烏が鳴くから
帰りましょ

三日目

「随分低地に引っ越したもんねぇ。今の人間は山登りを楽しまないのかしら」

 午前5時、日が昇り切らない薄闇の中。
 地上1000m、低地に出現した雲の海に隠れて、黒衣のサーヴァントは地上を窺っていた。
 彼女の生前には、『山』といえば『妖怪の山』の事で、山の神社はやたら高所に有った。幾ら不便な場所に有ろうが、通う者は通う。飛べるなら飛び、歩くなら日が暮れる事も厭わず、だ。
 それが今では、平地から歩いて10分で辿りつける様な低地に越して来ている。人に近くなれば、それだけ信仰は得やすくなるのかも知れないが、

「所詮は外の世界の神社、土地への愛着は薄かった……と、お?」

 神社が土地を軽々しく移すとはなどと嘆こうとして、彼女は、地上に意外な顔を見つけた。目を細めるまでもなく、米粒より小さなその姿を、サーヴァントは追っていく。
 『千里眼:C』を所有する彼女の目なら、この程度の距離は苦にもならない。
 元々、1秒未満で数百mを移動する超高速戦闘を主体とする彼女なのだ。視力も動体視力も、桁はずれに高くなくては、真っ直ぐ飛ぶ事すら危険に過ぎる。その目に映ったのは、自分が昨夜殺害した筈の、1人の少女の姿だった。

「……ありゃ、しぶとい。しっかり死ねるくらいの力は出した筈だったのに」

 全力を出した、とは言わない。死体が原型を保っていたのはその証拠だ。あまり酷く散らかせば、掃除をする人間に辛い思いをさせるだろうなど、些細な親切心が有ったのだが。

「……ま、いいわ。今度こそ、確実に……」

 ここで殺してしまっても、どうせ近くに住んでいるのは風祝だけだ。微塵の挽肉が社の外に転がっていようとも、参拝者が訪れる前に片付けてしまうだろう。未遂の仕事を完遂させよう、彼女はそう決めた。
 空に体を留めた侭、頭と足の位置を反転させ、虚空に倒立する。周囲の雲を噴き散らさない程度に、魔力を風に変え、スターターブロックの様に足の後ろに配置した。
 猛禽類にも勝る双眼は、獲物の表情から肌の血の気、爪の先の状態までを把握する。
 地上へと我が身を打ち出し、獲物を叩き潰すまで4秒。この場所へ戻るまで、6秒。合計10秒あれば、完全に仕事は終わる。
 目撃者狩りさえ終われば、いよいよ次からはマスター狩りも許可される。自分の能力を最大に活かせる分野だ、3日もあれば聖杯戦争を終わらせてみせよう。久しく離れていた闘争の予感は、彼女を大いに高ぶらせていた。

「残りもの処理と行きますか……『遠矢射る光明の徒(ナイト・オブ・アポローン)』」

 英霊の英霊たる印、宝具、その真名の解放。渦巻く風の魔力を爆発させ、自分自身の体を風にのせ、黒衣のサーヴァント――騎乗兵(ライダー)は、地上へ降り注ぐ彗星と化した。

 速度ゼロから動き始める以上、最高速へ至るまでにはどうしてもタイムラグが生まれる。最高速度に長ける重量級の列車など、走り始めは人間の脚に劣る速度でしかない。
 その点、体重も軽く、また体重と釣り合わない程の加速力を持つ彼女ならば、そのタイムラグはほぼゼロに近い。ゼロコンマの下にゼロを2つ並べる短時間で、ライダーは最高速へと達した。
 1秒、2秒、行程の半分を過ぎる。此処からは僅かに減速と方向転換、攻撃の瞬間には地上と並行に飛ぶ。二次関数のグラフの如き放物線を描いて、ライダーは地上の獲物との距離を詰め、

「――……!?」

 残り、200m以下。時間にして1秒未満で埋まる距離。獲物の髪が風圧で乱れる程に接近して、ようやくライダーは自らの認識不足に気付いた。
 加速に用いた以上の魔力を前方へ配置し、暴風を自分に当ててブレーキを掛ける。体の上下を入れ替え、降りてきた場所へ再び舞いあがらんと、放物線を強引に曲げる。
 人の比ではない反射速度と思考速度が生んだ、地上との100mの距離。

「悪いな、私のマスターはやらせない」

 その猶予のアドバンテージを無に帰す一条の光が、ライダーを中心とした円筒状の空間、半径10mを薙ぎ払った。





「いよーしっ、不意打ち成功!な、言っただろ?絶対ばれないって!」

 空に光芒を柱と為して、私のサーヴァントは、大手柄を立てた子供の様に飛び跳ね、拳を突き上げた。
 いいや、実際子供のようなものだ。背丈は私より20cm程も低いのではないか。腕も脚も、骨格がまだ未完成である事を窺える細さで、手の爪の薄い事と言ったら。髪も肌の質感も、彼女がまだ成人と呼べる年齢に遠く達していない事を窺わせた。
 だが、彼女もまたサーヴァントである以上、外見相応の存在ではない。召喚され、名乗りを交わし、現状を幾つか説明すると、彼女はすぐさま一計を案じ、実行に移したのだった。
 曰く、「お前が囮になって飛びだしてきた相手を、私が撃つ」。何とも乱暴な作戦に聞こえるだろうか、当然私も聞いた瞬間に却下した。
 だが、彼女は自身を持ってこう断言した。

「そいつは凄い速さで飛ぶんだろ?速いって事は、直ぐに止まれないって事だ。大丈夫だ、今、そいつは私達の頭の上にいるよ。そうだな……1029mってとこか?」

 サーヴァントは、例え霊体化していようと、互いに互いの気配を感じ取る事が出来るという。索敵可能範囲には英霊毎の、また、クラス毎の差も有る。彼女の索敵可能範囲は、どうやらキロ単位にまで及ぶらしい。

「どれだけ速くても、この距離なら私が先手を打てる。向こうの感知範囲は知らないが、仮に500m有るとしても、道中の半分だ。 そこでブレーキを掛けようと、離脱前に一撃打ち込んでやるよ。なあに、ばれないばれない。見てろって、な?」

 自信に満ちた物言いで霊体化し、同時に魔術の詠唱を開始したサーヴァント。詠唱がほぼ全て終わり、後はキーを引いて射出するだけの段階で、彼女は私の背を押した。

「……大丈夫なんでしょうね。向こうが思ったより速かった、なんて無しよ?」

 出会って数分の彼女を、全面的に信用出来た訳ではない。言葉に疑念がありありと浮かんでしまう。
 それを、彼女は露程も気にしていないと言う様に、底抜けに明るく笑って、

「私はアーチャーだ。撃ち抜く事に関して、サーヴァントで私以上の奴はいないよ」

 私の背を、小さな手でぽんと叩いた。





 地上から放たれた光芒に飲まれる寸前、ライダーは、退避用の魔力を防御に用いた。自らを吹き飛ばす筈の風を下方に撃ちだし、破壊的な光と相殺させたのだ。仮にブレーキが間に合わず更に近距離で受けていれば、相殺は間に合わず、より光源に近い位置での直撃を受けていただろう。
 ライダーの感知範囲は、他のサーヴァントに比べて、決して広くはない。通常時で半径100m程度、攻撃に意識を裂けば30m前後にまで距離は縮まってしまう。高速で飛翔する彼女には、そもそも広い感知範囲などは必要無い。その場所に自分から近づけば良いのだから、そんな技能を身に付ける事も無かったのだ。

「……チィッ……よくも引っ掛けてくれたわねえ!」

 体を覆っていた黒い布は半分ほど焼けおちて、四肢が露わになる。姿を隠す為の布は、サーヴァントや宝具程の強度を持たなかったらしい。
 余分な肉の一片たりとなく引きしまった手足は、ライダーの超越的な速度の源と、頷くに足るだけの強さをも併せ持っていた。それらは光に飲まれた為だろう、火に焼かれたかのように、肌に黒い炭の様な痕を残している。
 あれは熱閃だったらしい。上空では雲の一部が、再び水蒸気へと姿を変えていた。
 クラス特性として、ライダーは『対魔力』スキルを持つ。彼女の対魔力のランクはB、三節以下の詠唱による魔術ならば無効化する。ならば今の魔術は、何節かの詠唱を重ねて打ち出した大魔術なのだろう。

