烏が鳴くから
帰りましょ

四日目

 博麗霊夢は、奇妙な夢を見た。
 これは夢なのだと、見ている時から自覚が有った。だから、混乱などは全く無かったし、本を読む時の様に、冷静に事物を観察できていた。ただ、これが現実に起きた出来事だとも、理由などなく気付いていた。


 〝彼女〟は、瓦礫と血の臭いに包まれて、夜の空を見上げていた。
 雲は無い、美しい夜空だ。人工の灯りは周囲になく、星は大きく強く輝いている。手を伸ばせば届きそうに思えて――手が、持ちあがらない。
 それならば。立ち上がって近づこうとしたが、脚もやはり動かせない。
 何故だろうかと思い、視線を横へ滑らせる。両の腕の手首に、黒い槍が突き刺さり、〝彼女〟の体は瓦礫に縫い止められていた。
 もしやと思い、首だけ持ちあげてみれば、予想の通りに両脚にも一本ずつ、槍が突き刺さっている。
 だが、〝彼女〟に致命傷を与えたのは、他の何れでもなく、心臓を貫いた一本の槍だったのだろう。
 もう、血も流れない。鼓動は一つも聞こえない。風の無い夜で、虫の声一つ、流れては来なかった。

 〝彼女〟は、血を失った体で泣いていた。
 理由は、痛みではない。死への恐怖でもない。巨大な、巨大な後悔、ただそれだけだ。
 過ぎてしまった過去を悔み、己の愚かさを恨み、だが何をする事も出来ず、瓦礫の上に張り付けられている。そんな己の身の上さえ腹立たしくて、悲しみより悔しさが勝って、〝彼女〟は泣いていた。
 鉄の味に濡れた舌が、乾ききった喉が、音を綴る。誰も答えない、そも聞く者がいない。
 当然だ。〝彼女〟の半径数百mは、地を這う虫さえ死に絶えた、殺戮の跡地なのだから。
 滲む視界の中に、生き物の姿は、何一つ見つからなかった。

 霊夢は、それが我が事の様に悲しくてならなかった。〝彼女〟の目を借りて、何も居ない世界を見る事が、辛くて辛くて堪らなかった。
 これは、霊夢が最も恐れる世界。日常の全てが消え去った破滅の果て。その中にただ一人で取り残され――間もなく、死ぬのだ。
 〝彼女〟の境遇を憐れんだ、とは言えまい。自分はこうなりたくないと、強く願っただけだ。だのに霊夢は、〝彼女〟の嘆きを、我が事として感じていた。この夢の中では、主客は渾然一体となり、彼我の境界は消え去ってしまっている。
 だから霊夢は、この夜をやり直したくなった。もう一度、もしも自分が〝彼女〟の代わりに居られたのなら――きっと上手くやってみせる。自分ならばきっと、この瓦礫の山を作らせず、この槍を突き刺させず――〝彼女〟を嘆かせず、居られるだろう。
 根拠は無い。霊夢は、強く信じていた。

 夜が明ける。黒が濃紺に代わり、朱に染められていく。鳥が朝を告げる前に、〝彼女〟は永の眠りに堕ちていた。



「……寝覚め最悪」

 目を覚ましてみれば、霊夢の胸の上には、アーチャーの両脚が乗っかっていた。布団はほぼ剥ぎ取られ、アリスの体に巻きついてしまっている。腕がやたら痺れると思えば、肘の裏側が、セイバーの枕にされていた。
 寝相の悪い連中を、半ば投げる様に散らして立ち上がる。制服のままで寝てしまっていたから、皺が出来てさんざんな状態だ。おまけに、四人分の体温を近づけて寝ていたからか、冬だと言うのに汗も酷い。

「というか、今何時よ……――あ、ヤバ」

 現在の時刻は、午前7時。食事を取る事を考えると、もしかすれば朝礼に間に合わないかも知れない時間帯だ。むくりとキョンシーの様に起き上がって、部屋の襖に手を掛けた瞬間であった。襖の隙間から、誰かが室内を覗きこんでいる事に気付いた。

