烏が鳴くから
帰りましょ

三日目―――salad bowl

「マスター1人で姿を見せるなんてね、死にたいのかしら? そういうことなら遠慮無く、痛いと思う前に切り捨てるわよ」

「セイバー、あんまり手荒なことはしない。命呪だけ切り落とせばいいじゃない。……って言っても、どこに令呪が有るのか分からないわね。剥ぐ?」

 単身で眼前に現れた少女に、セイバーは早くも攻撃の意思を見せている。霊夢もまた、命を奪うまでは行かずとも、早急にマスターとしての資格は奪うべきだと判断した。
 可能なら、聖杯戦争の期間は目覚めない程度に、意識を失わせられればいい。一度聖杯戦争から脱落したとしても、マスターに空席が出来てしまった場合、また復帰される恐れは有るからだ。

「やーよ、私のものだもん。この令呪もサーヴァントも、聖杯だって私のもの。令呪が欲しかったら、そっちの金髪のお姉ちゃんに貰えばいいんじゃない? 手を伸ばせば届くところに、ほら! 細ーい首があるんだからさぁ」

 少女は、アリスの首を指差し、大きな目を更に見開く。アーチャーが、す、と進み出て、その間に割り込んだ。

「お生憎様だ、それは私が邪魔をする……こいし、お前のサーヴァントの仕業か?」

「何のこと? ちゃんと聞かないと分かりません、教えて?」

「すっとぼけた奴だな、この校舎に張った結界術だよ。答えなきゃ撃つぜ、出力は8割減で」

「それでも私はけし飛んじゃうね、こわーい!」

 相手の外見に惑わされず仕留めるべしというのは、アーチャーも同じ考えなのだろう。小型の火炉――彼女の宝具か――を、こいしと名乗った少女に向けながら、アリスを自分の背に庇う。それに伴ってセイバーは、霊夢とアリスを同時に視界に収められる背後へ。数の優位性は、死角を埋めるという点でも強く働いた。

「そうだよ、私のサーヴァントがやったの。一晩で、殆ど誰にも気づかれないで。失敗しちゃったなー、まさか2人もここにマスターがいるなんて思わなかったもん」

「そうだな、お前の失敗だ。分かったら令呪を使ってサーヴァントを自害させろ。校舎を壊しすぎると早苗に怒られそうだからさ、手荒な真似はしたくないんだ」

 表面的な言葉はともかく、アーチャーの真意は別だろう。必要とあらば、それが最善とあらば、手荒な真似はむしろ好んで為す所に違いない。たった1人の敵マスターと、少なくとも敵対していない数百人。秤にかければ悩むべくもない。
 手に持つ火炉に、視覚化できるほどに濃密な魔力が収束していく。放たれれば確実に、1つの肉体を霧散させるであろう砲撃を前にして、

「……その方がいいかもね。令呪にて命じまーす!」

 古明地こいしはやはり、目を丸く開いたままの笑みで答える。
 恐れを抱いている気配はなかった。恐れという概念すら、その少女には無いように思えた。サーヴァントの向けた敵意を浴びてなお、彼女は朋友と接するかのような態度を崩さない。

「こいつ壊れてるわ。何を言っても無駄よ、早く撃っちゃって。絶対にサーヴァントに自害なんかさせない、そうに決まってる」

 セイバーが嫌悪感を示す。あの術式を読み解いても平然としていた彼女が、声の棘を顕にする。アーチャーが撃たなければ私が斬るとばかり、早苗から受け取った霊刀を引き抜き、構えた。だが、動かない。殺意を持ち、実行する為の武器を持ちながら、セイバーは動かない。

「私のサーヴァントに命令します、今すぐに此処へ―――」

「そいつは駄目だ、じゃあな」

 無詠唱、対象を目視するだけの一工程(シングルアクション)、火炉が光を放つ。正確に計測したように廊下を隙間なく埋めた光条は、古明地こいしが居た空間をも薙ぎ払った。
 明かりの消えた校舎を強烈な閃光が照らす。魔力の鳴動がガラスを共鳴させる。わずか数秒の魔術行使が終わった後、そこには元のように、ただ静かな廊下が有るばかり。
 そこに、古明地こいしはいなかった。衣服の切れ端や、血痕が残されていることもない。本当にそこには、何も残っていなかったのだ。

「……これで終わり、なの?」

 あの光のを、真っ当な人妖が浴びて、生き残れるはずは確かにないだろう。だが、仮にもマスターの1人が、無防備に身を曝した揚句に消える、などとは。
 あまりにあっけないと、霊夢の口を突いて出た問いの残響が消える前に、

「伏せろ!」
「伏せて!」

 二つ同時に声がした。片方はセイバー、もう片方はアーチャー。聞こえたと霊夢の脳が認識するより先に、彼女は突き飛ばされ、アリスともども床に伏す羽目になっていた。
 床に押し付けられた頬が冷たい。受け身を取り損ねて、少し胸も打ちつけてしまった。起き上がろうとしたが、背中に僅かな重さを感じる。首と目をぎりぎりまで後ろに向けて、自分を抑え込んでいるのが誰か確認した。
 アーチャーだ、アリスの腕を掴んで床に引き倒しながら、霊夢の背中を突き飛ばしたらしい。
 何故そんなことをしたのかは、問わずとも、天井から垂れさがる凶器が答えてくれていた。セイバーの刀に押し止められた、二本の巨大な爪。霊夢とアリスの頭が先ほどまで有った空間を、過たず貫いている。
 刀や剣のような、人が作り出した鋭利さは、その爪には存在していない。只管に重厚で無骨な、獣が骨の延長として作り出した、鈍器と刃物の中間に位置する凶器。あれが命中していたのなら、人間の頭蓋は西瓜のように砕け、中身を撒き散らしていただろう。

「……ああ、しくじったねぇ。さすがにサーヴァントが2人いると辛いさ。これが1人なら……どっちかの命は、貰っていったんだけどねぇ……」

「いつから居たのかしら、屋根裏の鼠。こそこそと隠れて情けない……出てきなさい、校舎の床ごと吹っ飛ばしてしまおうかしら!?」

 爪は天井に消え、変わりに聞こえてくるのは、威圧感も力も薄い声。失敗した己への自嘲すら含んでいるのではないかという程、後ろ向きな笑い声がする。姿を見せぬ敵にセイバーは、本当に有言実行をしてしまいかねないほどに気勢を上げた。

「間違いなくアサシンだ。セイバー、分かってるよな?」

「もちろんよ、そうじゃなきゃ私達が気づかない筈がない……そうでしょう?」

「否定したって仕方ない、その通りさぁ―――」

 ずるうり、ずるり。天井からはい出した〝それ〟は、手から床に降り、立ち上がる。液体の様な女だった。動きも立ち様も、決して1つの形に留まず揺れ続けている。だが、大きく動きまわるのではない。大量の水ではなく、少量の粘泥の様なと評するべきか。

「―――わたしゃアサシンのサーヴァント、マスターはあのお嬢ちゃん。怨みはないが勝つ為だ、ちょっと死んじゃもらえないかね?」

 マスターの蝋の様な白さに比べれば、アサシンはまだ、青白いという程度の不健康さに留まっていた。
 だが、細い。あの黒衣のサーヴァント――おそらくライダーだろうが――の、引き締まった四肢とは趣が異なる。必要な肉すら不足した、痩せ過ぎの脆い肉体の女性。それが、この場に居た者達の、アサシンに対する第一印象だった。

「セイバー、あいつを倒しちゃって。私はアーチャーに守ってもらうから」

「ちょっと、私のサーヴァントよ……でも、異論は無いわ。アーチャー、私たちを守って。あの能力なら、セイバー1人で勝てる……万が一の可能性も絶っておきたいわ」

 受けた印象に違わず、アサシンのステータスは、決して優秀とは言えないものだった。
 筋力や魔力にはやや優れるが、敏捷と耐久は平均より劣る。クラス固有の技能は1つだけ。そもそも、暗殺者(アサシン)というクラスなのだから、正面から戦う事は不得手である筈なのだ。恐れるべきはマスターの暗殺であり、姿を確認出来てしまった時点で、アサシンはそれほどの脅威ではない。

「お安い御用よ、霊夢。鼠の刺身を作ってみせるから」

「おお、そいつは美味そうだ。ご相伴に預かりたいねぇ」

 霊夢とアリスは可能な限り近づき、アーチャーが周囲全てに神経を尖らせる。
 気配遮断を行えるアサシンは此処だ、他のサーヴァントが接近すれば感知は可能。奇襲の可能性を絶ったと確認するや、セイバーは二振りの刀を翳して、アサシンへと向かって踏み込んだ。





 改めて語るまでもない程に、この二者の力量差は歴然としていた。武器を用いての戦闘は専門外の二人(マスター達)でさえ、どちらが有利なのかを見誤る事はない。

「は、りゃっ、らあぁっ!」

「ぐ……ぎぃ、この馬鹿力が……!」

 技術を用いる事すらなく、セイバーはアサシンを圧倒している。
 ただ力任せに刀を振るうだけで、その一撃は爆薬のように、受けた腕の力を奪い取る。なにも考えずに腕を振り回すだけで、その圧倒的速度は、アサシンの離脱を許さず、雨霰と剣閃を降らす。
 アサシンは、両手にそれぞれ短い杭の様な武器を持ち、セイバーの剣劇を防いでいたが、1つ防ぐごとに苦悶の声を上げ、大きい一撃を受けると体が後方に流れる。速過ぎて受け切れなかった幾つかは、痩せぎすの腕を斬りつけて、血を流させていた。
 アサシンには、隙を突いての反撃すら許されていない。防御を解こうとした瞬間、その間隙に切っ先が割り込む。防御の合間を縫う技術ではなく、ガラ空きになった瞬間を見て取る動体視力と反射神経、割り込みが叶う速度をこそ称えるべきだろう。ただ子供のように武器を振り回すだけで、セイバーはまさしく最優のサーヴァントで有った。

「こんなもんなのアサシン? つまらないわね、所詮は日蔭者か!」

 左手の刀を振り上げる。短刀で受けたアサシンは、そのまま天井まで打ち上げられた。天井を蹴って後方に退避し、間合いを空ける事が出来たのは、むしろ流石というべきなのだろうが、その様な些細な体術、セイバーの前にはまるで無意味な大道芸であった。
 セイバーの振るう刀が短刀に打ちつけられ、掘削機の様な轟音を上げる。空気を刃が斬って、ひゅうひゅうと笛まがいの音を鳴らす。もはや暴風域の中心、台風の目となったセイバーに、アサシンが勝てる道理は僅かにすら無かった。

 だから、霊夢の直感が、警報を鳴らしたのだろう。
 ここまで勝ち目がないのなら、何故、あのこいしという少女はアサシンを逃がさないのか。このまま戦わせればアサシンは確実に負ける。それはこいし自身の、聖杯戦争での敗北を意味する。
 いいや、おかしいといえばおかしいのは、その運用方法にも有ったのではないか?