「っこの、不意打ちなんて卑怯よ!」

「お前に言われたくはないな、お前には」

 光によって眩んだ視力が、完全に戻るまでのほんの僅かな時間。
 風の流れがライダーに、敵の接近を伝える。急降下攻撃を妨害したサーヴァントは、地上を離れ、ライダーの頭上へと舞いあがっていた。

「『I guide you Star tours.』!」

 一小節の詠唱、サーヴァント―――アーチャーの手から、『弾幕』が放たれる。旧き良き時代の娯楽、ライダーも身を投じた事のある遊びの、懐かしき華。だが、これは戦争だ。命中しても害が無い術など、真正面から突っ切って、

「ぐ、あっ!?」

 突っ切っていけない。明らかにランクの低い筈の魔術が、ライダーの身を打ち据える。星の形状をした弾幕は、ライダーの肩にナイフの様に突き刺さり、更にはその身を地へ向けて打ち下ろした。
 空中で体勢を立て直し、襲撃者の姿を見る。そして、今の不条理の理由を探す。自分の対魔力スキルなら、今の魔術で傷を負う筈などは――

「――そうですか、貴女が呼ばれましたか……お久しぶりですねぇ」

「久しぶりなのか? 顔を見せてくれないと分からないぜ。いいさ、お前が名乗らないなら、私だけ勝手に名乗る」

――アーチャーの姿を、ライダーが見紛う筈も無い。
 周囲の同年代の者と比べても、一回りほど小さかった身の丈。伸ばせば伸ばす程にくせが付く、少し困った質の金髪。1色では色の併せが悪いからなのか、エプロンを重ねた黒いドレス。箒に跨り空を掛け、右手には緋々色金の火炉。

「アーチャー、霧雨魔理沙。普通の魔法使いだぜ――『ミニ八卦炉』」

 彼女の手にある小型の火炉が、詠唱により生まれた魔力を増幅し、単純な術をすら大魔術に昇華する。
 高所の優位を得ようと上昇を狙うライダーへ再び光と熱の柱が放たれ、質量をすら持った魔力の束に、彼女は地上へと叩きつけた。





「ちょっ、何でいきなり名乗ってんのよこの馬鹿ー!?」

 サーヴァントを召喚する用意は、昨夜から開始していた。その間に早苗から、聖杯戦争における幾つかの心構えも聞かされている。
 曰く、自分のサーヴァントの真名は秘匿せよ。語り継がれる幻想であるのなら、サーヴァントの弱点もまた、伝承の中に存在するかもしれない。そうでなくとも、名を知られたら手の内を読まれる事にもなりかねない。有利になる要素は全く存在しない。
 だから、相手の名を探る必要は有っても、自分から名乗る意味など無いと言うのに……!

「そう言うなってアリス、どうせ何時かは分かっちゃう事なんだからさあ」

「最後まで隠し通すって考えはないの!?」

「あ、そりゃ無理。私の魔法を見られたら、遅かれ速かれどうしてもバレる。魔法を使わず勝つなんて無理だろ? 宴会騒ぎの小異変の時とは違うんだから」

「宴会がどうとか知らないけど、それでも―――」

「いーからいーから!ほら、実際にあいつはこうして……あ、まだ駄目か」

 幾ら反論しても、こいつは少しも悪びれた様子を見せない。それどころか、自分が圧勝した印を見せようと、落下したサーヴァントを指差した。
 冗談じゃない、まだまだ相手は動けそうじゃないか。この戦闘で勝ちを決めるなら兎も角、逃げられて、仕切り直しとなってしまったら?

「……はは、は……魔理沙さん、とはねぇ。そうと分かってたら、また違う手を……」

「ほらー! もう対策打たれ始めてるじゃないの! アーチャー、とどめ! もう襲ってこれない様に、確実に―――」

 確実に倒してと言いかけた所で、ごうと風が荒れ、声は足元の砂ごと吹き散らされた。うつ伏せにそこに伏していた筈の敵サーヴァントは、私の視界から忽然と消えていて、

「おー、やっぱり速いな。追いつくのは無理かー……」

 アーチャーの視線の先は、やはり上空。敵サーヴァントは風を巻き、己のフィールドの空へ舞い戻ったらしい。そちらへ目を向ければ、既に敵サーヴァントは霊体化し、戦闘から離脱していく所だった。
 仕留めきれなかった事が悔やまれる。奇襲で混乱していた今こそ、最大のチャンスだっただろうに。

「無理かー、って……あのねえ、私はあいつに殺されかけたのよ! また狙われるかもしれないの!」

「結構しっかり傷めつけてやったろ? そうだな、数日ばかりは回復しきらないんじゃないか。
 多分だけど、私の予想が当たってるなら、あいつはさっきのでかなり痛手を負った筈だから」

「はぁ……頼むからちゃんと説明しなさいよ、自分に分かる事を飛ばさないで」

「悪い悪い。ええとな、多分あいつ、今は思う様に飛べない。そういう事だ。……それよりアリス、冬の朝は寒いぜ。社に戻って炬燵を借りよう、炬燵。蜜柑と熱燗も欲しいなー、今はどんな酒が有るんだ?」

 早苗も大概会話のし辛い奴だったが、こいつはそもそも私の話を聞いていないのではないだろうか。
 そう思う程、この小さなサーヴァントはマイペースで、自分の勢いだけでぐいぐいと進んでいく。
 今も、敵サーヴァントが撤退したのを確認したからと、早くも社の中へ戻ろうとしていた。

「ん? どうしたんだよアリスー、朝食を御馳走になるだけだ。遠慮するなよ」

「貴女が用意する訳じゃないんでしょ?」

「そりゃそうだ。人が作ったご飯を食べるのが良いんだからな」

 中立である事を理由に、不可侵とされている守矢神社。そこに朝食をたかるサーヴァントなんて、監督役だという早苗も呆れるのではないか。

「まったくもう、ついさっきまで命がけの戦いをしてたっていうのに……」

「あれくらいなら日常茶飯事だろ? 弾幕ごっこの本気版だよ、それだけだぜ。さー、この時代の食事はどんなのかなー。レトルト食品っていうの食べてみたい」

 厚かましくも無欲な欲求を持つアーチャーは、ずかずかと社に上がり込んでいく。その後ろを、昨日からの物事の展開速度についていけない私は、借り物の草鞋を履いて追うのだった。





 真っ赤に汚れた制服は、ドライヤーと暖房器具の総動員の結果、どうにか事無きを得た。霊夢は、私服登校する必要が無く、安堵していた。
 黒い冬服だったのが幸いだった。これが白基調の夏服だったら、クリーニングに出す事さえ出来ない。受け付けの係が血相変えて、警察か病院に電話を掛けてしまいかねないからだ。

「……洗剤って便利よねえ」

「いきなりどうしたんですか?」

「河童の技術力に感心してたのよ。環境汚染が進むのも分かるわ」

 今朝の霊夢は、気まぐれに、普段より何分か早く家を出ていた。深い理由は無いが、ただなんとなく、早く教室に入りたかったらしい。
 見えぬお供を引き連れ、寂しく通学路を行く羽目になるのかと思いきや、家の前には何時もの後輩、リグル・ナイトバグがいた。
 霊夢自身、この後輩を悪く思ってはいない。賢く勘も良く、接していて飽きない相手だ。
 何より、霊夢と彼女は付き合いが長い。霊夢が一人暮らしを始めた頃から――霊夢の母、先代の巫女が病没した頃からの交友となる。かれこれ4年となるか。