「ひっ……!? な、ぁ……あ、あんたか……」

 思わず引きつった声を上げつつ、手近に有った写真立てを、武器代わりに引っ掴む霊夢。それを振り下ろさずに済んだのは、襖の向こうに有った顔が、良く良く見知った顔だったからだ。

「おはようございます、先輩……ゆうべはお楽しみでしたかー……?」

 すす、と襖を開けて姿を見せたのは、陸上部のリグル・ナイトバグ。普段から快活な彼女は、今朝は髪を振り乱した幽霊の様な顔をしている。

「……どうしたのよあんた。すんごい顔になってるわよ、本当に」

「そうでしょうねー、霊夢先輩がこんな人だったなんて思いませんでしたからねー……あ、朝ご飯出来てますよー……」

 目を丸く見開いたまま、瞬きの回数も極限まで少なく、そして口元は最小限の開き方で。表情が抜け落ちた様な顔は、この後輩を良く知っているつもりの霊夢が、思わずたじろいでしまう程であった。

「どうしたんですかー、早く食べないと冷めますよー……勿論二人分しか無いんですけどねー……」

 足音も無く、リグルは居間へと向かう。靴下を床に滑らせての擦り足、肩が上下しない為、ますます幽霊じみている。

「……どうしたもんかしらねぇ」

 未だに惰眠を貪る三名中、登校の必要がある二名だけを叩き起こし、霊夢は諦念たっぷりに溜息をついた。



「ありゃ? 私の分のご飯は?」

「……ありませんよ、魔理沙先輩。居るなんて知らなかったんですから」

「うちのお米をたかる事前提で考えないで頂戴」

 変わらず能天気なアーチャーのずうずうしい要求を、リグルは無愛想な声で切り落とし、自分は茶碗に大盛りの白米をかっ込んでいく。霊夢は眉間にしわを寄せたまま、この状況をどうしたものかと悩んでいた。
 何せ、セイバーを見つけられて少しばかり険悪な雰囲気になったのが、たった二日前。不満が完全に収まっただろう訳でも無いタイミングで、更に火に油を注いだのだ。
 そも付き合いの長い霊夢は、この後輩が何故この様に不機嫌になっているか、全く分からないでもないのだ。なんとなくでも分かってしまうが故に、あえてそれに言及し辛い点が有ると言おうか――結果、弁解するにも、どう言いだして良いのか分かりかねている。
 暫くは沈黙の中で、箸と食器の衝突音だけが聞こえていた。それを裂く様に、ふいに動いたのはアリスの手。

「一口、頂戴な」

「あ、ちょ、こら」

 霊夢の手元にあったお椀をひょいと持ち上げ、中の味噌汁を一口啜る。リグルの不機嫌色が一層濃くなる中、アリスは口を手で押さえて、

「……美味しいわ、これ。貴女が作ったの?」

 寝起きで周りのやりとりを正確に把握していなかったのか、霊夢に訊ねた。霊夢は首を左右に振り、それからリグルを指差す。

「貴女なの? ねえ、これって出汁は何使ってるの? 味噌とか結構拘ってたり?」

 知的好奇心任せに生きているアリスである。美味な食事への感動より、むしろ構成する材料への興味が勝ったのだろう。

「え――ぇ、普通に、お台所にあったお味噌を使ってるだけで――」

「そうなの? じゃあ安物よね、霊夢の事だし。だとすると火加減と時間なのかしら、それとも調味料……? 前に私が作った時は、とてもこうは……」

 自分が宿を借りた相手に対する無礼をさらりと混ぜつつ、アリスは解けぬ推理問題に取りかかってしまう。自分自身の過去の調理経験と照らし合わせてみて、今日飲んだ味噌汁は、あまりにも美味であったらしい。
 決して華美な味わいではない。寧ろ、素朴なのだ。土に根差す様な味わい、程良く体を温める湯気。浮かぶシソの葉の香りが、粗野な中にも気品を通す。もう一口飲もうとアリスは手を伸ばし、霊夢がその手を叩いて落とした。