「すっごく嫌な予感がする。アリス、アーチャー、力貸して」

「……どういう事よ……?」

 理詰めで解いて行っても、いつかこの違和感の原因はつかめただろう。
 だが今はそんな手段よりも、心の奥の方で、喚き散らしている何かを捕まえる方が早かった。
 周りを見ろ、周りを見ろ、霊夢の頭蓋の内側では、誰か、何かが叫んでいる。。

 この感覚は、あの黒衣のサーヴァントと、セイバーが戦った時のものにも似ている。
 仮に向こうの宝具が解放されていたら、セイバーは危なかったという確信が有った。あの時に感じたのは、敗北という危険に対する恐怖感だったのだろう。

「早く! アーチャーの索敵範囲を広げさせて、精度が落ちてもいいから! 何が何だか知らないけど、相当ヤバい気がしてんのよ!」

 何かが違う。
 恐怖という同一カテゴリに属しながら、霊夢が味わっていたのは、まるで違う感覚だった。
 それは、理由の存在する、理解できる恐怖などではない。闇を孤独を人が恐れるように、本能がこれを恐怖すべしと定めたものに相対せねばならない。そんな確信が、勝利の予感を押しつぶした。
 索敵に意識を裂かせれば、その分だけ瞬間的な反応がおろそかになるだろう。それでも霊夢は、アーチャーの戦力を索敵に裂かせた。万が一アサシンがセイバーの攻撃をすり抜けてくる事を考えるよりも、何かが自分達に僅かでも近づき、そこに存在する事の方が怖かったのだ。
 アーチャーの魔力が、音よりも早く這っていく。彼女を中心として半径1000m以上にも及ぶ、全サーヴァント最長の探知距離。その上で更に、本人の意識を努めて注ぐ事で、索敵範囲を広げた。

「……蝙蝠だの、フクロウだの、小さな生き物ばっかり――――!? おいおい、なんだこりゃあ……本当だ、ヤバい、ヤバいぞセイバー!?」

 霊夢もアリスも、一日ばかりアーチャーを見ていた。彼女は、一言で言えばマイペースだ。あまりにマイペースなものだから、マスターである筈のアリスが振り回される。きりきりまいするアリスを余所に、決して変わらぬ自分を貫く、それが霧雨魔理沙である筈だった。
 だから、アーチャーまでが焦りを表に出したのは、霊夢にもアリスにも、信じがたい事だった。

「……遅いねぇ、あわよくば私が死ぬのを待ってたのかい? これだからうちのマスターは、肝心なところが甘いって……」

「1900、1700、1500……ああくそ速い、もう届くぞ、800、600! 初撃に備えろ、とにかく命を守れ……来た!!」

 アーチャーに言われるまでもなく、霊夢は既に自分の周囲に、可能な限りの防御結界を張っていた。アリスはそこへ潜り込み、どうやら自分自身に強化魔術を掛けた上で、廊下にしゃがむ。
 黒衣のサーヴァントの蹴り、セイバーの剣劇は、雨と形容できた。天から地へと一方的に打ちおろされ、1つや2つでは止む事がないもの。繰り返し、繰り返し叩きつけられるものとしての比喩だ。
 その時に生じた衝撃は、性質は似ていたかもしれない。だがとても、雨などと呼べるぬるい代物ではなかった。

 耳を劈く、ジェット機紛いの高轟音。
 廊下にスコールが降り注いだ。横殴りの、ガラス片を水滴の変わりとした、プリズムの様な突発性豪雨。割れた全ての窓から、人間を壁へ押し付ける程の〝圧〟が流れ込んできた。
 きっと、魔力に、それ自体の移動速度が重なった末に生まれた衝撃なのだろう。コンクリートの校舎がガラスに削られ、壁に無数の白線を残す。
 防御態勢を取っていた霊夢達も、幾つかガラス片での裂傷を受ける羽目になった。アリスは左手に浅く2つ。霊夢は右手と右足に1つずつで、後は本当に小さなものがあちこちに散らばる。
 誰も、数えている暇はなかった。セイバーとアサシンの戦闘も、今だけは乱入者の〝圧力〟に止められている。

「……何よあいつ。あんなのって有り?」

「ありもあり、大ありさぁ。あたしゃ勘弁願いたいけどねぇ」

 巨体ではない。セイバーとそう変わらない体格だろう。然し、手足を小さく動かす事さえ、それに掛かれば、山を動かしている様な錯覚を受けさせられた。
 それが身に纏う鎧は、色が褪せていた。
 仮に黒一色だったのなら、黒い鎧だと言う事が出来ただろう。白一色でも同様に、だ。だが、その鎧は黒の上に、煤けた白が広がったものだった。それは、多色の華美な装飾が、長い年月のうちに色を失い、ただ濃淡だけが残った様な姿だった。

「■■■■■■■■■■■―――!!!」

 それは、自らの色を失った、狂の化け物だった。





 私立命蓮寺高等学校から、3kmほど離れた小高い丘。その頂上の雪の上に、二つの影が座し、遠く離れた戦闘を観察していた。

「見えづらいが……一階廊下、『あれ』のほかに影が5つ。二階廊下に1つだ」

「ふうむ。知覚共有で見ている分には……アサシン、おそらくサーヴァントだろう者が2体、包帯を手に巻いた娘が2名だ。数は合うな、間違い無いと見て良いだろう……ああ、マスターの片方は博麗の巫女だ」

「ほう、博麗の巫女? 懐かしいな、遠く縁のなくなった存在だ……」

 1人は、狩衣にスカートという奇妙ないでたち――を、更にコートを羽織って奇妙をプラスしている。
 座し、目を閉じ、見える筈のないものを見て読み上げるその少女は、敷き布代わりの雪と競うばかりの、煌々たる銀髪を後ろに纏めていた。

「で、布都。『あれ』をあの状況に放り込んでなんとする。訳がわからん事になったぞ」

「我も分からんぞ、ああもなってしまえばどうにもならん。理解するだけ無駄だろうて」

 その隣にいる女性は、脚が無かった。そこに有る筈の部位は、白い霊体に取って代わられている。真冬の夜の寒気に上着を羽織る事もなく、ただ一枚の衣で過ごしているのは、常人ではないのだろう。
 明らかに神秘の側に属するだろう彼女の、然し手にしているのは、最新式の望遠・暗視スコープだった。
 3kmの距離を隔て、亡霊は校舎内の戦闘を観察している。例え並みの視力しか持たずとも、河童の最新技術の結晶は、僅かな光を集めて視認可能なレベルまで持っていく。磨きあげられ、幾重にも重ねられた計算に支えられるレンズは、米粒ほどにも見えないだろう人影を、表情が認識できるレベルにまで拡大する。
 このような代物、一般に出回る程安価には作れず、大量に生産する事も出来ないだろう。極めて限られた者しか受けられぬ技術の恩恵――それは、魔術とは別な方向に、余人の想像の及ばぬところである。

「……無責任な事を言うな、随分と。サーヴァントが1ヶ所に4体も揃うだと? 知られてもそう困らぬ駒だが、だからと言ってあまり見せびらかすのも考えものだ」

「心配はいらぬよ。マスター4組のうち、1つはあのさとり妖怪……知ろうが知るまいが、あれはあれのままだ。今、アサシンと戦っている2組は……おそらく協力関係だろうな。他の組に情報を渡しはするまい。
 それにな、屠自古。お主の言う通り、知られて困る事など何もなかろう? 技を使うでもない、宝具を使うでもない。狂った脳のまま狂った様に凶を振るう、あ奴の力ならばな」

 物部布都、蘇我屠自古、この2者こそが他でもない、褪せた鎧のサーヴァントのマスターだ。
 通常、マスターとは単身でマスターとして活動する。令呪を用いる事でマスター権を譲渡、委託する事は可能だが、同時に二者がマスターとして存在する事は少ない。
 ……少ないと書くのは、決して無いとまでは言い切れないからだ。例えば契約の際に、マスターとサーヴァントをつなぐ魔力のラインに細工を加える事で、令呪をAが所持し、魔力供給はBが行う……という事例も、過去には存在した。
 この2人の場合、それに近いが更に楽な方法だ。布都が契約を結び、令呪を所持し、命令を下す。屠自古は、サーヴァントではなく、布都に魔力を供給する。布都と屠自古の間にもまた、使い魔契約にも似た関係性が有り、魔力の相互移動は比較的容易。
 聖杯戦争に参加するにあたり、2人は、片方を魔力タンクとする事でサーヴァントの宝具使用回数を増やそうと企んでいた。
 宝具を多く使えるということは、それだけ周囲に対し優位性を確保する事ができる。強力な宝具を持つサーヴァントを呼び出し、力任せに蹂躙する事が、理想の戦術だった。
 そしてこのプランは、布都が呼び出したサーヴァントが狂化の英霊で有った為、別方向に力を発揮する。
 本来なら狂化は、マスターの魔力を激しく吸い上げる事になる為、長期的戦闘には不向きである。だが、千数百年の眠りから覚め更に数百の年月を重ねた尸解仙と、二千年以上を過ごした怨霊のタッグならば、自らの魔力を枯渇させる事もなく、目的の場所にサーヴァントを解き放つだけで、目的を達成できるのだ。
 腹を減らした野獣を檻から放てば、気の向くように狩を始めるに違いない。理性を失った怪物を、この2人は御そうとすらしていなかった。