「……なーんか、まだ信じられない」

「霊夢先輩、今日は独り言多いですよ?」

 彼女自身、自覚は有るのだ。話を聞いていても右から左、音を情報として捉えずに受け流していると、自分を正しく認識している。 噛み合う答えを返せず、自分の思考を自分で言葉にして、1人で完結してしまっている。
 今もそうだ、自分が置かれた立場にどうしても実感が湧かず、纏まった言葉を作れないでいるのだ。
 無理も無い。1人の人間がトマトの様に潰されているのを目撃したのだから。しかもその人間は生きていて、治療が可能な場所に運びこむまで命を繋いでいた。その元凶はサーヴァントという名前こそついているものの、実際何が何だか分からない幽霊みたいなもので、

「あんたさ、私自身が頭おかしいって思う様な話聞いても、私を心配しないでいられる?」

「……えーと、何を言ってるかよく分からないんですけど……」

「うん、ごめん。私だって良く分からない」

 どれもこれも、他人から聞いたのなら、霊夢は信じなかっただろう。にわかに信じられない様な出来事が、自分の身の回りで起こって、日常を侵食している。
 今この瞬間も、背後に霊体化したセイバーがいなければ、あの黒衣のサーヴァントが奇襲を仕掛けて来るかも知れない。
 そうなれば、霊夢はこの後輩諸共、ゴミの様に吹き飛ばされている事だろう。

「……何か、有ったんですか?霊夢先輩、今日はやたら空を見上げてますし」

「そうかしら……そうかもね。隕石でも降ってきたらどうしようかと思って」

「それは……すごく難しい質問ですね。どうしましょう……」

「冗談よ、真剣に考えないで」

 リグルは首と触角を傾げて、真剣に大気圏を突破してきた岩への対策を練っている。と、ぽんと右手を左手に打ちつけ、素晴らしく明るい笑顔を見せた。

「地下に潜りましょう。妖怪の山は地獄洞――」

「鬼が済む地獄へ続く洞窟、だっけ。50mくらいで崩落してたわよね、確か」

「夢を持ちましょうよー……地下の大空洞なんて夢のある話じゃないですかー」

「今は現実主義が流行なのよ、幻想郷でも」

 笑顔が萎れ、また思案顔、プラスして不平顔。知恵は有っても、リグルは幻想に生きたい年頃であるらしい。
 ちなみに地獄洞とは、妖怪の山中腹にある、小さな洞窟の事である。地盤は頑丈なのだが、なぜか最奥部(とは言っても高々50m地点)だけ、完膚なきまでに崩落している。生物、植物、鉱物、別段見るべきものもなく、子供の度胸試し程度にしか使われない場所である。
 
「そういえばさぁ、あんたは前に行ってなかったっけ、あそこ。ほら、中学の理科で」

「ぁー……言わないでくださいよそれ」

 が、世の中には物好きな奴がいる。例えばリグル・ナイトバグの様に、昆虫の生態調査という題材の宿題で、『洞窟にすむ節足動物の生活環境を再現した水槽』なんて物を提出する奴などだ。
 手ごろな洞窟という事で地獄洞を採用したは良いのだが、しかし洞窟にすむ外骨格生物と言えば――蜘蛛やら百足やらザトウムシやら、その他名前も分からないが気持ち悪いという事だけ分かる生き物やら。クラス全体から不評を買い、泣く泣く逃がしに行く羽目になった――と、これで話は終わらない。

「うちの教室にまで逃げてきてたわよ、30cm級の百足。椛が椅子で潰して回ってた、すごい真顔で」

「私は悪くない、私は悪くない! 因幡に足を引っかけられなかったらあんな事には……! あと犬走先輩はいつも真顔だと思います」

 運んで行く最中、階段の目前で、リグルが派手に転倒したのだ。大きな水槽一杯に詰め込まれた、生理的な嫌悪を生む大量の節足動物が、中学校の廊下に撒き散らされたら――思春期まっさかりの女学生たちがどんな悲鳴をあげた事か。結局、犬走椛と博麗霊夢を筆頭とする数名の例外が尽力し、数十の奇怪な生物は駆逐された。
 リグル自身の仁徳――と、敵に回したくない耳の早さとが無ければ、彼女の中学生活はまさしくどん底となった事だろう。今では、本人以外は笑い話にしてしまっている思い出に、霊夢は喉を鳴らす様な笑いを零した。

「あんたってさあ……めったなことじゃ死にそうにないわよね」

「……? 勿論、私はしぶといですよ。虫の妖怪ですから」

 平和である。
 これまでと全く変わらない朝の道のりは、昇降口を潜るまで続いた。





「あら、早いわね。昨日はありがとう」

 教室の扉を開けて、霊夢がまず聞いたのは、馴染みの薄い静かな声。授業の発言以外、彼女は寡黙なのだ。

「……なんでピンピンしてんのよ、あんた」

 彼女を背負って登山した疲労は、霊夢の体からまだ抜けていないというのに、殺されかけた筈のアリス・マーガトロイドはと言えば、手を振って霊夢を迎える余裕を見せていた。

「聞いたわよ、貴女が運んでくれたって。優しいのね」

「誰だって半死人を見たらそうするでしょ……じゃ、なくて」

「何で元気か、だったっけ。守谷の風祝は優秀ね、目が覚めたら殆ど傷は治ってたわ」

 霊夢は思わず溜息を吐く。襲撃を警戒し、疲労と共に歩いた道のりは何だったのか。もう放っておいても勝手に治っていたかも、などと無茶な考えまで浮かんでくる。
 が、浮かんできた感情はそれだけではなかった。

「……あんた、何でのこのこ出てきてんのよ?」

「平日だもの、学生は学校へ、当然でしょう」

「そーいうことじゃないの! 折角あそこなら安全って決まってるんだから……」

 拾った命を、何故彼女は無為に危険に晒すのか。霊夢は腹を立てていた。
 昨日の一件で分かった筈だ。彼女の命はサーヴァントの気紛れで、瞬時に潰えるような代物だと。身を守るすべを持たない以上、聖杯戦争の間は、どこにいようと危険だ――それこそ、海の向こうまで逃げてしまわない限りは。
 だが彼女は、一片の怯えを見せる事もなく、教室の定位置で読書に励んでいる。

「私の労力を無駄にするつもり?」

「貴女には感謝してるわ、お陰で無事に今日も登校で出来てる。……けど、それとこれとは別、おちついて? まずは冷静に観察してみましょう、はい」

「……金髪青い目真っ白の肌、見れば見るほどむかつくわね」

「お褒めに預かり光栄です。でもそこじゃない、こっち」

 両手を広げて立ち上がるアリス。手首を起点とした動作で、すうと手を掲げて見せる。

「は? ……ちょっと、あんた……!?」

 怪我人が包帯を巻いている、それに霊夢が違和感を覚えなかったのは仕方がない事だ。
 だが、アリスが昨日受けた傷は、胴体にだけ集中している筈。右手、それも指だけにぐるぐると巻き付けられた包帯は……?
 アリスが包帯を解く。血の染みも無ければ、下にガーゼが挟まっている訳ではない。

「私もエントリーしたの、これからは宜しく……敵対するつもりはないわ。友人と命を賭けて戦うなんて事、できないものね」

 人差し指、中指、親指。三本の指に分かれて一画ずつ、彼女の右手には令呪が存在した。

「……なんでよ」

「ん?」

 3本の指で、鍵盤を叩く真似をするアリス。霊夢は、喉に鉛でもつっかえたかの様な低い声で数歩詰めよった。

「なんで助けてやったのに、わざわざまた死にに来る様な事してんのよ!? 早苗の所で引きこもってればいいじゃない、正気!?」

「正気も正気よ、だからこうしたの。まさか世の中、全員が律儀にルールを守ると思う? 中立地帯、それは聞いたわ。でも、それを侵犯してペナルティが有る、とも聞かなかったけど」