「意地汚いわね、自分で作って飲みなさいよ」

「作れないから困ってるんじゃないの。貴女、いつもこれを飲んでるの? 羨ましいわ……通い妻持ちの学生なんて贅沢な」

「かっ、かよ――誰がですか!?」

 声が引っ繰り返るリグルへ、アリスは卓袱台を回り込んで詰め寄る。やたら真剣味を帯びた表情である。

「ねえ、私にも作り方を教えてくれないかしら? 食材と厨房は提供するわよ、なんだったら私から習いに行くのも……ああそうだ、どうせだからここで練習するのもいいわね。たくさん作っても飲む人がいるし。ねえ、ねえ、ねえ」

「私の家を練習場にするなー。あとね、あんまりそいつにちょっかい掛けてやらないで。結構簡単にテンパるんだから」

 リグルの手を両手で挟み、真正面から目を覗きこむアリスを、霊夢は言葉だけで制止する。本気で止める気が無いのは明白である。いっそこのまま泡を食わせておけば、自分は静かに飯が食えると、そんな打算も有ったのだ。

「いやー、やっぱりアリスはアリスだなー、アリスらしい。ところで霊夢、時間、時間」

 どさくさに紛れてリグルの皿から煮物をちょろまかしていたアーチャーは、まるで旧知の仲の誰かを語る様な口ぶりで笑い――それから、時計の針を指で指し示す。それに釣られて首を動かした霊夢は、

「……げ、7時30分。アウトじゃないの」

 徒歩ではどうにも間に合わぬ時間になっていた事に今更気付き、大急ぎで食事を完了する。
 食器洗いは放棄。溜めた水の中に放り込んで、どたどたと家を出たのであった――尚、セイバーは霊体化したまま、寝ぼけ眼で追い付いてきた。





 積もった雪をざっかざっかと蹴散らして、それでも結局、遅刻は免れそうにない。
 同級生の姿もほぼ見えない通学路の、雪かきされていない歩道を、霊夢達は歩いていた――半ば、走る様に。

「ああもー、私は早起きしたのにー……!」

「ひー……あんた、ぜー、タイム、また上がったわね……!」

 先頭を行くのはリグル。やはり陸上部の面目躍如、汗は流しているが、まだまだ動けそうな様子だ。
 その後ろに続くのが霊夢。息は上がっているが、なんだかんだとリグルの直ぐ後ろにつけているのは、元々の体力があるからだろう。

「駄目、もう無理、死んじゃう……、こんな動いたら、死んじゃうわよぉ……」

「なんだなんだ、本ばっかり読んでるからだぞアリスー。あと何か色っぽいな」

 今にも雪の上に倒れ込みそうなのがアリス。霊夢達との差は既に10m。そしてその横を、まがりなりにもサーヴァントであるアーチャー(偽名:北白河ちゆり)が、冷やかしつつ肩を貸していた。
 雪中強行軍は、どうやら徒労に終わるだろう予感が有る。事前の予想より雪が多すぎたのだ、まともに歩くのも難しい。ましてや走ろうとすれば、どこの部活動も取り入れないだろう過酷な練習メニューの完成となってしまう。
 こうなればいっそ、多少の危険を冒してでも車道を走ろうか――そんな事を考えていた霊夢の耳に、聞きなれたエンジン音が届いた。車に詳しい訳ではないが、その何処か気合いの入らない古臭く喧しい音は、誰でもすぐに気付くだろう類の物なのだ。

「この音は……もしや!」

「あっれー? 何してるのよあなた達ー」

 霊夢達の直ぐ横に停車したボロの軽トラックの、窓を開けて顔をのぞかせたのは、誰あろう2B担任の寅丸星だった。
 登校日の九割を遅刻する彼女は、だが今日は、ぎりぎりで刻限に間に合う時間に此処に居た。これは渡りに船である。

「乗せて! 細かい事は良いから乗せてー!」

 まるで信号待ちを狙う強盗の様に、助手席に身を割り込ませる霊夢と、それに続いて狭い中に身を押しこむリグル。アーチャーはその間に、アリスを抱えたままで荷台に飛び乗った。

