沢山の親達が、市街地から鯉の群れを見上げて――

 笑っていた。

 泣いていた。

 泣きながら、笑っていた。

 あれはうちの鯉だ、あれは隣の家のだと、指差して、泣いて、笑っていた。

 いつか泳いで居た鯉が、もう一度空ではためくのを、泣き笑いして見ているのであった。

「……私は」

「ん?」

 一人、先に餅を食らっている者がいた。一番小柄な、アッシュだった。

「私は、変な事をしてますよね、アッシュちゃん」

 新入りの小兵は、喉に引っかかりそうな弾力を、四苦八苦しながら飲み込み、答える。

「変だけど、綺麗だし、美味いからいいじゃん」

 口の周りを餡子で汚しての、彼女には珍しい、年相応の笑みだった。

「あ! アッシュ、抜け駆け! 功を焦る、です!」

「紅花、なんか違う。なんか違うなーそれ……って何この量、いや、どれだけ作ったのよ」

「一人頭、目算で二十個。ひょっとしてディナーまで、これ?」

「イエース」

「オー、ノー……」

 五月五日は子供の日。終わる世界に子供はいない。

 いらかの波と雲の波、波の重なる関東三区、一号支部のなかぞらに、

「はい、いただきます!」

「いただきます!」

 少女達は、賑やかに声を響かせるのであった。





『裏技』

 事は単純で、端的に言えば、出る杭は打たれるという事だった。
 三人の少女に、緋扇 操は取り囲まれていた。
 一人が正面に立ち、二人がそれぞれ、斜め後方に――正三角形の頂点に、一人ずつ立つような配置である。

「……何? 用事でもあるの?」

 言いながら、操は靴の踵を打ち付け、足元を確かめた。
 普段と何も変わらない。自主鍛錬の為のトレーニングルームであり、床は、数人が飛び跳ねた程度なら揺れもしない程度に硬い。日常履きの鉄靴とは違う、軽い、結ぶ紐も無いシューズには、返る衝撃が強く感じられた。

「用事、って訳でもないけどさ」

 正面に立つ一人が、そう言って、嫌な笑い方をする。
 自分の優位を確信している時、そして、不利に貶めた対象を嫌っている時。この二つの条件が揃うと、人間は酷く嫌な顔をする。口も目も、大きくは開かれないで、ぐにゃりと曲がるばかりの、醜悪な笑みである。

「何も無いなら、行くけど」

 操はそう言って、真っ直ぐ歩こうとした。正面の少女を突き飛ばしても、気にも止めぬという様子だ。
 然し、正面の少女は、操と同じだけの距離を後退し、背後の二人もまた、同じだけの距離を追い掛けてくる。
 ――流石に、兵士は騙せ無い。
 これで近づけたのならば、まず一人の顎を撃ち抜き、振り向いて背後の二人を、正面に捉えてやるつもりで居た。それを、向こうも十分に理解しているらしい。
 対人訓練の多い支部であるが、どうもこいつらはそれだけでなく、喧嘩という行為自体に慣れが有るのだろう。