「……っ、そりゃそうだけど……」

「引きこもって安全が確保されるのは護衛が有る時だけ。だから私も護衛を雇ったのよ、契約金は食費と寝床の提供くらいで済んだわ」

 出来の悪いSPだけど、と、アリスは諦め声で付け足した。

「……参加するって、意味は分かってるのよね?」

「誤解しないで、さっきも言ったわ。敵対するつもりはない、それでいいでしょう? 私と私のサーヴァントには、最終的に叶えたい望みがないの」

「望みがない……? 良く分からないわね」

 理に叶っている事だ。確かに早苗は中立で、目の前で誰かが襲われていようと助けはしないだろう。少々目を離している隙に誰かが侵入した所で、それを追い掛けて咎め立てする事もあるまい。
 そもそも、罰する権力がない。面倒事の処理を引き受けた分、安全を確保されているだけだ。本気で自分の身を守るのなら、サーヴァントに対抗するにはサーヴァントしかない。
 だが、望みがないとはどういう事か。偶発的に巻き込まれただけのアリスは、生き延びられれば儲けものと考えるのかも知れない。然しサーヴァントは、何らかの望みを持って聖杯に呼ばれ、この時代に現界するのではないのか。

「聖杯が欲しいならあげるわ、協力しましょう。2人掛かりなら、大概の相手はどうにかなる筈。私が生きているまま、この戦争を終わらせられるなら、少々の無理はするわよ」

 霊夢には、アリスの真意が分からない。いや、彼女のサーヴァントの真意が分からない。自分の命――既に無い命だが――を賭して戦いに身を投じるには、相応の理由が有る筈なのだ。
 少なくとも、霊夢はそうだ。自分の命と引き換えに求めるのは、自分の世界の平穏、安定。他者に世界を改変されない為、聖杯の願いを無為に消費する為、身を投じた。
 だが、アリスに願いが無いというなら――それが本当なら、と注釈は付くだろうが――結果は同じではないか? 彼女もまた、仮に勝ち残ったところで、聖杯の奇跡を無為に消費するだろう。それは、霊夢にとって望ましい事なのだ。

「……アリス、あんたのサーヴァントは? セイバー、そこにいる?」

 分からないものは、見て確かめるべきだ。見えないにせよ、そこに居て会話を聞いていたのかは確認しておきたい。霊夢は視線をアリスに向けたまま、背後で霊体化しているセイバーに問う。

「この学校のどこかに居るわ、移動してる。探索中なのかしら」

「そうなのよ、マスターほっぽらかしてどこ行ってるのかしらあいつ。何か有ったら直ぐ飛んでくるーって言ってたけれど」

 少なくともこの場にはいない事が、セイバーの探知とアリスの溜息、二方向から裏付けされる。主の傍らに控えない従者に、アリスは頭を悩ませている様だった。

「……いいわ、今はそういう事にしておく。そろそろ皆が登校してくる頃だしね。 放課後、話をしましょうよ。その放蕩サーヴァントの面、拝んでやるわ」

 協力して戦う。それが本当に可能なのか、必要なのか、見極めねばならないと霊夢は感じていた。今日は、授業に身が入りそうにない、とも。





 朝のHRは、連絡事項が無い限りは、短時間で済まされる。あまりに短時間だというのに、枠を多く取ってあるから、暇が余りに余ってしょうがない。
 が、こと2年B組の担任は、その少ない枠をギリギリで使いきる事に定評が有った。話が長いのではない。話が始まるのが、やたらと遅いのだ。つまりは遅刻してくるのだ。
 寅丸 星(とらまる しょう)、この学校の母体である、命蓮寺の血縁者だという。然しながら、僧職関係者にありがちな固さが、彼女には全く無い。勤勉さはあるが、何か欠けている。
 53週、週5日、そこから長期休業を抜いて約200日前後、その9割を遅刻してくるのが彼女だ。理由の7割が車のカギの紛失、2割がガソリン切れ、そして残り1割にアラームのセットミスやら自転車のチェーンが切れたやら。

「おっはようございまーす! 私遅刻しませんでしたよー、褒めて褒めて!」

 そんな彼女だから、HRの時間丁度に教室に姿を見せると、おーと歓声が上がった。自然とわき上がる拍手を万感溢れる笑顔で受け、勝利者の様に両手を掲げる、ハングリータイガーことクラス担任は、

「静粛に! 今日は皆さんに素敵なお知らせが有ります! 遅刻しないで良かったー……」

 為政者の演説の様に、両手を教卓に置いてから話し始めた。学級全体が鎮まる様、目で私語に耽る生徒を牽制する。この辺りは、流石に教員である。

「なんと今日は、転校生が来ましたー!」

 今度の歓声は、「おー!」。先程の拍手より、本心から驚愕している。
 それもその筈、昨日までそんな話はなかったのだ。既に2年次も終わりに近づいた今日この頃、転校してくるとは御苦労な事だと、何人かは怪訝な顔をする。

「分からない事が沢山だと思うから、みんな色々教えてあげてね! ……あと、高い所の物とか取ってあげてちょうだい。多分、手が届かないから。さ、それじゃあどうぞー!」

 ノリのいい生徒が率先して拍手をし、それにクラスの全体が追随する。拍手の雨の中、教室の戸が開けられ、1人の少女が入ってきた――と、後ろの方で、がたんと何かが崩れる様な音。見れば、アリスが机の上で、額を抱えて蹲り、

「ま、魔理沙ああああぁぁ!?」

 霊体化して回りに聞こえないのを良い事に、セイバーが声が裏返る程叫んでいた。

「おっす、北白河ちゆりだぜ、宜しく!」

 学年が4つは下に見えるその少女は、グッと親指を突き立て胸を張る。それを見ている霊夢の目には、彼女のステータス情報が流れ込んで来た。

「……うそ、あの子サーヴァント……?」

 同級生達との質疑応答は、霊夢の耳に入ってこない。彼女はただ、現世で学生生活を謳歌しようと企むサーヴァントの存在に、あっけに取られていた。






 昼休み、である。本来なら一人で居られる場所を探し、校内をうろつく時間だ。だというのに私は、教室の一角に出来た人だかりを、やや離れた位置から観察しつつ頭痛に耐えていた。
 人だかりの中心にいるのはあいつ、私のサーヴァント。何処かから借りてきた偽名を使う、小さな少女だ。

「ちゆりさん、何処から来たの?」

「ねえねえ、この辺りはどれくらい知ってる?」

「学食に案内しようか」

 珍しい物好きの同級生達に囲まれて、彼女は質問攻めに遭っている。私のこの頭痛には気付いていないだろう。
 クラスでも最も低い身長で、椅子に座って脚を揺らしながら、彼女は何とも楽しそうだ。
 携帯電話とは非常に便利なもので、連絡先さえ知っていれば、固定電話無しでも相手を問い詰められる。昨晩世話になったばかりの風祝に、これはどういう事なのかと電話を掛けてみると、

『魔理沙さんが学校に行きたいというので、急いで手配しました』

 などと、簡潔かつ何の役にも立たない答えを貰えた。人を殴りたくなったのは初めてだ。
 この短い時間で偽の身分証明を作り、更に転校を済ませた処理能力には恐れ入るのだが。