「ええ? え? え? なになになに? 先生いきなりすぎて良く分からないんだけど、ってきゃー急がないとー!」

 ギアをD――AT車なのだ――に入れ、アクセルをぐいと踏み込む。タイヤが雪を撒き散らし、おんぼろトラックは時速80kmで走り出した。





「珍しいわねー霊夢、あなたが遅刻しそうだなんて」

「私だって人間だもの、妖怪みたいに気楽に生きてないの」

 左手だけをハンドルに添えて運転する寅丸は、学級担任の立場を忘れ、ただの知人であるかの様に霊夢と話していた。

「ほんとにもー……今日はたまたま私が通りかかったけれど、普通なら確実に遅刻よ? ちゃんと早起きしなさい!」

「遅刻常習犯の先生が言う事じゃないと思います……」

「あらやだリグルちゃん反抗期ですか? 先生はかなしーわー」

 リグルに対する呼び方と、霊夢に対する呼び方。距離感の違いは何処から来ているのか――それは彼女が、或る面では親類縁者より、霊夢と親しい間柄である事の表れだ。
 霊夢は、親戚との関わりが無いに等しい。両親祖父母は既に他界していて、顔も知らない伯父や叔母が、一人か二人いるばかりだ。遠方に住んでいる為に接触も無く、そして伯父達は霊夢の父と、あまり折り合いが良くなかったらしい。もはや飾りものでしかない博麗の家に、本家を離れて婿入りした――そんな古風な理由で、不仲なのだとか。
 だから、霊夢の父親が亡くなってからは、母親が一人で働き、一人で生活や雑事の全てをこなした。巫女という職業が、母娘二人の生活を支えられるかと言えば――平和な今の幻想郷、そんな事は無い。社会保障はあれど、困窮は免れない。
 それを支えたのが、商売敵でもある筈の命蓮寺の縁者、寅丸星だった。男手が足りない時には、細い見た目に似合わぬ馬鹿力で家具を運ぶ。懐の具合が苦しい時は、金銭の援助はしないが、何かにつけて食べ物を持ってきたり、食事に呼んだり。足として車を提供し、悪心を持つ輩には毅然として槍を振り回し、大いに貢献したのだ。
 霊夢の母――先代の巫女が無くなった時に、神道式で葬儀を執り行ったのも彼女だった。信仰の垣根など実生活の妨げになるなら不要と、口喧しい一部の年寄りを蹴り飛ばしての敢行だった。以来、妙蓮寺信者の人数は然程変わらないが、平均年齢は僅かに若くなったとも言う。
 そんな人間――いや、妖怪であるから、天涯孤独の霊夢にとって、彼女は最も親しい存在の一人なのだ。互いに互いを名前で呼び、敬語も使わず、時折は頭を引っぱたき合う様な――姉妹の様な、とでも言えば良いだろうか。

「にしても星さー、今日は珍しく早いわよね、珍しく。本当に珍しく」

「やだひっどーい、私を遅刻常習犯みたいにさー。ぷんぷん」

「そのものじゃないですか? さっき私が言ったじゃないですか? ……でも確かに、珍しいですよね」

 頬を空気で膨らまして不満を示す寅丸だが、然し実績に裏打ちされた称号を消し去る事など出来ないのであった。

「あー、それがさー、最近風邪引き多いじゃない? 欠席多すぎたら授業進められないし、プリント印刷しておこうかなーって思って……霊夢もリグルちゃんも、ちゃんと手洗いうがいしてます?」

 汚名――妥当な称号だが――はもはや甘んじる事にして、寅丸は、今朝の気紛れの理由を答えた。

「子供じゃないのよ」

 霊夢には、その風邪引きというのが、本物なのかそれとも〝あの〟魔法陣による影響なのか、知る方法は無かった。が、後者ならばこれ以上の心配は居るまい。少しばかりの安堵と共に、短い言葉を返す。