「……然し、何故こうも遠回りな事をする」

「遠回り、とはどういう事だ?」

「お前なら、あの校舎1つ丸ごと、爆薬で吹き飛ばすかと思っていた。或いは……顔が知れているのだ。家に火矢でも放つか、とな」

 望遠レンズを覗きながら、屠自古は、それが当然であるかのように問う。問われた布都もまた、おかしな事を聞かれたとは感じていない風の面構えで、

「そうさな、それが楽だろうて。今の世は銃器とやらも発達しておる。我らの腕では扱えずとも、数十kmの射程を持つ砲すら存在しよう。……が、我はそれを選びたくない」

 近代兵器の正確性と殺傷力は、魔術に決してひけをとらない。寧ろただの人間を殺害するという事に掛けては、魔術に大きく勝っている。
 魔術は、人の為の術だ。一方で武器とは、人を殺す為の道具なのだ。1つの用途に特化して発展を続けた武器に、魔術師が勝る道理はない。

「らしくもないぞ。理由は?」

 それが分かっているからだろう。屠自古は、詰問するような口調にもなる。自分と共に闘うこの小さな娘が、策謀と武に長けた厄介な少女だと知っているからこそ、自らの最大の武器を封印する事に、疑問を覚えたのだろう。

「屠自古、誇れるか?」

「誇れるともさ、勝つのなら。正道にて負けるなら、私は外道の勝利を誇るぞ」

 屠自古の思考は、良くも悪くも直線的だ。目的達成の為ならば、その他全てを犠牲にする事も厭わない。仮にそれが最善手となれば、己の命さえ、投げ捨てる様に差し出すだろう。

「例え太子が負けを喫したとて、太子に抱く我らの誇りは揺るぐまい?」

「……そうだな」

 忠義と、目的遂行の意思ならば、布都とて負けてはいない。だが彼女は、少しばかり理想に傾き過ぎていた。

「勝ちたいとも、勝って我らが主を取り戻す。死する前も死して後も、我が忠義に一筋の傷もない。だがな、屠自古。我らが主の尊厳、偉大なる精神は、敗北を経て猶もまだ崇高であった。ならば、それを我らが、我らの戦いで穢す事など許されまい」

「戦争だぞ?」

「分かっておるとも、勝たねば全ては綺麗事だ。全ての反則が推奨される場、それが戦場だ。
 所詮は自己満足よ、あの方の復活に一つの瑕疵も認めなくない。ただそれだけだ。我らに与えられた駒は暗殺者ではない。なら、我もまた暗殺者の真似事はせずに勝ち抜こう」

 言いたい事ならば、屠自古には幾らでも有っただろう。が、反論は声にならず、口を開いたままで暫く固まっていた。両腕を組み、軽く俯き、

「……やれやれ、年を取ると頑固になるというのは本当だな」

「すまんな、屠自古」

 呆れた様な、諦めた様な、だが不快感を示さない溜息を、屠自古は漏らした。
 本当に勝利だけを目的とするのなら、数十数百の策謀を重ねて、マスターだけを殺害する事も出来よう。勝利へ続く最短距離を敢えて走らず、大路の中央を行軍しようという布都は、自身と誇りに満ちていた。生前も、死後も、一度たりと自らの信じる所に疑問を持たなかった、異才の少女であった。

「……で、これからどうする……? と、戦闘の現状は……アサシンが白黒魔女を誘い出したらしいぞ。校庭に移動している」

「ああ、いつの間にか見えなくなっていると思うたら、そういう事か。屠自古、その白黒を観察しておけい。アサシンでは長くは持たんぞ。
こちらは……ああ、やはり強いな。だが勝てない程ではない……このままならば、だ」

 望遠レンズと知覚共有。正反対の手段で戦場を観察しながら、2人はこの戦争のプランを練る。彼女たちの目には、自らのサーヴァントが、敵サーヴァントと互角以上に戦っている様が映っていた。

「刀二振り、セイバーだろうな。おそらくはあれが最大の敵となるに違いない」

「では、あ奴らをアサシンに監視させるか。何か有れば、あのこいしとやらから我らに通達させる。狙い目は……そうさな、あ奴らが他のサーヴァントと遭遇した、その瞬間。我らは常に遊軍となり、戦闘が起こり次第そこへ介入するとしよう。最悪で1対1、あわよくば2対1以上の状況を作れれば、セイバーといえど勝算は高いぞ」

「……つまり、あの話の通じない娘の説得をしてこい、という事だな? 全く、私を文遣いか何かだと勘違いしていないかお前は……おまけに魔力まで搾取しよって」

「あれを我1人の魔力で養うのは無理だ。お前が居てくれねば、とうに我は干からびておるよ。あの大喰らいの鬼子、今も滝のように魔力を浪費しておる」

 2人の戦略の根幹は、いかにして数の不利を作らずに戦うかという事にあった。常に複数で動く敵を監視し、戦闘が始まり次第、自らのサーヴァントを投入して場を拮抗させる。それはとりもなおさず、1対1で戦うなら、自らのサーヴァントが最強だと信じている事に他ならなかった

「まだ持つか? 無理な様子なら、直ぐにでも魔力の供給を始める……これだけ離れていれば察知もされまい」

「うむ、頼もう。我の意識はサーヴァントに全て向ける。任せたぞ」

 過信はしない。過小評価もしない。全ての要素を適切に、正しい数値で捕え、判断をする。こと争いに関してならば、この2名以上に長けたマスターは、第5次聖杯戦争に於いて他にいなかった。
 白雪の丘に二つの影が、月に照らされ伏していた。






 空間の広狭は、もはや褪せた鎧の狂者を留める理由とは成りえなかった。
 天井を疾駆し壁に立ち、床を一時の止まり木としてまた飛ぶ。鋼に包まれた腕が振るわれるごとに、鎧の隙間から噴出する魔力が暴風となり、床に散らばったガラス片を巻き上げる。
 一直線に進むと事を厭うのか、怪物は多角の線を描いて、獲物目掛け突き進む。

「あれが、バーサーカー……」

 アリス・マーガトロイドは嘆息した。
 無骨な鎧だ。己の真名を覆い隠すためのそれに、積み重ねられた誉は無い。飽きられたドールにも似て、人の手による傷は限りなく薄く、経年劣化の色落ちが激しい。趣味で集めている人形達に比べて、あの狂気の塊は、間違いなく醜いと言えるだろうに。
 だが、全ての生物が生まれながらに備える機能美を嘲笑うかのように、その一挙は暴力的に美しい。
 その足が踏みなした道に凡俗は、侍るは言うに及ばず、背を仰ぎ見るさえ許される事はなく、その手が触れた万象は、散り果てる事を義務付けられたかの様に、砕けて崩れ去っていくだろう。
 戯れに振るう腕が、脚が、敵対者へ一方的な支配を告げる。それは生まれながらにして強者と定められたものだけに許された、他を顧みぬ暴虐の君臨であった。
 死が逃れ得ぬ距離にあると、心が凍りついてしまうという。死の恐怖そのものに殺されない為に。ならば今のアリスは、感情を凍らせて、狂者の蹂躙を待つばかりの身なのか。
 いや、彼女は魅了されていたのだ。
 適切な理論と永遠に積み重ねられ続ける正当性の生む、理路整然とした秩序の中に生きる魔術師は、全ての〝正しさ〟を喰い殺す化け物の有り方に魅入られてしまったのだ。
 きっと自分は死ぬだろう。これまでに抱え込んだ理屈と共に、あのサーヴァントに引き裂かれる。暴力と混沌の海に沈み眠るのは、一度『殺された』あの夜の白い光にも似て、全てが満たされた心地になるのだろう。

 暴君の檻に囚われた心を解き放ったのは、正道の騎士の一撃だった。
 三騎士の一角にして最優のサーヴァント、セイバーの、様子見を伴わない全身全霊の一太刀。振るわれる腕を掻い潜り、我が身を矢と変え突き進み、確実に首を切り落とさんと振るわれた霊刀は、狂の英霊の面を掠るに留まる。
 それでいい、それだけでいい。専横の君主に抗うも、また騎士の華。夜闇を払う白刃の美は、決してかの褪色の鎧に劣ってはいなかった。

「アーチャー……魔理沙、邪魔。離れてて」

「ああ、そうさせて貰う。こんなのとやりあうなん勘弁だぜ」

 自ら進み出て、その背に全ての味方を負う。自身のマスターも、協力者たる魔術師も、その使い魔たる英霊も。
 直観スキルを持ち合わせない彼女が、自然と悟っていた。この場で〝あれ〟と戦えるのは自分だけだ、と。あの狂霊の前には、懐かしきモノクロの魔法使いさえ、薄紙の如くに引き裂かれてしまうだろう、と。
 同じく、庇われた魔法使いも、その長い戦いの経験と知識によって理解していた。〝あれ〟は自分の手に余る。どうしても戦うというのなら、相応の準備が必要だ。人が鬼に勝るには、美酒と幾重もの策を必要とする。ここにあるのは、策を練る頭だけだ。