「……何なのよ、もう……」

 別に、現界し続けられると魔力の消費が大きいとか、そういう問題はない。
アーチャーは単独行動に向いたクラスで、しかも彼女は魔法使いだ。自分自身で魔力を生成する力が強い為、戦闘さえしなければ、消費魔力は極めて小さい。
 事実こうしている今も、私が彼女に供給している魔力は、スプーンを持つ労力と大差ないかも知れない。マスターが供給する魔力は、サーヴァントの魔力生成機能をオンにするキー、そういう物なのだ。
 私が問題視しているのは、彼女の隠しきれないサーヴァントとしての気配を、他のサーヴァントに察知されないかという事だ。
 霧雨 魔理沙、魔法を魔術に引き下げた最後の魔法使いにして、異変解決の立役者。知名度で言うならば、おそらく呼びだされる英霊の中では最高クラスだろう。名前も、外見も、だ。私でさえが、あの黒白二色構成の姿を見れば、それが誰なのかを推測出来ていた。同じ時代に生きた者達は、もしかしたら体の輪郭だけで気付いてしまうのかも知れない。
 もしも彼女が、対策を練らずとも全てを打ち倒せるクラス――最優と称されるセイバーなら、そう気苦労も無かっただろう。
 だが、彼女はアーチャーだ。遠距離を主戦場とし、宝具の強さを売りとするクラス。三騎士の一角とされながら他の二者には、近接戦闘の技量や単純なステータスで後れを取る。だからこそ、敵に情報を渡さずして自分だけが情報を握り、策を練って堅実に戦う必要が有るのだ。
 仮に私が、敵が彼女であると知ったのなら。
 まず第一には、遠距離からの魔術による狙撃に対し、防御か回避の手段を探るだろう。それが魔術だと知っているのなら、きっと手段はある。怖いのは、魔術か物理的攻撃か分からない時だけだ。
 そして、一撃さえ防ぐ事が出来たのなら、私は身を隠し、サーヴァントに攻撃を任せるもよし。彼女は、英霊とはなったが元は人間で、ただの少女だ。妖怪変化に近づかれれば、無力に引き裂かれてしまうのではないか?
 今日、何回目かの溜息を吐く。どうしてこのサーヴァントは持つ知恵を出し惜しみするのだろうか。
 椅子から立ち上がり、廊下へ出ようとする。どうせ、本を読んでも内容が頭に入らない。戸に手を掛けた所で、後方から声が飛んでくる。

「待てよアリスー、置いてくなよー!」

 不満げな、しかもそれを隠そうとしていない事がはっきり伝わる、アーチャーの声。彼女と私の関係は、誰かに明かそうと思ってはいなかっただけに、私は思わず凍りついた。

「あれ、ちゆりさんとアリスさんって、知り合い?」

「ああ、私が住んでるのって魔法の森の方だからさ、越してきて直ぐに知り合ったんだ」

 質問好きの同級生に対し、何処かで聞いた様な嘘をあっさりと返すアーチャー。椅子から降りて、狭い歩幅に早足で、私の後ろを追ってくる。

「そーいう訳だから、じゃ! 話の続きは明日だぜ」

 これまで和気あいあいと話していた彼女達にあっさり別れを告げて、こちらの後ろをカルガモのヒナの様に歩く。
 きっと、悪目立ちするだろう。これまであまり人と係わりを持たなかった私と、転校生の少女との取り合わせ。同級生達からしてもそうなのに、私は手に包帯を巻き、そしてアーチャーは分かりやすくサーヴァントなのだ。他のマスターからしてみれば、今の私は全く良い獲物ではなかろうか。

「……何でこうなったのよ、もう」

「日ごろの行いが悪いんじゃないか?」

「あんたのせいでしょうが!」

「私を怨むのはお門違いだぜ、烏と聖杯に文句を言ってくれ。……それより、ちょっと屋上良いか? 鍵とか有るか?」

「十分あんたは怨んで良い存在だと思――待った、屋上?」

 思わず、口も悪くなる。霊夢が移ったのかも知れないと自分でも感じた。が、寧ろ耳が引っ張られたのは、それに続いた彼女の言葉だった。

「そう、屋上。嫌な気配がぷんぷんするぜ、ここは命連寺の縁故だった筈だろ? だとしたらなんだこりゃ」

「経営の母体は同じらしいわね……鍵は開いてるわ、行くわよ」

 昨日の昼、私が感じ取った違和感を、アーチャーもまた察知していたらしい。横をすり抜け私を追い越し、屋上へ向かう階段を、一足抜かしに駆けあがって行く。そこに何が有るのか。言うまでもない、昨日撤去出来なかった魔法陣だ。

「……やる事はやるのね、あんた」

「ん? やる事やらないなら何をやるんだよ」

 一番小さいサイズの学生服に身を包んで、それでも余った袖を捲ったアーチャー。意図せずしてロングサイズになってしまったスカートは、彼女本来の衣服と同様、翻って尚膝の下にあった。





 屋上の扉は、鍵が掛かっていなかった。先客がいたからだ。
 姿が見えるのは1人、だがきっと2人そこにいる筈。足音かアーチャーの気配か、そのどちらかでこちらに気付いていたらしい。

「あら、あんたも気付いてたんだ?」

「昨日の昼にね。……そっちはどうなのよ、霊夢さん」

「昨日の朝。セイバーが、屋上だって言ってた。当たってたわ、この通り」

 先客は博麗霊夢と、おそらくそのサーヴァント、セイバー。霊体化しているのだろうか、私には気配が察知出来ないし、姿は当然の様に見えない。自然と視線は霊夢の所で止まり、

「……それ、解除できるの?」

 彼女が踏みつけている、魔法陣へと下ろされた。
 昨日と変わらずそこに有る、不可視の魔力によって形成された魔方陣。誰が設置したかは分からないものの、この学校全体を覆い、内側の人間に害を為すもの。
 私では、一切の手の着けようがない代物だったが、

「出来るわよ。結界をこれの上に張って、魔力の収拾を妨害する。暫く待てば自然に枯れるわ、花に水をやらないでほっとく様なものよ」

 成程、術を破壊するというよりも、維持が出来ない様にしてしまうのか。それならば、大きな力を必要とはしないだろうし、博麗の巫女なら結界術はお手の物だろう。ならば自分は邪魔にならない様に、一歩引いて見ていようかと思うと、

「待った、霊夢。そいつを消すのは少し待ってくれ、私が見てみたい」

 小さな体を、しゃがみ込む事で更に縮めたアーチャーが、私達の誰の方をも見ずに静止した。

「何でよ? こんなもの、さっさと潰しちゃうのがいいじゃないの」

「そりゃそうだな、でも直ぐに潰せる。だから待て、ステイ、いいな?」

「あ、こら、ちょ、押すな押すな押すな!」

 犬にでも言う様な口ぶりで、アーチャーは不可視の魔方陣に近づく。上に立っている霊夢の脚をぐいぐいと押して、その場から無理に退かしてしまった。そして、両手を屋上のコンクリに触れさせ、瞬きもせず押し黙る。
 僅かに、本当に僅かにだが、周囲の魔力の流れに乱れが有った。アーチャーを起点とし、幾重か大気が渦を巻き、広がっていく。
 おそらくは広範囲に魔力の目や耳を伸ばし、何らかの情報を探っているのだろう。魔術を行使する彼女は、静かで穏やかで、それでいながら冷たさを感じる表情をしていた。
 私は――きっと霊夢もそうだったのだろう、声を掛ける事も、身じろぎする事も憚られる様な気持ちになっていた筈だ。

「ねえ魔理沙、見立てはどう? 私だって専門外なんだけど」

「……んー、あー……まず、お前と霊夢がどう認識してるか、聞きたいかな」

 沈黙を破ったのはセイバー。実体化し、しゃがみ込むアーチャーを見降ろしている。それでもアーチャーはやはり立ち上がる事はなく、自分の足元に視線を固定するばかり。
 問いを向けて逆に問いを投げられたセイバーは、霊夢の方に何か訴える様な顔を向けた。

「私はよく分からなかったわ、セイバーに聞いて。わかんなくても解除出来れば良いんでしょ? さっさと解除しましょう、1秒だって長く置いておくのは嫌よ」

「霊夢はそりゃそういう考えよね……そうね、『魔力・魂の融解・吸収』じゃないかしら。
 魔力という防壁を喰い尽して、守るものが無くなった魂を最終的に引きずり出して喰う。術式自体も、その過程で吸収する魔力を消費して維持されてるみたいね……
 ここだけじゃなく、何か所か設置されてる。でも、メインのスイッチはここだと思う」