「んー、高校生だとまだまだ子供よね。大人になるのは大学出てからかなー? たまーに大人になれない子もいるけどさー」

「あんたの事じゃないの、星?」

「いやーん、霊夢まで遅れた反抗期ー! ……でもうがいはちゃんとしなさいよ、うがい。あと暖かくして寝る事、濡れた靴下は履き替える事」

「はいはい」

 あんたは母親か、と心の中で呟いて、霊夢は靴を脱ぎ雪を掻きだす。ボロトラックは校門を潜り、教員用の駐車場に停車した。








 欠席者は減っていなかったが、増えてもいなかった。体調不良者は、見る限り明らかに減っている。魔法陣への対策は間違っていなかったと胸を撫でおろしつつ、私は自販機で購入したペットボトルの紅茶を飲んでいた。

「……割と美味しいのが困りものよね」

「だなー、安物なのに。昔はパン食なんて贅沢だったんだぜ?」

 隣に座るアーチャーは、小さな手と見合わぬ巨大なクリームパンに、目を輝かせながら被りついている。
 今日の授業は、自習が多い以外には特に変化も無かった。ここは屋上、時間帯は昼休み。雪は適度に凍りついて、天然の椅子になっている。その上にダンボール――2Aの河城にとりが大量に持ちこんでいた――を敷いて、私達は優雅なランチタイムを過ごしていた。
 とは言っても、この場で本当に食事が必要な存在は一人だけ。

「そんな時代も有ったのねー……今じゃ食パンの耳は倹約食よ。油で揚げると美味しいの」

「ご相伴にあずかりたいわ、私もこれで和食派でしたの……いやまあ、魔理沙程じゃないけどさ」

 たった一人、真っ当な人間である霊夢は、コッペパンにジャムとマーガリンを付けて、もそもそと頬張っていた。あの組み合わせだと、確か73円という所だっただろうか。意外に中身が詰まっているパンなので、満腹とまではいかずとも、日中の行動力を賄うだけの栄養は有るだろう。
 こうして屋上で、冬の弱い日差しを楽しみながら集まっているのは、一応真剣な話題の為だ。負傷したアーチャーが回復するまでの間、どう行動するかの方針は、昨夜定めてある。今日は、その具体的な行動の打ち合わせだ。

「ねえ、アリスとアーチャー。あんた達がどこかに陣取るとしたらさ、どの辺りを考える?」

「魔術師視点で、って事? なら……あそこかしら、命蓮寺」

「やっぱりそこ?」

 霊夢の問いの趣旨は、『魔術師が迎撃の為の工房を作るなら、何処を拠点とするか』なんだろう。私ならばと考えて、数秒も思案せず出した答えは、彼女にも予想がついたものだった筈だ。
 要は、魔力を効率的に回復でき、迎撃の為の術を仕掛けやすい土地が良いのだ。大量の墓が霊魂を集め、地下には巨大な霊脈も走る命蓮寺は、最高の拠点となるに違いない。

「じゃあ、命蓮寺は無視して良いわね」

「同感だぜ。あそこは無いな。少なくとも今は有り得ない……有り得るかも知れんが、その場合は気にしないで良い」

 けれど、私達の総意としては、命蓮寺を本拠とする陣営は、存在していないだろうという確信が有った。
 命蓮寺は、この学校に近すぎる。少々道に高低差など有るから遠く感じるが、実際は直線距離で200mも無いだろう。これはつまり、セイバー、アーチャー両名の感知範囲の内にあるという事だ。
 彼女達の感知を擦りぬけられるのはアサシンだけ。アサシンのマスターは、どう見ても理知的な存在ではない。魔術師の心得も無いだろうし、サーヴァントも――不確定要素は多いが――霊脈を利用して、何か出来る類の英霊ではないだろう。
 あの8つの魔法陣に対する所感を、後からアーチャーに聞いた。アーチャーが言うには、あれは土地の魔力より、生物の魔力を吸うのに適した術らしい。こう考えれば、命蓮寺を本拠とする理由は、アサシン陣営には無い筈だ。
 それじゃあ、命蓮寺を陣地と〝したくない〟理由は? こちらは割とたくさん出てくる。
 参拝者が多く、人の出入りが激しい。人の中に紛れて、招かざる客がやってくる可能性が高い。
 塀も低く、壁も決して頑丈でなく、よほどの結界術者でなければ無防備も良い所だ。低地に有り、周囲の遮蔽物はせいぜいが民家程度。
 何より、霊夢と私と二つの陣営が、200mの距離にある学校を拠点としている。それこそが最大の忌避すべき理由だろう。こちらの存在を知っているアサシン陣営、あの狂霊の陣営は、可能な限りこの学校に近付くまい。