「アリス、あの重苦しい白黒鎧、対魔術スキルは有りそうか?」

「ええ、多分……はっきりとは分からないけど、セイバーよりは低そう」

「ありがとさん、それが分かれば十分だ」

 射出武器ではなく魔術を主に用いるアーチャーは、聖杯戦争に於いては異質の存在だろう。その在り方、ステータスの偏りは、寧ろキャスターとしての適性を窺わせる。
 なればこそアーチャー霧雨魔理沙は、対魔術スキルを、キャスター以上に警戒しなければならない。魔術は万能に思われるかも知れないが、彼女には魔術「しか」ないのだから。
 長時間セイバーを見ていたアリスは、彼女の対魔力スキルを『B』と判定していた。おそらくあの狂霊は、それより1つほどランクが低い……Cランクと見て良い。アーチャーの宝具『ミニ八卦炉』さえ有れば、数小節の詠唱で打ち破れる防御だ。この場では勝てない。だが、未来永劫勝てない訳ではない。
 ならばアーチャーの相手は、狂霊の背後に控えるアサシンだ。あれも、セイバーと正面から戦って生き延びれる強さはない。それどころか、戦いの余波に巻き込まれる事すら避けたいだろう戦力でしかない。霊夢とアリスを同時に守って戦うより、アリス1人を守る事だけ考えられる1対1の方が楽だ。

「お互い辛いなぁ、ん?」

「ハ、そうだねぇ……」

 校庭を親指で指し示すアーチャーに、共に正面から戦うを得手としないアサシンは共感を示す。砕け散ったガラスの隙間を縫い、校庭に飛び出した病痩の身を、アリスとアーチャーは同時に追った。
 暗殺者が望んで平地に立つ理由など、数十数百通りも予想は出来たが、その企みのどれ一つとして、決して自らの主に届きはすまいと、アーチャーは絶対の自信を持って戦場を移した。




 視界に留まる邪魔者1つと、後方に佇んでいた邪魔者1つが消えた事に、狂霊は喜色を表す事も無かった。
 鎧と同色の鉄仮面の下で、紅玉の如き瞳は、ただ剣の英霊だけを求めるかの様に瞬く。校舎の一階廊下は今宵、英霊の踊るコロシアムと成り果てた。
 セイバーの一太刀は、滝を纏めて叩きつけるような重圧を持って、狂霊の身を穿たんとする。
 左右に2m、上下に2,5m。廊下は、底面積5㎡の直方体状の空間だ。刀を振り回すには十分とは言えない広さだが、然しセイバーに躊躇は無い。背面から大きくアーチを描いて振り下ろされた太刀は、敵対者の断頭を確約された一撃だった筈だ。
 それを、狂霊は事もなげに避けた。頭蓋を断つべく振るわれた刃から、一足の後退にて3mは遠ざかり空を切らせ、また太刀が振り上げられるまでの僅かな猶予を突いて、セイバーの懐へと入り込んだ。
 そこに技術の介在はない。セイバーがアサシンに対して純粋な身体能力の差で圧倒していた様に、狂霊は速度という一点を以てセイバーを翻弄し、己の間合いへと引きずりこんだのだ。
 左右の拳が、右の爪先が、セイバーの腹を狙って放たれる。どれも子供の癇癪の様な拙さで、だが触れれば骨を砕き肉を抉る鉄杭の貫き。
 人体が受け止めれば無残な肉片になるだろう打撃が、3発、確かにセイバーを捉えた。ライダーの疾走をすら受け止めていた脚が浮き、セイバーの体は枯葉の様に舞い、

「■■■、 ■■■■■■■■――ッ!!」

 言語化し難い原始的な怒りを秘めた絶叫。狂霊の左手が、未だ空中に居るセイバーの右肩を掴む。
 反撃はおろか防御すら間に合わない。引きずり降ろされたセイバーの胸へ、カウンターの様に狂霊の右拳が突き刺さった。
 廊下を、床と並行に10mは吹き飛び、自らの魔力を放出する事でブレーキを掛け、それでも更に5mは転がる。これ以上の追撃を避ける為立ち上がったセイバーの口から、一筋の血が流れていた。

「けほっ、ごほ……こん、な……!」

 力ならセイバーが上だろう。互いに手を組み合わせておし合えば、ほぼ確実にセイバーが押し切り、狂霊を捩じ伏せる。だが、その力も〝当たらない〟のだ。その上に相手の一撃は、やや劣る力を速度で補い、十分セイバーを屈させるに足る。

「セイバー、無理なら逃げるわよ! こんなのとやり合うのは割に合わな――」

「逃がしてくれるわけないでしょう! こういう奴はしつこいのよ、噛みついたら離れない野犬だわ!」

 叶わぬ相手と見て撤退を図る霊夢は正しい。だが、セイバーの言う事も全く正しい。
 戦場を変えたアーチャーを、あの鎧の狂霊は追おうともしなかった。その目は常にセイバーに向いていたのだ。仮にセイバーが背を向けたなら、速度に勝る狂霊は、嬉々として無防備な背中に爪を突き立てるだろう。
 逃げてはならない、逃げられない。射程圏内に捉えられた恐怖は、英霊をして心胆寒からしめるものだった。

「……ったく、躾のできてない犬は嫌いなのよ」

 得物は二振り、博麗の御神刀と守矢の霊刀。左手に構える無反りの片刃、刃渡り2尺の軽量の一振りを、セイバーは狂霊へ向けて付きだした。
 サーヴァントに通常の兵器は効果が無い。何らかの神秘に後押しされなければ、英霊の体には傷を付けられない。博麗神社に備えられ、またセイバーの強化魔術の恩恵を受けたこの刀なら、サーヴァントにも十分なダメージを期待できよう。
 刃の切っ先が狙っていたのは、甲冑の継ぎ目が見える喉元。銃弾程も有ろうかという速度で、鋼の先端が狂霊へ迫る。
 だが、それすらも容易く見切るのがこの怪物だ。刃の到達寸前で、セイバーの腕の動きとほぼ同速度で、また後方に退く。左腕の伸びきったセイバーは、左脇から脇腹に掛けてを無防備に曝す事となる。弱点が広く曝け出されるのを見て、狂霊は舌舐めずりせんばかりに、鉄仮面の下の目を光らせ飛びかかった。
 当然の様にセイバーも、それを予測していた。
 ここまでの戦闘で理解できた事だが、この狂霊は、回避にバックステップを好んで用いる。円を描くような回避は、高い技術を必要とする。理性を失った狂人に、技術を用いようという発想などないだろう。迫る脅威から身を避けるのに、ただ一歩の後退で足りる。それだけの脚力を備えているのが、この狂霊だ。
 一つの挙動で回避を完了したならば、目の前には攻撃をしくじり、隙を曝した敵が存在している筈。それをまた一歩の前進で埋め、パイルバンカーの様な拳脚で打ち抜くのが、狂霊の狩の常套手段に違いない。
 果たしてその推察の通り、褪色の鎧は一直線に襲いくる。
 拳足の間合いに入る寸前、時間にすれば数十分の1秒。セイバーの右手の太刀が、横薙ぎに降るわれた。東風谷早苗に押し付けられるよう渡された霊刀、それ自体が十分な神秘を帯びた魔術的武装。刃渡り4尺、浅い反り、分厚い刀身を持つこの刀の本質を、受け取った当人である霊夢はまだ知らない。豪壮にして華美なこの太刀は、霊的存在への特効を持つ――ランクD相当の、人界の宝具であった。
 銃口を向けられた烏が飛び立つように、火には熊や狼すら警戒心を見せるように、狂霊は自らの脚を狙う太刀に、本能的な恐怖を覚えた。
 後退から前進へと行動を切り替え、体は今まさにトップスピード。ランクA+を誇る自らの敏捷性が、自らへの枷となる。後退出来ぬと見るや、狂霊は四肢全てで床を叩き、自分の体を天井にまで打ち上げた。背中を強く打ち付けるが、その程度のダメージは負傷の内にカウントされない。両膝を斬り落とし地を這わせ、止めを指す猶予を与え得る斬撃。それすらも避けてなお、狂霊はセイバーへと迫った。
 前進と上方への跳躍が合わさり、斜めに急角度で打ち上げられた結果、狂霊はセイバーの頭上に位置している。偶然にも手が届く位置にまで来た獲物の首を刈り取るべく、狂霊は両手の指を開き、手を伸ばし、

「……はん、犬はやっぱり犬ね、うちの猟犬を見習いなさい」

 届かない。セイバーは逸早く膝を曲げ、頭を低い位置に下ろした。攻撃が失敗に終わった事を理解した狂霊は、また距離を取ろうとし――蹴る床が、足元に無い。
 鎧の狂霊に、戦術という概念はない。空振りを誘っての攻撃も、そうしようと考えているのではなく、一瞬一瞬の反射的行動の産物だ。攻撃があれば避け、仕留められそうなら攻撃する。単純な二つのルールに則って荒れ狂う怪物を、正面から完全に抑えきるのは難しい。
 なればこそセイバーは、跳躍を誘うような2手を伏線とした。速度の発生源である両脚が空を切る、ただ1つの場所を探した。天井から床まで落下する間の空間。それこそが、狂霊の全ての力を削ぐリングだった。
 近い、刀を閃かす距離ではない。セイバーの手は刀を捨てた。オーバースローの如く巨大な弧を描き、右拳が背中から頭上へ、そして狂霊の腹へと叩きこまれた。
 刀の様な細い金属塊を以て、工事用重機の如き轟音を響かせるセイバーの力が、ただ一点に集中された拳打。破壊的、と呼ぶに相応しかった。狂霊の魔力で補強されているだろう鎧が、純粋な物理的衝撃だけで破損し、防御機能を放棄する。金属の鎧を内側にへこませ、内部の肉を打ち据えて、それでも余りあるエネルギーが狂霊を床に叩きつける。セイバーの拳、狂霊の鎧と体、学校の廊下。最も軟弱だったリノリウムは衝撃に耐えきれず、天井に突き刺さる程の破片を撒き散らした。
 動きを止めた相手には追撃すべし。床に身を食い込ませた狂霊に、セイバーは今度こそ、二振りの刀を振り下ろす。