 へえ、と思わず感心した。
 早苗が言うには、セイバーは剣士のクラスだという。なのに彼女は、魔術に関する知識も持っていて、設置された術式を解釈する事が出来るというのだ。
最良と称されるだけは有って、多芸なものだ。少しばかり自分の、この勢い任せな魔法使いと比べてしまった。
……そもそも、魔術師の自分と魔法使いの彼女では、あまり相性が良くない気もするのだが。

「ん、良い見立てだと思うぜ、セイバー。それじゃ、アリス、お前の方は? 昨日の昼、見たんだろ。お前はどういう風に感じ取った?」

「え、私? そうねえ……」

 が、セイバーの万能ぶりに感歎しつつ、私には疑問が一つ生まれていた。
 私が昨日、この術に探知を仕掛けてみた所では、彼女と少し違う答えに辿り着いた。この場合、どちらが間違えているのだろう。

「……『魔力の吸収、並びに監視』が用途だと思うわ。
 校舎内に設置された魔方陣は8か所、それぞれが吸収した魔力をやりとりしてる。何処か一か所でも無効化されれば、他の7か所が察知して……多分、術者に警報でも送るんでしょうね。
 魔力吸収に関しては、セイバーと同じ見方。余所から魔力を集めて、術を維持してるんだと思う。出来るだけ長い間吸収する為に、一回に吸い上げる量は少ない。卵を産む鶏は絞められない、って事かしら」

 セイバーの見解では、監視という機能がごっそり抜けおちていた。彼女は寧ろ、魔力の吸収という面に於いて、この術式は恐ろしく凶悪な効果を生むものと見ているらしい。
 だが私は、この術はエコノミックである事を良しとし、リサイクルに励む穏便な術に見えていた。だから、2つの見解を並べてみれば、どうにも食い違いが生まれる。
 それぞれの異なる見解を聞いて、漸くアーチャーは顔を上げ、立つ。立ち上がっても、この場では最も背が低い。顔立ちも声も、子供そのものだ。
 ただ、声の重々しさ、目の光の強さは、彼女が決して与しやすい存在では無いと語る。

「ん、良い感じじゃないか、さすが私のマスター。50点だ。100点満点で。
 セイバーも50点。良い機会だ、魔理沙様の魔法教室を始めるぞ、よーく聞いとけ」

 黒板もホワイトボードも無い、空中にジェスチャーで8つの円を描く。指が辿った軌跡は、それが当たり前の様に、暗く発光する線として空中に留まった。





「……まず、こいつの第1の目的はアリスの言う通り、監視だ。監視範囲はこの校舎全体。数はここのを含めて8つ、それぞれは等間隔に設置されていて、魔力をそれぞれにやりとりしてる。1つが7つに魔力を渡して、7つから魔力を受け取る訳だから……28の魔力ラインで構成された網って事だな」

 アーチャーが空中で指を動かすと、描かれた円と円が、細いラインで繋がれる。視覚的に魔力のやりとりを表す為か、小さな星のマークが行ったり来たりを繰り返す。
 1つの星に目を向けていると分かるが、基本的に1度通過した円は、他の7つ全て通るまで、また訪れる事はない。

「仮に、この魔力ラインが1本でも断ち切られたり、ラインの起点である魔法陣が破壊された場合、魔力の流れが乱れて、他の7つの魔法陣がそれを察知する。魔法陣の近くで魔力を使用しても同じだ、張った糸の近くで声を出したら糸は震えるだろ? こいつは映像も音も送らないが、魔法が使われた場合はとにかく敏感に察知する様に出来てるらしい。……と、こいつが1つ目の用途。正直に言うと、監視装置としちゃ出来が悪いな、うん」

 円の1つがアーチャーの指に指で弾かれると、それはシャボン玉のように弾けて割れる。
途端、他の7つの円が、ミラーボールの様に多色の光を放ちながら回転を始めた。
ここまでの認識は、少々細に入っているが、大まかな部分では私と同じという所だろうか。

「その2、術自体の維持。こいつは、その3の副産物みたいなもんだが……先に話しとく。
 と言っても簡単なもんさ、かき集めた余剰魔力を維持に使ってるだけで、何の不思議もない。
 意思の無い式神みたいなもんかも知れないな。あいつらは自分で魔力を作れるから、食事で十分だが」

「……ワンクッション、置いた訳?」

「ああ、そうだ。私やお前なら良いだろうけど、霊夢やアリスにはちょっと覚悟を決める時間を取らせたかった。
 先に言っておくが、結構えげつないぞ。でも耳を塞ぐのは駄目だ、逃げるのは許す。5秒以内だ」

 もう1つの用途、魔力の吸収について話すのだろう、そうは思った。逃げるとはどういう事だろうか、主語は私と霊夢でいいのか?
 霊夢の方に視線を向けた。彼女もまた表情を強張らせ、小さく頷く。何故頷かれたのか、正直には理解が出来なかった。
 私と霊夢の、失敗した意思疎通に、潜められたアーチャーの声が割り込む。

「……よし、5秒だ。目的その3、魔力と魂の吸収。
 と言っても、こいつは根性が無いしねじ曲がった術式でな、一度に大量に吸えないんだ。魔力だって細々と吸い上げるだけだし、魂なんて頑丈なものには歯が立たない。
 だから、『歯を立てなくても良い様にする』んだよ、こいつは。この術は、まだまだ〝発動していない〟って事を忘れるな。
 この術が発動すると、8つの魔法陣が簡単な結界を張り巡らせる。外から侵入は簡単だが、中から出るのは難しい。落とし穴みたいなもんだな。
 で、魔力を吸い上げる。大量に、兎に角大量に、だ。本人が持ってる最大量を越えて吸い上げる。……当然、出来る筈もないな。無い袖は振れない、じゃあどうするか?
  こいつはな、中の生き物の『内臓を溶かして』『直接飲める様にして』放置するんだよ。その上で、魔力も魂も、ドロドロに溶けた肉の中に、肉団子みたいに混ぜちまう。 魔力を吸い取るのは、抵抗されない為もあるんだ。臓腑を溶かす呪いを防がれない為にな。
 脳から心臓から溶かされたら、当たり前だが死ぬ。腹がぺしゃんこにつぶれた死体の山が出来る。そうなってから術者は悠々と出てきて、死体の腹でもかっさばいて、中身を啜るんだろうさ。ああ、えげつないと思うだろ? まだまだだぜ、まだ話は終わってない。猶予はもう1度、5秒だけだ」

――死体の山。そんな言葉を、現実に繋がる文脈で、誰かが吐く日が来ようとは思わなかった。
 死体とはフィクションの中に存在するか、ニュースの文面に現れる程度のもの。私自身も死体になりかけたとは聞くが、実際に私は生きていて、死にかけた私を私が見た訳ではない。実感が無いとは言えないが、その実感を重く受け止められない。
 だが、この術が仕掛けられたのは、他でもないこの校舎だ。狙われているのは、網にかかっているのは、この学校の生徒だ。つまり、それには自分も含まれている。今この瞬間まで、命の危機に有った事を知らなかったのだ。

「5秒。人間の内臓を融解する様な強力な術だ。しかも、発動せずとも外へ効果を及ぼすタイプ。アリスや霊夢くらいの魔力が有れば、今は別に何も感じないだろうけどな。全員が全員、そういう訳じゃあない。
 どう抑えても――いや、抑える気も無いのか。この校舎には、少しずつ影響が出てるよ。体調不良を訴える奴、昨日から増えてないか? なあアリス、今朝、病欠してるのは居なかったか?」

「病欠、は……居たわよ、何人か」

「だな、席に空きが有った。私に話しかけてきた奴も、顔色がやたら悪いの居たぜ」

 そうだ、確かクラスで1人、病欠が居た。急な発熱と体調不良で、大事を取って休むという事だったらしい。
 隣のクラスでも1人か2人、だが冬という事もあり、風邪の可能性もあるとは思っていたのだ。