「……とすると、やっぱり霊地よね。うちの神社に守矢神社、ここは当たり前だけど除外して……怪しいのは、冥界町?」

 冥界町は、幻想郷の中でも、特に歴史の長い街並みだ。けれど、古き良き時代の建物は残っていない。数十階建ての高層ビルが立ち並ぶ、夜を知らず眠らぬ街、それが冥界町だ。
 私も良く買い物の為に足を運ぶのだが、あの土地は魔力が濃い。怨念染みた暗さは無いのだが、かと言って手放しに明るいとも言えない、人の感情がこびりついた様な濃さが有る。
 が――その中でも、霊夢が特に取り上げて言おうとしたのは、

「――白玉楼ね?」

 片道三車線の舗装道路が生む騒音と、ビル風から離れる事、せいぜいが数百m。街並みの中心をくりぬいた様に、小さな山が有る。長い長い階段を上って行った先には、美しく水の澄んだ池と――主の居ない、広大な屋敷が有る。
 それが、白玉楼。地元の名家、魂魄家が、週に二度の通いで管理する無人の建物。小学校の社会見学で、一度ばかり足を運んだ記憶が有るが――寒気がする程に空気が澄んでいて、そして震える程、美しい屋敷だった事を覚えている。
 あの時は確か、春風の強い薄曇りの日だった。長い長い階段を、脚の痛みを覚えつつも上り切ったそこには、数え切れぬほどの桜の木が有った。今が盛りと己を誇る花弁が、風に巻き上げられ、散っていく最中だった。

「あれ、白玉楼が顕界にあるのか? どういう事だ?」

 きょとん、という擬音がしっくり来る顔で、アーチャーが首を90度傾げる。

「え? いいえ、冥界町よ」

「ん? ここは顕界で――いや待て待てなんか分かったぞ、分かってる気がする、うん。いやぁ、時間の流れは怖いな」

 両手をぶんぶんと振り、霊夢が訂正する声を遮って、アーチャーは自分一人で合点顔を作る。私には、彼女の言う事がまるで理解出来ていない。顕界なんて古臭い言葉を、なぜ町の名称と並べて用いるのか――いや、言葉の法則性は分かるのだが。
 確かに冥界町という名称は、死後の世界を意味する『冥界』から来ているのだろう。だが、所詮は街の名前だ。生き物が現実に生きる、顕界の存在でしかない。それをアーチャーの言い草では――まるで白玉楼が、本当に死後の世界の建物だった様に聞こえるじゃないか。

「……まさか、ね」

 不思議な事は幾らでも有る幻想郷だが、然し今は科学全盛の時代。魔術師である私としても、死後の世界と現実世界が繋がっていて、簡単に行き来できるなどという無茶は――信じられない事も無いが、頭に思い描けなかった。それだけだ。

「続けるわよ、良いわね? ……そうよ、白玉楼。あそこの霊気の濃さはハンッパ無いわ、こいつら魂喰いを飼うなら最高の餌場ね」

「あれ、そういうのは嫌いではなかったのかしらん?」

「もう死んでるなら変わらないわ、再利用よ再利用」

 セイバーの指摘に眉一つ動かさない霊夢だが、その合理精神には賛同できる。生きている人間を殺して喰わせるなら抵抗は有るが、もう死んだ魂をどう使おうが、生者には関係の無い事だ。
 ……が、不安の残る事を言う。魂喰いに向いていると言うなら、つまり白玉楼とは、魔力の枯渇を回復する為の食事場だと思って良いのだろう。では、そこにあの黒の狂霊が陣取って居たら――?