「はーぁ……めんどくさ」

 溜息。同時に操は、左足で床を押し、真っ直ぐ右手に飛んだ。
 前にも、後ろにも、僅かにも進まないで、ただ横へ。それから、左手を見た。
 そうすれば、相対的な配置が変わる。右手前方に一人、左手前方に二人。
 左手で鳩尾、右手で顎を守り、操は〝開手〟で構えた――拳では無い。
 当然ではあるが、打撃に使う部位は、硬く小さい程、一点に集まる威力は増す。
 平手より拳が強く、鍛えれば拳以上に、指先が貫通力を生む。打で勝つならば、拳を作れば良い。
 然し操は、手を開き、低く腰を落として身構えた。
 過たず、組み技の形である。
 左手側から、まず一人が迫る。突き出された拳を、頭を下げて潜り抜け、戻る前に袖と、腰のベルトを掴む。軽く持ち上げながら、前に出ていた足を払って、仰向けに転倒させる。
 すると、次。倒れた仲間を一跨ぎにして、やはり殴りかかってくる。
 真っ直ぐに飛ぶ右拳を、操は、左手の掌で受けた。そして、掴み、引き寄せる。
 右手で、相手の襟を掴み、やはり、引く。
 進めた右足を軸に、回る。
 腰から、相手の懐へ入る。
 背に担ぐ。
 ――ぐおう。
 操の頭が、膝を過ぎる程に下がったかと思いきや、一回りは大きいだろう少女の身体が、バネで打ち出されたかのように浮かんだ。
 背負い投げ。
 鮮やかな弧を描いて振り回された体は、背中から床に落ちる。
 操はこの時、襟を掴んだまま――相手の頭を、床との激突から守った。床に落とせば、痛いで済まぬのは分かっているからである。
 二人が床に伏して、残り一人――と、向き直った時、

「こっ、んのっ……!」

 足首を掴まれた。最初に転倒させた少女が、操の左脚に纏わりつき、膝裏を肩で押していた。
 右足で、踏み止まる。
 左足を、更に押される。
 まずい、と。脚に絡む敵を振り払おうと、拳を落とすが、然したる威力は出ない――近すぎるのだ。
 それに、数秒ばかり気を取られたのが失策である。
 右手側から、今回の首謀者だろう少女が、あの嫌な笑みを浮かべたまま、頭から吹っ飛んで来たのである。
 脇腹を頭でぶち抜くような、タックルというよりは相撲の立ち合いのような、そういうぶつかり方。こうなると力だけでなく、体格の差が、有利不利を明確に分ける。決して背に恵まれない操では、やはり分が悪いか――体がくの字に曲がり、僅かに足が、床から浮いた。

「やれっ!!」
 二人がかりで床に引き倒された操は、首謀者の少女が、自分の右腕を抑えながら、そういうのを確かに聞いた。左脚ばかりでなく右脚まで、最初に打ちかかって来た少女が、全身を使って抑えている。
 先程背負いで投げられた少女が、仰向けにされた操の腹に、どかりと腰を落として、拳を振り上げた。
 技量は褒められたものでは無いが、マウントポジション。
 上から打つ拳は、殆ど無条件に当たる。
 下から打つ拳は、まず当たらないし、効き目も無い。
 跨った側が。絶対的な優位を得る形――嫌な笑みが、三人全てに伝染した。
 拳が、雨と降る。
 操は左手一つで、その半分は捌き、残る半分の内のまた半分は、首を左右に動かして避けた。
 当たるのは、四つに一つ――それでも、拳は、止まずに続く。
 左右とも十を落とした頃には、五つ、操の顔を打つ。
 左右ともに三十回も振り下ろすと、ざっと十五は、操の顔面に打ち込まれるのである。
 その内に、操はだんだんと、視界が暗くなるように感じ始めた。
 意識が遠のいているのか、瞼が塞がり始めたのか、どちらか――どちらもだろう。
 思考を鈍らせながら、それでも、思う。
 ――こんなにやって、いいのか。
 例えるなら、赤信号を無視する大人を初めて見た時の、子供のような事を、操は思った。
 拳は、止まない。殴りつけてくる少女は、なんとも楽しげな顔。
 ――喧嘩で、ここまでやっても。
 誰も、その声には答えない。
 唇を通して出たものではなく、それは、操の目を通して、自分を襲撃した三人に向けられた、最終確認である。
 三人は、気付かずに居る。
 つまり、蹴ったのだ。
 ――じゃあ、いいか。
 殴られながら、操も笑った。
 唯一自由になる左手を、自分を殴りつける少女の腹に軽く触れさせ――す、と静かに、手を下に滑らせた。
 その動作がもう少し機敏であれば、攻撃された事に、相手も気付いたのだろう。この動作はまるで、手も足も出ぬ負け犬が、遠吠え代わりに掴みかかったように、思えたのかも知れない。
 操の左手が、少女のベルトの隙間から、布の内側へ消えた瞬間、