「■■■■■■■■■■■――……!」

 心臓と首、それぞれを狙っての刺突。1つは体ごと回避され、もう1つは鎧の腕に阻まれる。金属の鎧を貫通し、肉を裂き骨を砕いた刃には、不思議と血が付着する事が無かった。
 腱を切断した手ごたえが、確かにセイバーの指先に伝わる。狂霊の右腕は力を失い、重力に引かれるままぶら下がった。床に体がめりこむ程に叩きつけられて直、即時戦闘復帰が可能な耐久力、速度。だが、片腕を破壊された今となっては、後は時間の経過とともに不利になり続けるばかりだろう――霊夢は、そう思っていた。

「っよし、セイバー、今のうち!」

 それは、英霊という存在を、そして過去の幻想を知らないが故の誤認だった。

「駄目よ、霊夢。あいつはそんな温くない……!」

「……はぁ!?」

 セイバーは踏み込めない。この瞬間が好機ではなく、寧ろ危険なタイミングだと分かっていたが故に。
 狂霊の鎧は、既に修復されていた。拳によって穿たれた穴も、刀が貫通した跡も。傷口から血が流れなかったのは、〝流血の前に傷が修復されたから〟だ。貫かれ破壊された筈の右腕が、指を鉤状に曲げて掲げられる。

「……こーいうもんなのよ、若いもんには分からないでしょうけれど」

「あんた達の時代に生まれなかったのはラッキーね……どーすんのよこの化け物。出し惜しみしてちゃもう無理じゃない……セイバー、宝具を」

 果たして、狂霊の傷は完全に消え去っていた。
 体内のダメージの程は分からない。修復に消費した魔力も、少ないとは言えないだろう。然し、負傷させる事によって行動の自由を削ぐ戦術は無効であると判明した。
 四肢全てが必殺の凶器であり、異常な自己治癒能力までも備える。回復能力は宝具なのか、それとも固有スキルの産物か。いずれにせよこの怪物は、セイバーの手にすら余る代物だ。
 だから、霊夢の懸念は的を外していない。セイバーが得手とする近接戦闘で勝利出来ないなら、宝具で押し勝つが最善の選択だ。

「いいえ、必要ないわ。私はこいつに勝たなくていいの」

 だが、勝利する必要が無いとなればどうだろう。
 敗退せず、大きな負傷をせず、ただ延々と戦闘を引き延ばすだけで良いとなればどうか。今夜の決着を付けるのは、この二者ではなく外的要因だとすれば、どうか。
 大気中に存在する密度の薄い魔力が、強引に一か所に掻き集められ色を為す。金色にも近い黄色、煌々と放たれる光、それ自体に重さを感じるような明るさ。

「待たせたな、戻ったぜ!」

「……本当に、貴女は何時もせっかちよね、魔理沙」

 割れた窓の桟を踏みつけて、アーチャーが火炉を狂霊に向けていた。





 両腕とも、数えるのが面倒になる程の切り傷が有る。スカートに両脚は隠れて見えないが、靴の変色具合――赤と黒の混合色から、そちらも相当に傷が多いのだろうと予測出来る。片目を閉じているのは、額から流れた血が入らないようにしている為だろう。アリスを守りながら凱旋したアーチャーには、明らかな苦戦の痕跡が見られた。
 特に大きな傷は、左脇腹から斜めに腹部を通過する、15cm程のもの。傷を塞ぐように触れさせた左手は、現在進行形で治癒魔術を行使しているようだった。

「……相手はアサシンでしょ?」

 負傷の状況を見て取った霊夢の声は、訝る様な咎める様な、そんな響きを含んでいた。
 暗殺者(アサシン)を敵に回すなら、恐れるべきはマスターの暗殺、或いは諜報活動というのが定石である。直接の戦闘を行うならば、その為のスキルやステータスに劣るアサシンは、サーヴァントの中でも弱い部類の筈だ。
まして戦場は校庭、雪は有ると言えど平地、遮蔽物は無い。狙撃手(アーチャー)が苦戦する要因は薄いだろうに。

「仕方がないのよ……あのアサシン、厄介な宝具を使うから……」

「そういうなよ霊夢、私のマスターはお前じゃないんだ」

「……アーチャー、私がマスターじゃ不満だっていうの?」

「そうは言わんが魔力不足だ、もうちょっと供給してくれないもんかな。まあ、あいつは追い払ったんだ、私が勝った。それでいいだろ?」

 見た目から感じられる負傷の重さとは裏腹に、アリスとアーチャーの会話は、日中のノリそのままだ。
 確かに、言わんとするところは正しい。苦戦の形跡こそ見受けられるが、アーチャーは短時間でアサシンを退けた。アリスの衣服に汚れはない、どうやら攻撃は受けていないらしい。自らの負傷と引き換えにマスターを守り抜いたというのは、サーヴァントの誉れだろう。

「……さあて、そこの鉄仮面。こっちは2人、お前は1人。フリーズ、ホールドアップ、そしてサレンダーだ。お前がいくら早くても星の魔法には及ばない。下手な動きをしたら、この八卦炉が火を吹くぜ? ああ、勿論お前自身に言ってるわけじゃあない。お前のマスターに言ってるんだ」

「マスター……まさか、近くにいるの?」

「知覚共有の魔術だよ、お前にも教えてやろうか、アリス?」

 『ミニ八卦炉』の力とスキル『高速詠唱』、アーチャーは1秒未満で、狂霊に大打撃を与えられる。少々の打撃でダメージを受けたが、セイバーも同じだ。狂霊の体に太刀傷を刻むには、瞬き程の間も必要としない。そして、この二者のどちらも、狂霊の攻撃を数秒以上、無傷で耐え凌ぐ程度の事なら出来るのだ。
 セイバーに向かえば、アーチャーは狂霊とセイバー、2人を同時に薙ぎ払うように魔術を発動するだろう。セイバーの『対魔力』スキルはBランク。それでギリギリ無効化できる威力で放てば、狂霊だけを攻撃できる。
 アーチャーに向かえば更に話は早い。セイバーが背後から接近し、無防備な背を、首を、心行くまで斬り付けるだろう。
 チェックメイト、狂霊の主には投了しか手は残されていなかった。
 理性を持たない狂霊が、セイバーの首を欲して、床に這うかの軌道で馳せる。アーチャーがその背に狙いを定める。振るわれた腕が刀に弾かれるより先に、狂霊の姿は忽然とその場から消え去っていた。姿を隠したのではない。電気のスイッチが落とされるように、すとんと存在が無くなった。

「令呪、か……?」

 何の予兆もなく、一個の存在を消滅、或いは転移させた。宝具を疑うか、令呪の使用を疑うか。あの狂霊に、宝具を用いる理性があるとは思えない。まず間違いなく後者だろうと、アーチャーは推測した。それはつまり、知覚共有の術を、狂霊の主が用いていた事の裏付けにもなるだろう。
 どこまで手綱を握っているかは分からない。だが、仮に完全に御す手段を持っているのならば、無双の暴虐に術者の姦計を加えた、最悪最強の敵が生まれるに違いない。二手に分かれる事になったのは、手の内の半分までしか見せなかったという結果からすれば幸運だった。
 ……尤も、アーチャー霧雨魔理沙は、真名を隠す努力を一切行っていないのだが。

「……あーもう、何よあの化け物。私だって散々化け物扱いされたけど、あそこまで無茶苦茶じゃなかったわ。あんな甲冑が館に飾ってあったら、夜も眠れなくて昼寝する羽目になるわよ」

「よく言うぜ、お前より無茶苦茶な奴なんているもんか。……それよりセイバー、やりあった感想は? 私とアリスは直接見てないんだ――いや、アリスはステータスだけ見たか」

「強い、しぶとい、早いの三拍子。力比べなら勝てるけど、駆けっこしたら私が負けちゃう。多分、腹に穴開けたくらいじゃ死なないわね。しぶとさは私といい勝負よ」

 狂霊の脅威が去るや、セイバーとアーチャーは、過ぎ去った台風の目の戦力分析を始める。常識の外に属するサーヴァントから見て、まだ化け物と評価するに相応しい大妖、それと戦って、然し感情に一切の揺れがないのは、彼女たちの時代にはそれが普通だったからなのだろうか。霊夢は、アリスは、改めて自分と従者との、認識の差異を思い知らされた。

「……そんな事より、一度ここから逃げるわよアリス。あいつ、派手にやりすぎなんだもの。警察か何か駆けつけてきて、私達が犯人にされちゃ癪じゃない?」

「構わないわよ、ここからなら……博麗神社が近いかしら」

「……え?」

「え?」

 戦闘が終わって尚も戦地にある事を良しとしない霊夢が、保身も兼ねて撤退の案を示す。同意したアリスは当たり前の様に、他人の家を一時の休憩場所にする事を選んだ。
 常に1人でさっそうと歩いているのが、霊夢が抱いているアリスのイメージだ。今の案は、そこから大いに逸脱する。耳を疑った霊夢にアリスは、『私何かおかしい事言った?』とばかりの呆け顔を返し、

「まさかこれから、あの……バーサーカー? あれに対策を打たない訳にはいかないでしょ? これからどうやって他のマスターを探すのかとか、話し合いたい事はいくらでもあるわよ」

「ああ、うん……うん、そうよね。いや、構わないわ。ちょっと驚いただけよ。行きましょ、こんなところにいるのを誰かに見られるのはいやだから」

 霊夢の方も、反対する理由はない。腰を落ち着けて相談するなら、慣れた境内が一番いい。博麗の血に馴染んだ土地は、睡眠とマスターの魔力さえ足りているならば、サーヴァントの治癒速度を増すだけの霊力を集めている。
 今現在、霊夢・アリスの同盟関係において駒は2つだけだ。その1つが万全でないのは、手が欠けているも同じ。追撃を図るよりは、アーチャーの回復を待つ間に、以降の戦略を寝るべきである。
 午後11時を過ぎたが、冬の夜明けは遅い。睡眠時間を極端に削る必要は、おそらく存在しないだろう。





 雪を掻き分けざっくりざっくり、神社にくっついた自宅にまで帰り付く。
 主が不在の家というものは、夜間の寒さを防ぐ術がないというのが困りものだ。外気と室内の温度に大差がない。玄関の戸を閉めても、まだ白く息は濁っている。