「怖いわね、そこ。今夜にでも見てきてくれない?」

「自分で行きなさいって言いたい所だけど、あんたのアーチャーがあれだもんね……しゃあないわ」

 まだ短い付き合いだが、霊夢と私には、似通った部分と対照的な部分とが有る。例えば合理性と道理を好み、大きな変革を望まない性質などは似通っているだろう。が、例えば何か問題が起こった時――まず考えてから立ち上がるのが私で、蹴っ飛ばしてから考えるのが霊夢な気がする。
 基本的に彼女は悩まない。即断即決、分からなければ直ぐに他人の意見を聞き、そして採用するかどうかも即決。

「……改めて貴女とは、いいタッグになれそうね」

「な、何よいきなり、気味悪いわね……」

 少し親しげに話してみたら、座ったまま、霊夢は後ずさりを始めた。何故だろうか、何故だろう。
 あまり気にしない事にして、私は屋上を後にする。蓋を閉めれば持ち歩きも簡単、ペットボトルの利便性に改めて敬意を表しよう。





 昼休みは割と長いので、打ち合わせに全ての時間を使う事もないだろう。
 そう考えた私は、生徒会室付近の廊下へと向かっていた。少々、探し人も居たからだ。
 だが然し、あそこは人がごっちゃりと集まる場所である上に、目的の人物は背が低く、恐らく直ぐには見つからないだろうという予測もある。
 だから飽く迄、見つけて話せれば儲けものという程度の気構えだ。

「……で、誰を探すんだよアリス」

「後輩の子か、同級生の河童よ。ええと……ちゆりさん」

 後ろをひな鳥の様について来るアーチャー――偽名、北白河ちゆり。まだ偶に、人前でアーチャーと呼び掛けそうになる。
 背の低い彼女は、学生の群れに埋もれてしまいそうなものだが、無意味なバイタリティで動き回り、一人悪目立ちしていた。

「河童? 河童と言えば私にも知り合いが――って、……そう言えば隣のクラスに」

「そう、あれ。ねえちょっとにとりさん、良いかしら?」

「ひゅい? あれ、アリス――と、転校生! おー、何か用かな盟友?」

 授業授業の合間に意気投合したのか、屋内でもリュックサックを背負って歩く奇妙な同級生は、アーチャーとハイタッチを交わした。
 が、私に向いている視線は、どうにもよそよそしさが拭えていない。それもそうだ、殆ど会話した記憶の無い相手だった。
 それ以外にも、私がどうにも人間でなさそうな気配が有る、それも理由となるのだろう。河童は人間と親しいが、それ以外の種族にはやや臆病だ――但し、数の優位が有れば話は別。
 河城にとり、2Aの名物発明家、但し自称。おかしなものを作っては他人に披露し、そして発明品の無価値さを突きつけられるのが日課な奴だ。

「用ならあるぜ、ちょっとドライバー貸してくれ」

「良いとも良いともどれを使う? プラスマイナスポジドライブ、なんならトルクスドライバーも――」

 リュックサックに手を伸ばし、両手に併せて15本――直径も様々なのだ――のドライバーを構えたにとり。
 あまりに淀みない動きだったから、私も思わず拍手してしまったが――それを嗜める、静かな声が通り抜けた。

「解錠用具の持ち歩きは、褒められた事ではないわ。没収――はやりすぎかしらね、隠しておきなさい」

「ぶー、お固い事言うなよ盟友ー、いや会長ー!」

 いつの間にか――本当に、いつの間にか、近くに居たらしい。私の視界の隙間から、彼女はにとりの手を抑え込んだ。
 廊下のざわめきが収まったのは、きっと彼女の声を聞く為だ。何人かが床に座ったのは、後ろの連中に頭を押さえつけられたからだ。
 銀色の髪はドライバーの金属部分よりも美しく、ハンカチの素材にしたくなる様なきめ細かさで、編んで痛むのが惜しい程。
 何事も無く、ただ立つだけで絵になる、洗練された立ち居振る舞い――生まれついてのそれでは無く、厳しい自己鍛練を経た成果か。
 彼女こそは学園の華、支持率99%の生徒会長。

「こんにちは、咲夜。別に取り上げてもいいんじゃないのかしら」

「こんにちは、アリス。貴女は思ったより辛辣でいらっしゃるのね」

 つんと澄まして礼儀正しく、十六夜咲夜は挨拶を返してくれた。
 制服を優雅に着崩して、然し見苦しさは無い。埃さえ怯えて逃げ惑う程、彼女は清潔感に満ちている。
 彼女に群がる生徒がいないのは、きっとその清潔さを汚したくない為なのだろうが――まあ、私には割とどうでも良い事だ。
 中学の頃からの腐れ縁、今更距離も何も知った事じゃない。