「もう影響が出てきてるんだよ。溶けはしなくとも、内臓にダメージが少しずつ蓄積し始めてる。抵抗力を失って、魔力は簡単に奪われる様になるだろう。この学校は餌場として最適化されていく。
 本格的に発動されればその瞬間に。発動されなくても……1週間以内にアウトだ。 その頃には、対抗手段を知らない奴ら全員、病院のベッドの上に移動する事になるぜ。
 ……以上、これが私の解析結果だ。98%くらいの自信が有る」

「防ぐ手段は!?」

 淡々と語り終えたアーチャーに、掴みかからんばかりに訊ねたのは霊夢だった。私が口を挟む間も無い。常に校内を飄々と流れている、彼女の面影が見えない。彼女が大声を出すのだという事すら、私は今日、初めて知ったのかも知れなかった。

「有るが、その前に確認するぜ。こいつを壊せば、仕掛けた奴に伝わるだろう。ここにマスターとサーヴァントがいるのを知らせる事になる。平日の日中、学校に居られる立場、と特定してな。ここは餌の集まりじゃなく、敵が隠れる場所かも知れない、と思われるんだ。
 先に言うが、木を隠すなら森の理論は嫌いだ。巻き添えが出るからな」

「……つまり、マスターである事を隠すのは諦めろって事?」

「そう言う事だ、アリス。危ないかも知れないが、それが一番良いんだよ」

 激している霊夢を制し、アーチャーの言葉を引き継ぐ。
 この学校の生徒か教師の誰かが、サーヴァントの術を見破って解除できる、と知れた場合を想定する。その様な事が出来るのは、同じサーヴァントかそのマスターである可能性が高いだろう。もしもそれが誰なのか分かれば、ピンポイントで攻撃するのが良い。労力は抑えるべし、だ。
 だが、誰なのか分からない場合は? 簡単な話である、全員殺してしまえば良い。サーヴァントの前に、人間の命など紙屑より軽い。少しでも抵抗出来る者がいたら当たりだ。

「寧ろ、名乗り出ちまおうぜ。私がマスターですよーって、名札着けて堂々とさ。 どれが肝心の得物だか分かれば、向こうだってピンポイントに狙ってくるだろう。巻き添えにしちゃいけない理由は無いが、目立たないに越した事も無いんだから。
 ……それに、多分向こうは、今夜動く。今夜この学校に居れば、一組くらいとは遭遇出来るんじゃないかな」

「トラップが解除された、きっと相手はサーヴァントだろう。向こうはそう判断する、という事かしら?
 だったら早く始めるべきよ魔理沙、今も魔力は吸い上げられている。僅かな一滴も、与える事を惜しむべきだわ。昼休みの時間内には終わらずとも、放課後までに8か所全部……」

「大丈夫だ、もう始めてるさ」

 実行に移すべしと提案したのはセイバー。8か所の術式の解除は、移動時間も含めて考えれば、おそらく数十分から1時間は必要だ。昼休みの残り十数分では、2つか3つを片付けるのが関の山だろう。
 だが、アーチャーは急ぐ様子もない。セイバーの言葉に割り込んで、足下の陣に指先を向けた。仄かに、夜の星の様に淡く光るアーチャーの手。彼女の持つ星の属性を、小さく収束させたものだろうか。

「教えておくぜ、魔法使いは面倒を嫌え。楽な方法をどんな時でも探すんだ。1つ1つ潰すんじゃなく、纏めて一気に叩き壊す―――『My fingers down the stars〝Cold Inferno〟.』」

 一小節の短詠唱。私の耳には、たった一言で終わった様に聞こえていた。
 私達に説明をしていた時の、倍かそれ以上の速さでアーチャーの唇が動き、早送りの音声を再生する。
 詠唱が終了した瞬間には、彼女の足元の魔法陣が、瞬間的に凍結、崩れ落ち始める。

「え、今……」

 咄嗟に探知術を発動、探知網を校舎の全域にまで広げる。
 昨日位置を確認した、屋上以外の7か所全てに、魔力探知に特化させた手を伸ばす――

「――無い、どこにも……!」

 魔力の流れが滞り、砕けている。1つ2つではなく、存在した魔法陣全てが、だ。全てが此処の1つと同様、凍結し、その用途を完全に失って崩壊していた。
 アーチャーはこの場を決して離れていない。魔法陣1つ1つに、接触した筈はない。それどころか、今朝からアーチャーが私と離れて行動していたのは、早朝の短い時間だけ。しかもその時間は、彼女は職員室で転校手続きを終了させる為、自由に動けはしなかった筈だ。

「コールドインフェルノ、『凍結の概念武装』ってとこか? 氷精を真似―――参考にした。
 8つの魔法陣全部に魔力を循環させてる術式なんだ、私が流しこんだ魔力も隅々まで行きわたる。で、全ての陣に同時に、〝凍結した〟って概念を張り付けた後、力任せにぶっ叩いて壊した。ちょっと細かい芸だったから、思ったより時間掛かったけどな」

 時間が掛かる? 冗談ではない、アーチャーが詠唱を行ったのは数秒の出来事ではないか。それ以前に魔力の注入を開始していたとしても、それには発声も詠唱も伴わっていない。
 ならばこのサーヴァントは、一工程(シングルアクション)でこの大規模魔術に干渉し、細工を終了したというのか?
 指を向けるだけのガンド撃ちと同程度の労力で、校舎1つ覆う規模の術式に、爆弾を仕掛けたと?

「……ちょっと、無茶苦茶すぎるわよ……?」

 私の、魔術師としての狭い常識で測る。この様な事が、可能なのか?
 時間を掛ければ出来ない事は無いだろう、理論は単純だ。私でも思い付くだけなら思い付く。が、実行に移そうとは決してするまい。複数の魔法陣からなる巨大な術式に、単一個人の魔力で干渉しよう、などとは。
 1つのシステムとして完成し活動している術式は、そう容易く外部から書きかえられるものではない。縫物の糸を一本一本解して縫い直す様な、気が長く細かい作業が必要とされる分野の筈だ。こんな力任せに、一撃で一瞬で消し飛ばしてしまえる様なものではない。

「……アリス、あんたのサーヴァントってキャスターだっけ」

「本人はアーチャーだって主張してるわ……あんまり信じてないけど」

 霊夢も、どうやら状況の把握が完了した様で、いぶかしげな目を私に向けてくる。無理もない、私自身が疑っているのだから。
 仮にもサーヴァントが仕掛けただろう術を、こうもあっさりと消し去って平然としている、小柄な少女。

「私はアーチャーだ、間違いないぜ? それよりもこの先だ、もう招待状を出しちゃったんだからな。気が早けりゃ今夜にでも、お客様がやってくるかも知れないんだ。授業の合間に昼寝をしとけよ?
 ……えーと、次の授業ってなんだっけ。座学も良いけど実験したいなー、キノコの胞子の採取とか」

 霧雨魔理沙は事も無げに、階段を降りて教室へと戻っていく。 彼女も、やはり一時代に名を馳せた英霊なのだ。現代の常識では理解の遠く及ばない存在だ。
 だからだろうか。私は、彼女の思う事が分からなかった。
 彼女は何を望み、この時代に召喚され、戦うのだろうか。望みは無いと彼女は言った、それは、そのままに受け取って良い言葉なのだろうか。

 昼休みの終了まで、まだ十分ほどは有るだろう。少しゆっくりと、私は階段を降りていった。何秒か遅れて、霊夢達も屋上を後にした様だった。




 日が完全に落ちて、校舎内の灯りも全て消されてしまった。
 懐中電灯無しではとても歩けず、吐き出す息は明らかに白い。外履きで廊下を歩いている為に、足音がやたらと喧しく響く。

「……セイバー、監視装置の方は済んだの?」

「仕組みとか良く分からなかったから、元の電源から壊してきちゃった。修理業者も、流石に今夜の内には来ないでしょ?」

「そうね、だと良いけど……あーあ、本当に出てくるのかしら?」

 霊夢の隣には、実体化して既に刀を抜いたセイバー。
 校舎に侵入する前に、アーチャーの提案で、警備会社が設置した装置の電源を破壊させた。
 夜に余計なものを交えたくない。聖杯戦争は、昼の世界から切り離されていなければならない。霊夢の考え方は、非常に保守的だ。
 二階から階段を降り、踊り場で立ち止まる。昨日、アリスが潰されていた場所だ。