「おじゃましまーす、寒っ。暖房どこよ……の前に灯りのスイッチどこよ」

「スイッチはあんたの右手の直ぐ上。暖房はちょっと待ちなさい、ストーブ入れてくるから」

 壁に手をついているアリスに灯りを付けさせ、霊夢は一足先に居間は急ぐ。普段は袢纏を羽織って炬燵に入っていれば十分だが、今日は来客が有るのだ、ストーブくらい付けよう。別に日ごろ灯油をケチっている訳ではない。ただ、着火と消火がなんとなく面倒なだけである。
 マッチなんて不便なものは無く、使うのは、引き金を引くだけで火が付く簡易ガスライター。ストーブの芯に火が回り、やがて灯油の力で火力が増していく。
 或る程度火が落ち着いたのを見てから、霊夢は炬燵のスイッチを入れ、脚をそこへ押し込んだ。何かにぶつかった。固くはない、生き物の感触。何故、と思って見てみれば、

「あー、やっぱ冬に神社来たら炬燵だよなー。あと蜜柑」

「炬燵は凄いわよね、これは私の部屋にも欲しかったわ。あと蜜柑」

「……あんた達、なんで実体化してるのよ」

「そこに炬燵があるからだぜ」
「そこに炬燵があるからよ」

 一足先にサーヴァント2人が、肩まで炬燵の中に入り込んでいた。おかげで脚を炬燵に入れるのに一苦労。一番幅を取っているアーチャーの背中の上に、脚を乗せる事で決着を付ける。
 そしてアリスは、醜いポジションの奪い合いを傍観しつつ、ストーブの直ぐ前に陣取っていたのだった。

「……こーして見るとあんた達、和室が似合わないわよね……」

 霊夢の言葉も尤もだろう。炬燵から生えた首も金髪、ストーブの前で膝を抱えているのも金髪。3人中の2人は、雪の様なとでも形容できそうな色白で、目鼻立ちもはっきりした西洋人形的な容姿だ。部屋に釣り合う霊夢の黒髪黒目が、寧ろ浮いてしまいそうな程、部屋の現住人達は華やかだった。

「はあ……疲れが増すわ、あんた達を見てると。アリス、あんたもストーブに張り付いてないの。まず確認よ、あんたのサーヴァントの怪我はどうなの?」

「え、寒いのに……ええとね、傷の深さ自体はそこまででもないし、傷の修復にもそんなに魔力は使わないわ。問題は、そうね……傷を受けてから少し、アーチャーの動きとか反応が鈍いのよ」

「結構おおごとじゃないの、それ」

 先の戦闘による被害を確認しようとした霊夢は、いきなり顔を曇らせる羽目となった。

「私の事だから私が言うが……アサシンの爪、多分毒でも塗ってあったな。傷口だけ塞いだは良いんだが、どうも腹の中身だけじゃなく溜め込んでた魔力までやられたらしい。この程度で死にはしないが、毒が抜けきるまで、他の連中とやりあうのは危ないだろうぜ」

「付け加えると、私からアーチャーに流れてる魔力も、少し滞り気味ね。血管が詰まってる感じかしら、供給量を増やそうとしてもちゃんと流れていかなくて……」

 浮かない表情なのはアリスも同じだ。彼女のサーヴァントはアーチャークラスだが、魔法使いでもあるのだから。アーチャー、霧雨魔理沙は、本人の魔力生成量が多い為、現界させておくだけなら魔力消費量は少なくてすむ。それは実体化していようが変わらない。日常生活を送るだけであれば、彼女は非常に燃費のいい存在である。

「……いっそ霊夢くらいの魔力が有ればねー……詰まってるとか気にしないで、強引に押し流せそうなのに」

「否定できないな、それなら私もやりたい放題だ」

「いや、否定しなさいよ」

「私は正直者なんだぜ」

 だが、事が戦闘に及べば話は別だ。彼女は一挙一動全て、魔力を消費して戦闘を行う。
 空を飛べば、飛行速度の上昇。視力と動体視力のブースト、風圧に負けない為の身体強化。攻撃を受ける前には体を部分的に硬化させ、傷は治癒魔術を以て修復する。敵の位置を探るには探知魔術、発見した敵を撃ち抜く為に攻撃魔術、宝具『ミニ八卦炉』に注ぐ魔力――
 生前の彼女であれば、1人で賄えたのだろう。だが、魔術師としての練度で劣るアリスをマスターとしている今、アーチャーは枷を付けて戦っているも同然であった。
 そして、自分の魔力の供給量では、アーチャーが満足に戦えない事を、アリス自身が良く理解している。
 それは彼女が他ならぬ魔術師であり、アーチャーの技量がどれだけ卓越しているものか分かるからこそだったのだが、分かってしまうが故に、自分の力の及ばない事が―――勿体無い、と感じていた。
 悔しいとか恥ずかしいとかではなく、勿体無い。本来発揮できる筈のスペック通り彼女が動けない、その理由が彼女の外にあるのが勿体無いと、アリスは嘆いていたのだった。

「はいはい喧嘩しない。話を続けなさいよ、毒とかなんとか一切合財纏めて。あの鎧の事は、その後に相談しましょう。このままじゃ夜が明けちゃうわ」

「えーと、怪我の状況だったか。毒がなけりゃあの爪はそこまで怖くないな。いやまあ普通の人間だったら、頭が腐った蜜柑みたいな潰れ方するだろうけど。私でもそこそこ耐えられたし、セイバーなら無防備でも大丈夫なんじゃないか?」

「私は死ぬかと思ったわよ? いきなり地面から爪が生えたかと思ったら、箒に引っ張りあげられて飛ばされて……流石はアサシンね、初撃を防ぎ損ねたらそれで負けるわ。……どんな風だったか、順を追って話すと……――」



 割れた硝子が残る桟に触れないように、靴で確かに踏みつけて窓枠を乗り越える。
 校舎の外は、街灯の光もあり、少なくとも屋内よりは明るかった。
 つい昨日の夜を思い出す。校庭の真ん中でぶつかり合っていた二つの影。見通しが良い筈の校庭に、先に飛び出した筈のアサシンは見つけられなかった。

「逃げたのかしら……いや、隠れてるのよね。アーチャー、アサシンがどこか分かる?」

「………………」

「ちょっと、アーチャー?」

「……正直分からん。気配遮断スキルは厄介だ―――っと来たぜ!」

 アーチャーの言葉が終わるより早く第一撃。それは地中から襲ってきた。校舎内での襲撃と同じ、巨大な爪を――外骨格の脚が振り回していたのだ。
 さながら鎌、いやチェーンソー。触れただけで断ち切られかねない、巨大な刃。私を両断し、そのままアーチャーをも切り裂こうという軌道で振り抜かれた刃は、ひょうと高い音を立てて空を切った。アーチャーに引っ張られ後退した私の数十センチ先を、巨大な脚は通貨していった。

「ちぃっ、勘のいい奴めぇ……!」

「お生憎様、不意打ち奇襲はお手の物なんだぜ!」

 二撃、三撃目は同時に、アーチャーの背後から、やはり私を巻きこむように。空振りしたものとは別の脚が二本、アーチャーの首と腹の高さで横薙ぎに振るわれる。
 先程とは逆、前方に飛び出して、雪の上を転がるように回避した。
 正直に言えば、最初の一撃のほかは、然程速い訳でもない。アーチャーなら回避は十分に叶う速度だろう。でも私にしてみれば、軌道を見る事だけで精いっぱいで、とても避ける事など出来ない。この場にいる以上、私は案山子も同様。サーヴァントの戦闘に於いては、脆い荷物でしかなかった。
 四、五、更なる追撃。雪の上に転がったアーチャーに1つ、そして私の頭上に1つ。咄嗟に頭を腕で覆い屈んだ私の上に、アーチャーが体当たり気味に被さった。そのまま、私を抱え込むようにして前転、爪を逃れ――いや、逃れられない。背中に一筋、切傷が走る。

「アーチャー!?」

「大丈夫だ! 飛ぶぞ!」

 アーチャー程の魔力と技量があれば、飛行の際に補助道具など必要ない。だから、普段使っているのとは別の箒をわざわざその場で作ったのも、私を拾い上げる為のものだったのだろう。魔力を終結させ、形状を整えるまでに一度、アーチャーの腕を爪が掠める。
 振り下ろされた爪を側面に動いて回避し、私に駆け寄るまでに一度、脇腹の布を爪が引っかけていった。
 箒にまたがり地面を蹴る。跳躍から浮遊、上昇しようとして、

「逃ぃがしゃしないよぉ……!」

「こいつは――もっと〝長かった〟のか!?」

 私達の頭上に、二本の爪。地上からの高さは3m程になるだろうか。地中から伸びる腕は、爪も含めて1.5m程に見えていたし、実際にそれ以上の距離までは追ってこなかった。
 それを前提にアーチャーは回避を続けていたのだ。その計画が、上昇という単純な行動の途中で崩れた。
 精確に私達2人を、頭から貫き通そうとする爪。

 アーチャーは、箒を強引に後方へ進めながら、その片方を蹴りあげた。後ろに座った私を爪から逃がしつつ、降ってくる爪に対し、仰向けになりながらの爪先蹴り。頭蓋を貫通する筈の軌道は絶妙にずらされ、箒の側面を抜けて地面を穿つ。

「……っはは、怖いな! 殺す気か!」

「当たり前でしょうが! それよりアーチャー、お腹!」

「かすり傷だ、どうってことないぜ!」

 爪の軌道は、確かに掠る程度だった。だが、命中の瞬間に脚を開いて爪の角度を変え、更に脚を押し込むように突き出す事で、アサシンは魔理沙を捉えていた。
 爪の先が左肋骨の下端に引っ掛かり、数センチほど食い込み、斜め下に右脇腹へ抜ける長い傷。即座に治癒魔術の行使を始めながら、アーチャーは上方へと離脱していく。