「が、ぎゃぁっ!?」

 色気の一切無い悲鳴と共に、操を殴りつけていた少女が、マウントポジションを自ら解き、床の上に転がった。
 操はすかさず、自分の右腕を抑える首謀者の少女へ、左手を向けた。
 首謀者の少女は、右耳を掴まれながらも、その直前に、操の左手の指が、赤く濡れているのを見て取った。然し、意味を理解するより先、操が、左手に力を込めた。
 ぴっ、と裂け目が入って、後は一瞬。
 首謀者の少女の右耳が、トレーニングルームの白い床に落ちた。

「ひっ――」

 ひきつり、酸素を欲した肺。息をたんと吸いこんで、

「――ぃいいいいいいいいっ!?」

 吸った息を全部使って、首謀者の少女は悲鳴を上げ、頭を腕の中に隠し、床の上で体を丸めた。

「え、っあ、ぅえ……? や、え、そんな……!?」

 仲間二人が、忽ちに壊れた。操の両脚を抑えていた少女に、明らかな狼狽が浮かぶ。
 あまり体格は良くない。身長は操とさして変わらず、体は細い。一人でなら、決してこういう手段には出ないだろう、卑屈な顔をした少女である。
 助けを求める視線を、受け取る仲間は、誰も居ない。
 首謀者の少女は、落とした耳を拾いもせず、頭を腕の中に隠していて――そしてもう一人。
 その、もう一人が〝何をされたか〟知った時、卑屈な少女は、己を恐怖に食い殺された。
 馬乗りになって操を殴っていた少女は、股を抑えて蹲り――その指の隙間から、血が、ズボンを染める程に流れている。
 操は、どうしても抜けられぬと見てとるや、相手の陰部に指を突き込み、目一杯に爪を立て、粘膜を掻き毟って、その痛みで相手を崩したのである。
 見れば、操の左手、爪には、一ミリ厚の肉片が挟まっていて――

「ごめ、な、さ……」

 歯の根を鳴らしても、涙を流しても、操の表情は、普段と何も変わらない。
 何かに敵意をぶつけているような顔が、僅かにも緩む事は無い。
 両手の十指――十本の凶器が、少女の顔へと近づいていく。
 殺されるとさえ、少女は思った。
 その指を、鉄の脚が遮った。
 ほぼ同時に、操の顔面目掛けて、カムイ・紅雪の爪先が、機械脚の補助を受けて、馬鹿げた速度で振り抜かれていた。
 操はそれを、後方に首を仰け反らせて避け、後転して立ち上がり、初めて、加害者の顔を知る。

「支部長?」

「操、油断しましたね」

 溜息と共に、カムイはそう言う。

「どうして最初から、そういう技を使わないんです。あんな生易しい投げじゃなくて、どうして最初の投げで、頭から落とさないんです。一発も、殴られる必要は無かったでしょう」

「……すいません」

「全く、このおバカさんは」

 床に蹲る二人――それをカムイは、手で無理やり引き起こした。それから、落ちている耳を拾って、持ち主の手に押し付ける。
 見事に、慈悲に満ち溢れた優しげな、母親の如き顔で、カムイはそういう事をやった。

「貴女達三人、三日の独房入り。それと、覚えておきなさい。次があれば操は、貴女達を床の上に、頭から落としてのけるでしょう。運が良ければ生きているかも知れませんが、酷い障害は残ります。オスに食われて野垂れ死にが嫌なら、無能なりに分際を弁えなさい」

 そして、当事者達を置き去りにして、カムイは去る。
 残された四人のうち、一番酷く顔を晴らした操が、三人に一歩だけ近づく。三人は、炎から逃れる獣より臆病に、壁まで後ずさった。

「通るよ」

 妨げる、何者もいない。
 操は医務室へ向かい、腫れの応急手当だけを済ませ――また、トレーニングに戻った。