「来るさ、少なくとも近くには来る。そうすりゃ私の探知範囲に入る。私より広範囲の索敵をするには、使い魔を飛ばすくらいしか手はないぜ」

「霊夢、貴女のサーヴァントは? 何か見つけたとか……」

「セイバーの方はまだだと思うわ、何か見つけたら言え、とは言ってあるもの」

 数m離れてアリス、その後ろにアーチャー――後ろ歩きで、時々アリスにぶつかっている。
 射手のクラスである彼女は、遠くの獲物を発見する事にも長けているらしい。その彼女の索敵範囲でも正しく捉えきれていない以上、少なくとも自分達を察知している敵はいるまい――そう、霊夢もアリスも考えていた。
 十分に暗くなってからかれこれ数十分、彼女達は校舎を彷徨い歩いていた。数分ばかりの滞在では入れ違いになりかねない、教室に隠れ潜むのは危険だ。一か所に留まっているというのは、外からの狙撃などが有り得るという事で、セイバー・アーチャー両名に却下された。
 昇降口から校庭を覗く。積雪を街灯が照らして、夏の夜よりもむしろ煌々と明るい。昨日夜、セイバーと黒衣のサーヴァントが戦った古戦場だ。
 100mや200mの距離を、距離自身が消えたかのように瞬間的に埋める爆発的加速。その速度から生まれる弾丸の様な一撃を、セイバーは凌ぎ切り、反撃に転じる事も出来そうだった――宝具を抜いて考えれば。

「あの黒いの、速かったよね。最後にも何か凄いの出そうとしてたし……宝具?」

「だと思うわ、見た限りだとあれは……Aランクにプラスが幾つか付いておかしくなさそうだった」

 宝具が特に強力なクラスと言えば、やはりアーチャーかライダーが挙げられるだろうか。
 アーチャーはそこのアリスのサーヴァント。ならば、あの黒衣の死神は、ライダーである可能性は高い。ライダーとして現界できるだけの逸話を持った人妖、そう人数は多くは、――?
 霊夢は、思考に走ったノイズに首を傾げた。

「ねえ、そう言えばさ」

「ん、何よ?」

「だからさ、そこに居るお姉ちゃんもサーヴァントなのよね? 刀を持ってるから……やっぱりセイバー? 良いなー、最良のクラスじゃない。でも良いんだ、他の人の持ってる物を羨ましがったらいけないって、お姉ちゃんは言ってたもん」

 逸話といえば、霊夢自身のサーヴァントも未だに正体は不明だ。
 剣士のクラスに該当する、過去の幻想に存在した人妖。果たして誰がいるだろう? ふと考え始め――何かがおかしいと、ようやく気付く。

「……アリス、セイバー、アーチャー。この中で、今、私と話してた人?」

「私じゃないぜ」

「セイバーじゃないの?」

「違うわよ。霊夢、そいつを捉まえちゃって。サーヴァントじゃないわ、マスターよ」

 違和感を抱くことすら出来ず、霊夢は〝そいつ〟と話していた。声の出所はどこだっただろう、おそらくは霊夢の胸程度の高さだっただろうか。
 距離は? すぐ近くだ、抱きしめた胸の中で喋っている様な距離。
 咄嗟に霊夢は、捉えるのではなく殴り倒す勢いで、右手で作った拳を横薙ぎに振るい。

「あはは、危なーい! もう、帽子が落ちちゃうじゃない。無くしちゃ駄目なのよ? せっかく作ってもらったんだもん、これは私の、誰にもあげないよ」

 50cmも離れていない距離にいた〝そいつ〟は、毬のように跳ねながら、霊夢の腕の下を潜って、近くの教室の前に立った。
 考え事に耽っていたとしても、霊夢は目を閉じていなかったし、耳も済ませていた。彼女以外にも、この場には6つの目が有り、その内の4つは特別製、サーヴァントの目だ。
 完全な透明人間でもなければこうは――いや、透明人間でも足音や呼吸音は残る。それらの要素を持ち、そして隠しもしない。彼女は姿を見せたままで、誰にも気付かれずに其処に居たのだ。、

「えーと、いちにいさんよん。半分半分かしら? 困っちゃったわ、こんなにたくさん殺せないもん。あ、でもねでもね、大丈夫なのよ。並ばなくてもいいように、私がちゃあんと頑張りました!」

 小さな体、並べばきっとアーチャーより更に背が低いだろう。それに比例する小さな頭に、鍔の大きな帽子が乗り、だが顔が隠れている訳ではない。
 色の白さは人種によるものか、それとも生活環境によるものか。可愛らしさはあるが、その白さは人形というよりも寧ろ―――燭台から零れ落ちた蝋、だった。
 火はとうの昔に消えて、熱も引け、素手で触れる事はできるだろう。然して指先に伝わるのは整形された滑らかさではなく、重力に従った末の歪な形状。
 燃え尽きた芯の灰が、白を穢す唯一の色。灰は彼女の無邪気な声であり、言葉だ。口を開かなければ彼女は、不健康的なだけの少女で居られるのかも知れない。

「初めまして、お姉ちゃん達。私は古明地こいしです」

 ぺこり、行儀よく両手を膝の前に揃え、頭を下げる少女。落ちた帽子を慌てて拾い上げると、頭の上に被せ直して、彼女は微笑んだ。
 古明地こいしは、目を細めずに笑う癖のある少女だった。










【ステータス情報が更新されました】

【クラス】アーチャー
【真名】霧雨魔理沙
【マスター】アリス・マーガトロイド
【属性】中立・善
【身長】141cm
【体重】33kg

【パラメータ】
 筋力E  耐久E  敏捷B+
 魔力B+ 幸運A  宝具??

【クラス別能力】
 対魔力:C
 第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。
 アーチャーは術を無効化するのではなく、相殺する事により、防御をしつつ攻撃へと転ずる。
 そのため、彼女自信は卓越した魔法使いでありながら、対魔力は決して高くない。

 単独行動:B
 マスターからの魔力供給が無くなったとしても現界していられる能力。ランクBは二日程度活動可能。

【保有スキル】
 魔術:A
 大魔術、儀礼呪法の行使を可能とする。
 アーチャーは、人の寿命で身に付けられる限界に、限り無く近い技量を誇っている。

 高速詠唱:A
 魔術の詠唱を高速化する。
 通常の高速詠唱であれば、実際の2倍程度の速度となるのが普通だが、
 アーチャーは術式自体の簡略化を計り、更に声を魔術でもう一つ作りだす事で、実質3倍以上の速度を得る事も可能。

 騎乗:E
 生き物以外なら直感でそこそこ乗りこなす。
 彼女の場合は趣味の領域、短期間の修練で一般的な乗り物なら操縦できる。

【所有アイテム】
 魔法の箒:魔術が掛けられ、飛行の補助をする。壊れたら新しい箒に魔術を掛け直せばいい。

【宝具】
『ミニ八卦炉』:ランクC
 緋々色金を材質とした特殊なマジックアイテム。
 霧雨魔理沙が異変解決の伴として、晩年に至るまで所有し続けた。
 ミニ八卦炉自体が強力な魔術であり、未熟な術者をして1つの山を焼き払う程の火力を生む。
 これに魔力を通して術を起動すれば、〝その術のランクを一段階上昇させる〟事が出来る。
 一行程の術を一小節相応の威力へ上げる事も、一小節の術を数節相応の威力へ上げる事も可能。
 上昇の比率は、宝具の持ち主が注ぎ込んだ魔力の量に応じて変化する。
 速い話が、魔力を注げば注ぐほど、短時間で強力な魔術を発動できる宝具である。
 尚、冷暖房に除湿、マイナスイオン発生機能完備。


『???』:ランク不明