「逃がさんと言ったら逃がさんさぁ、鼠捕りは十八番なんだからねぇ……!」

 地の底から、水飴を流したように粘ついたアサシンの声が、爪を振りかざし追ってくる。
 爪の先でアーチャーの腕と言わず肩と言わず突き刺し、引きずり落とそうとするアサシン。この瞬間は反撃の余地はなく、回避に徹するにも、3本の脚がそれぞれ3方から、内側へ掻きこむ様に繰り返し振り下ろされる。
 今から急制動、下降し、脚の横をすり抜ける事は出来ない。逆に最大の加速をし、閉じられる爪のドームに対し、強化魔術を掛けた両腕を盾に、アーチャーは急上昇した。
 幾度となく繰り返される斬撃が、生身のものとは思えない衝突音に弾かれる。だが、強化したとはいえ、元は脆い人間の体。人外の巨大な爪の前に、小さな傷が無数に刻まれていく。それでも、アーチャーは私に1つの傷も負わせず、爪の射程圏外に逃れおおせた。 代償として、アーチャーは両脚を突き刺される。深く爪が食い込む前に逃れたが、腹部程ではないものの出血が多い。忽ちアーチャーの白黒のスカートは、赤と黒に染まり、黒一色へ変わっていった。
 だが、アーチャーは怯まない。痛みに呻く事もしない。箒の上から地上に手を翳し、瞬間的に詠唱を終了する。高速詠唱に加え、自分自身の声帯を空気中に複製、二つの喉から別々に音を綴る。

『〝Viridi〟〝Rubrum〟〝Crocus〟〝Albus〟〝Niger〟〝五は其を以て一を為せ〟『』

 アーチャーの周囲に五つの結晶が展開された。何れも宝石の如き輝きを持つ、平たい六角中の上下に角錐を張り合わせた形状。
 50cm前後の大きさのそれは、旋回しながらアーチャーの魔力を吸い上げ、自らの光を強めていく。

「正体不明の奴にはこれだ、景気良くぶっ放すぜ―――〝lapidis philosophorum〟!」

 五種の光が雪に照らされた光景は、この幻想郷にあってさえ、幻想的と呼ぶに相応しいものだっただろう。

 地上をアーチャーが指差した。黄色の結晶が、地面から生えた脚の中央に落下し、小爆発を起こした。
 雪を熱で溶かし、爆風で地を砕いて石を跳ねさせる。一瞬の後に、地中に隠れたアサシンの姿が曝け出された

「……あ、ありゃ?」

「〝山地剥〟、まずは防御を引っぺがして――」

 青の結晶が射出され、アサシンの頭上で炸裂する。

「―――〝風雷益〟、敵が見えたら躊躇うな」

「ぁがあっ……!? ぎ、あああアァッ!!」

 炸裂箇所を起点とした局地的暴風が引き起こされ、アサシンの痩躯を地上に押し付ける。
 骨の軋む音がここまで聞こえそうだ。風圧に押しつぶされたアサシンは、這い蹲り赦しを乞うている様にさえ見えた。

「そうらまだまだ〝天沢履〟、逃がしゃしないぜ〝坎為水〟」

 白の結晶が炸裂し、地上に針の雨を降らせる。五寸釘をネイルガンで撃ちまくった、と言えば分かりやすいか。
 風圧で動きの鈍ったアサシンは、頭と首を庇い、雨の下から抜け出すべく、抉れた地面から這い出す。
 既に針鼠になりかけたその背後で炸裂した黒の結晶からは、大量の水が溢れ出た。アサシンの足元の土を崩し、体を流し、また抉れた地面の上へ。
 処刑台に曝されたアサシンへ、アーチャーの指が向けられる。最後に残った赤の結晶は射出される事なく、アーチャーの指の前に移動し、吸収した魔力を以て特殊なフィールドを形成した。
 この結晶は、フィールドに突入した魔力を全て束ね、一点から射出するプリズム。アーチャーの膨大な魔力は、数段階の詠唱を経て、炎の魔力として完成する。
 これこそは、霧雨魔理沙という英霊の真骨頂。単純な火力に特化した超攻性魔術――

「〝離〟に〝離〟を重ねて〝離為火―――幻想の光(イリュージョンレーザー)〟!」

 プリズムを潜りぬけた一筋の光は、大気中の微小粒子を燃焼させ、流星の如き光を放ち突き進む。莫大な熱を束ねた光柱は、アサシンの骸骨にも似た痩躯を焼き払い、灰燼に帰せしめんとし―――

「ッチ……―――『服わぬ八握脛(アレネ・ドゥ・シャトー・ディフ)』!!」

 光が四方に散らされた。触れるもの全て燃え上がらせる光は、アサシンの胴体に着弾する前に、四本の爪で阻まれていた――精確には、巨大な爪を備えた四本の脚で阻まれていた。
 長さは約3m。付け根とは別に二か所の関節を備えた脚は、煎茶色の甲殻に覆われて尖鋭的な印象を見せる。針の様に短い体毛が甲殻の上に並ぶその足は、アサシンの腰から四本、スカートの様に生えていた。
 見て取れる通り、完全に防いだ訳ではない。その腕は、脚は炎に包まれ、立ちあがって尚も赤々とアサシンを照らす。だが、己の手足が燃えている事すら、この女は意に介さなかった。

「っ……! うおう、第一印象よりバケモンだな……」

「……バーサーカーとは違う意味で怖いわ……」

 骨が軋む程の暴風と釘の雨、散々に打ち据えられた体への駄目押しで、もう力など殆ど残ってはいないに違いない。にも関わらずアサシンは、怨みと嘆きの入り混じった目を頭上に浮かぶ敵2人に向けて、

「――使わせたな、この忌む身を」

 水銀を塗りつけたかの如く張り付き纏い付く音声で、血を吐くように言い捨てる。蒼白の面に浮かぶ激情は、暗殺者(アサシン)というクラスに、そして水の如き佇まいのこの女に、とても似合わぬものであった。

「ああ蔑むか! お前達も私を化け物と罵るかッ! 我々を地の底に貶めるかァッ!? その傲慢が気に入らんのさ、空を知っての増長驕傲が! 幾星霜を経て尚地上は斯くも奢り高ぶるかァッッ!!!」

 背の四つの脚が地面を指す。抉れた土を更に抉り、土砂を壁の様に巻き上げる。

「な……目晦ましか!?」

 噴煙を吸い込んでしまわぬ様に、アーチャーは口を押さえ、目を細めた。煙幕となった土の向こうにほんの一瞬、アサシンの痩躯が消えていくのが見えた。

「喰らわないと、もっともっと喰らわないと足りやしない。日に当たって焼け死なないくらい、腹を膨らませなきゃあ……。餌場をよこしなマスター、私の腹を満たしておくれな……―――」

 尾を引く声は地中に消える。何mか潜ったところで、私の感知では追えなくなった。おそらくは霊体化し、気配を遮断して逃走したのだろう。逃げ足という一点では、アサシンは上位のクラスかも知れない。

「けっ、陰気な奴。一方的にキレて逃げちまったぜ」

「……一応聞いておくけど、知り合いにああいう人――人? とにかく、いた?」

「さあな、幻想郷は狭いけど広いんだ。あんなのもいたかも知れんが……いちいち覚えてない。それよりアリス、戻るぞ。こんだけ時間を掛けちまった、セイバーがヤバいかも知れない」

「……ええ、分かった」

 箒の先を、校庭に出る際超えてきた窓枠へ向け、飛翔する。

「一応聞くわ。〝こんだけ〟って、何分掛かった?」

「そうだな、3分は掛かっちまったぜ」

 数度の死さえ有り得た攻防は、たったそれだけの時間の事だった。





「―――と、いう感じよ。アサシンの宝具は見る事ができたけど、アーチャーは正体が分からなかった。私も思い出せないわね……というより、そんな伝承を読んだ事があるかどうか」

 四人で脚を炬燵に突っ込みながら――セイバーとアーチャーは腰まで引っ張り出した――アリスは、アサシン戦の顛末を語った。
 霊夢もセイバーも、相槌こそは打つものの、言葉をさしはさみはしなかった。何故なら、やはりこの2人も、その英霊の正体に心当たりが無かったのだ。

「地中を移動する、毒を使う、爪……確かに、そんな話を聞いた事は無いわね。毒の逸話なんて……うん、薬なら知ってるけど。セイバー、あんたは?」

「んー、分からない。検討もつかないわ……」

 四者四様、唸りながら首を捻っても、答えには辿り着かない。

「……よし、一度この話は脇によけておこう。考えが無い事もないんだ。それより今の問題はあれだろ? あの鎧の」

「バーサーカーよね、多分……」

 結局、アーチャーが持ち前の強引さで話題を打ち切り、次の課題を引き出してきた。アリスは、あれをバーサーカーだと推測している。意思の疎通が取れない程の狂気に、セイバーにも勝る暴力の塊。大まかな行動指針までなら制御されているのだろが、おそらく完全には律されているまいと考えているのだ。
 実際、アリス達からすれば、そうでなくては困る。あの狂霊が完全にマスターの意向通り動くのなら、よほどマスターがマヌケで無い限り、そのタッグは最強と言っていいだろう。

「バーサーカーね、燃費が悪いって聞いたけど。でも、宝具を使わないであれなんでしょう? アリス達や私達みたいに真っ当なマスターなら兎も角、平気で魂喰いをさせる様な奴だったら……
 どこまで無茶な燃費でも、休み休みなら十分に動かせるんじゃないかと思うわ」

「有り得るわよそれ。バーサーカーは、軽く私達の倍以上は魔力を食いつぶすらしいけど……じゃあ、普通にしてて得られるだけの倍の量、外から魔力を持ってくればいいって事なのよね。うん、ちょっとだけ夜に散歩するのを黙認してくれたら、私もちょちょーっと」

「それはダメ」

「分かってるわよ、その方針に文句もないし、そのやり方が気に入ってるわ」

 冗談めかしていいながら、セイバーはその策の効率の悪さを知っていたし、霊夢は実行に移す意思がない。
 人間を1人1人襲って魂を集めるなど、得られる魔力に対し、行動の際に消費する魔力が大きすぎる。最終的な収益はプラスになるのかも知れないが、時間と照らし合わせれば寧ろマイナスだ。その時間を探索と諜報に使い、敵の存在を確かめていく方がよほど有益であろう。増してやバーサーカーの燃費の悪さでは、移動と狩りの為の動きだけで、大幅に足が出る筈だ。
 ……ただし、通常なら、では。

「私としちゃ、まずアサシンを叩いておきたいな。あれをほっとくと後々ヤバい事になる。今回あの鎧のは、アサシンを狙うそぶりもなかった。私達と同じで、マスター同士手を組んでるんじゃないか?」

「アリス、アーチャー。あんた達魔術師、つまり専門家の意見を聞きたいわ。アサシンとあの鎧のマスターが手を組むと、どんな事が起こると思う?」

 霊夢の問いに、アリスは一つ咳払いをして、表情の真剣味を増して語り始めた。

「1つ、あのアサシンの結界は、魂と魔力喰いに特化した結界なのよ。それの恩恵をバーサーカーが受けられるようになったら、もう本当に手に負えないわ。唯一の弱点は燃費の悪さなのに、外部電源で動くようなものだから」

 続けて、アーチャーが炬燵の上に身を乗り出し、言葉を引き継ぐ。

「2つ、アサシンの気配遮断はかなり強力でさ、サーヴァントの気配探知でも見つからない。あれをいぶり出すには、それ相応の結界が必要で――まあ、この神社なら大丈夫だろうけど。それ以外の場所で取った全ての行動が、あの鎧の奴のマスターにも伝わる、と思っていいぜ」

「……つまり、私達の隙とかバレバレの上に、ほっとくと幾らでも強くなる?」

 霊夢が端的に纏めたが、軽く口にしては見たものの、実際は恐ろしい話である。
 あの鎧の狂霊と戦力を比較すれば、1対1で宝具を使わない場合、ややセイバーが不利。アーチャーを交えてようやく優位に立てる相手だ。
 技術を用いる事のない『狂化』スキル持ちは、ステータスがそのまま強さに直結してくる。これ以上かの狂霊が強くなれば、もはや2人掛かりでも勝利出来るかどうか。霊夢は不安は拭えない。

「やっぱり、私達の方から出て行って叩くのがいいだろうな。向こうは魂喰いで強化を狙ってるんだろうから、体調不良の人間が増えた所を探せばいいんだ。
 まずはアサシンを。鎧の方は、必ず私とセイバーが揃ってる時にだな」

「じゃあ、今夜から始めましょ。とにかく勘を頼りに歩き回って探し当てればいいのよ」

 善は急げとばかり、立ち上がろうとした霊夢の袖を、アーチャーが引っ張って座らせた。

「お前だとそれで成功しそうだから怖いけどな、悪いがそりゃ無理だぜ」

「なんでよ」

 不安が有る時に行動の指針を示されれば、人はそれに飛びつきたがるものだ。霊夢も例外ではない。その日から開始出来るプランを与えられたというのにすぐ取り下げられ、不満げな表情を見せる。
 アーチャーの言葉を引き継ぐかの様に、アリスが一度咳払いをする。

「……霊夢。私とアーチャーは、数日は戦闘を避けたいのよ。傷はもう塞がってるだろうけど、毒の正体が掴めないから……どう治療していいのか分からないわ。薬草で治せるものなのか、それとも魔術の領域なのか、そこから調べなきゃないの。
 貴女のセイバーと違って、魔力の供給が不十分なアーチャーは……ええ、足手まといになるわよ」

「悔しいが、そういう事だぜ。相手がアサシンで、私だけが事前に準備して戦えるなら、勝てる。それ以外だとかなり辛いし、あの鎧のが相手だったら確実に負ける。今の私はそんなもんだ。数日使って完全に回復させる間、私は……うん、新聞でも読みながらゴロゴロして過ごす」

「堂々たる引きこもり宣言はやめなさい」

「何を言う、立派な情報収集だぜ。あとはニュース番組とラジオも必要だな」

 炬燵の天板に顎を載せて、暖かさに頬を緩ませているアーチャーは、外見的には十全に見える。然し、魔力のパスでつながっているアリスには、その不調が手に取る様に伝わってきていたのだ。
 現状、アーチャーは戦力と数える訳にはいかない。どうしても数える時があるとすれば、それは攻め込まれた際の緊急避難に限る。僅かにでも不安要素は残せない戦争であるからこそ、霊夢も頷かざるを得なかった。

「しかたないわね、それじゃあ私とセイバーの二人で、夜に街を出歩いてみるわ。出来るだけセイバーは感知されやすいようにして、獲物を釣り出すくらいの感覚で。バーサーカーに襲われたら逃げる、それ以外は無理をしない程度に勝てたら勝つ、でいいわよね?」

「………………」

 返事が無い。一拍首を傾げ、もう一度。
 
「……いいわよね、セイバー?」

「………………くー、すー……」

「あららら――起きんかっ!」

「はぎゃっ!?」

 同意を求められたセイバーはと言えば、炬燵にまた肩まで潜り込んで寝息を立てていた。鎧の狂霊と撃ち合い、鉄杭の様な打撃をいくつか貰った。疲労の蓄積でいうなら、アーチャーにそう劣ってはいない。が、それとこれとは話が別だとばかり、霊夢のげんこつがセイバーの頭を打ちすえる。
 ご丁寧に、神秘に属するサーヴァントにダメージを与えられる様、拳を霊力で強化しての一撃であった。

「あたたたたた……もう、聞いてたわよー。私と霊夢は外を回る、魔理沙とアリスはニュースの分析。それで魔理沙の体が治ったら、アサシンを叩いてからバーサーカーよね?
 アサシンを潰すまでの間、あの結界を別な場所に張られてたら困るからどうにかしておきたいんだけど、それはやっぱり私と霊夢の仕事になるのかしら?」

「……ちゃんと聞いてるんじゃない。それでいいんじゃないの? 探してる途中でアサシンを見つけたら倒すし、アサシンの結界が有ったら壊すわ。他のマスターとサーヴァントも、私達の前に出てきたら倒す。簡単な話じゃないの。
 そーいう訳だからあんた達漫才コンビは、さっさと毒をどうにかしなさい」

「漫才コンビとは失礼な、私のマスターをボケ呼ばわりするんじゃないぜ」

「誰がどうみてもそっちがボケでしょうが! ツッコミは私よ!」

「ほら、漫才じゃない」

「霊夢-、眠いー、お布団敷いてー」

「こっちはこっちでああもう!」

 アリスとアーチャーは賑やかに掛けあいを続け、セイバーは目を擦って霊夢の袖を引く。
 4者の中で、この家の布団の場所を知っているのは霊夢しかいないのだから、セイバーの要求も的外れではないのだ。が、手伝いをしようというつもりは無いのかとか、言いたいことも浮かんだらしく、

「こうなったらもう……全員きりーつ!」

「は、はいっ!」

「イエッサー、だぜ!」

「あ、なになにー?」

 霊夢はドン、と畳を踏みつけ、蛍光灯がビリビリ震えるような声を出した。思わず丁寧な返事を返すアリス、やはりおちゃらけるアーチャー、妙な好奇心を押しだすセイバー。三人の前に立った霊夢は、襖をあけた向こう、押し入れを指差して、

「あそこに私とあんた達の布団が入ってます。4人で3組しかないけどね。寝たきゃ引き出して敷いちゃいなさい、さあ!」

「わーい、お布団だー!」

「おう、外泊はいつまでたっても楽しいなー!」

 号令一喝、無邪気に押し入れへすっ飛んで行ったのはサーヴァント二名。まこと人生を楽しんでいるようである。アリスは、その2人の背を見送った後で、

「え、泊まるの?」

 霊夢からすれば今更な事を確認していた。

「今何時よ、これから帰ってたら起きられないでしょ? どーせ1人暮らしよ、誰か泊めて文句言われる事もないわ。」

「布団が足りてないように聞こえたけど」

「あんたとセイバー痩せてるしアーチャーちっこいし、大丈夫でしょ」

「……まあ、大丈夫よねぇ」

 霊夢とアリスは、合理主義者だという共通点が有る。その為、これから帰宅して睡眠という手順を踏むより、ここで睡眠を取る方が有益だろうと判断したのだ。
 アリスに睡眠を取る必要は無いのだが、アーチャーの現状を思えば夜間に出歩きたくない。布団の数が足りていないというのも、少女4人の体格ならば問題は無いだろう。
 ただ1つ、アリスが最初、疑問形を霊夢に向けた理由はと言えば、

「大変だわ、霊夢。私、他人の家に宿泊するのって初めてかも知れない」

「それはよーござんしたわね、狭い部屋ですがごゆっくり」

 極めて平凡な、つまらないと言ってしまっていいだろうものだった。
 眠気が限界だったらしくもう眠っているセイバーに、枕に顔をうずめているアーチャー。彼女たちに少し横へ避けてもらって、霊夢とアリスも布団にもぐりこむ。暖房が消えて冷え始める室内だが、普段の4倍の熱量を抱きこんだ布団は、非常に暖かかった。





【ステータス情報が更新されました】

【クラス】???
【真名】???
【マスター】物部布都
【属性】混沌・悪
【身長】168cm
【体重】51kg

【パラメータ】
 筋力A  耐久B  敏捷A+
 魔力A  幸運B  宝具B

【スキル】

 狂化:B
 パラメーターを1づつランクアップさせるが、理性の大半を奪われる。

 対魔力:C
 第二節以下の魔術は無効化する。大魔術や儀式呪法などを防ぐことはできない。

 戦闘続行:A
 生還能力。瀕死の傷でも戦闘を続け、決定的な致命傷を負わない限り生き延びる。