「だって話が進まないんだもの、あの二人。私を置いて工具談義に熱中しそうな気配が有るし」

「工具ならば貸出手続きさえ踏んでくれれば、幾らでも技術室から貸し出すのですけれど。……いいわ。それよりも貴女、珍しいですわね」

 両腕を組み、片脚に体重を掛けて壁に寄りかかる。たったそれだけの動作で、観衆から溜息が零れた。
 劇の登場人物にされてしまった様な居心地の悪さを感じつつも、私はその横で、同じように壁に寄りかかる。

「珍しいって、何が?」

「誰かと一緒に居る事、人を探している事。中学からかれこれ五年近く、貴女が誰かと連れ立っていた記憶は有りませんでしたのに……しかも転校生なんて。ちゆりさん、でしたかしら?」

「おう、昨日からここの生徒だぜ、よろしく!」

 何やらにとりと白熱した議論――聞こえた中にはピンパイスなんて言葉が有った――を繰り広げていたアーチャーが、電気スイッチの様な切り替えの速さで答える。
 咲夜は厳めしい表情を作り、きっかり両目を同じだけ細めてアーチャーを見た。

「ちゆりさん、前の学校はどんな所でした? ここより施設は充実していたのかしら」

「んん? 岡崎工業大学付属高校普通科、小さな教室一つだけだったぜ――何せ生徒が私だけだ。工学科の連中がいる校舎から1ブロック離れた所にあってさー」

 アーチャーは、息をする様に嘘を付く。そういう名前の高校は確かにあるが、普通科は存在しない。
 ……が、きっと今からネットで調べようとしたら、なぜか情報が出てくるのだろう。恐らく早苗は、こういう細かい所に無意味に拘る、そういう性格に違いないと思った。

「……変わった所にいたんですのね。だから転入手続きも、あれだけ変わったやり方だったのかしら。少なくとも過去の前例とは随分と――」

「ありゃ。この学校じゃあ、生徒会長は学生の転入にまで関わって来るのか?」

「事務手続きは手慣れた一人が行うも良いですけれど、分業すれば尚更効率は上がるのですわ。……それは冗談にしても、当日早朝の書類持ち込みなんて前例は、当然だけど有りませんもの」

 冗談には聞こえず、かつ笑えない冗談だ。昔から彼女は、良く知らない相手にはこうやって、ナイフを突き付ける様な態度で接する癖がある。
 別に、彼女は意地の悪い人間ではない。少々警戒心と縄張り意識が強すぎるだけだ。アーチャーへ対するこの口振りも、きっと一日二日で丸くなる事だろう。

「こうなったら貴女でもいいかな……ねえ咲夜、古明地さとりって子、分かる?」

 このまま牽制を続ける咲夜を見ていても仕方が無いので、早めに本題に入る事にした。
 そう。私が探していたのは他の誰でもない、古明地の名を持つ彼女である。
 昨日の夜に遭遇したアサシンのマスターは、確かに古明地こいしと名乗った。決して多くは無い名字で、年の頃も体格も近い筈だ。関連性は有ると考えても、そうおかしくは無いだろう。

「でも、っていうのが気になるけど……1Bの古明地さとりさんね? にとりさんと良く連れだって、その辺りの壁際で話しこんでいる? 確か今日はあの辺りで……ごめんあそばせ、道を開けてくださいな」

 どこかの預言者の奇跡の様に、人の群れが二つに割れた。その向こうには確かに、アーチャーよりもさらに小柄な古明地さとりが、じっとりと湿った目付きで立っていた。

「先輩方、何か用なんですか? 私、にとり先輩の発明品を根幹から否定するので忙しいんですけど」

「お前本当に酷いな!? 今回の発明こそはツールボックスの常識を覆す――」

「はいはい、それは私が聞いてやる。だからちょっと離れてようぜ、な?」

 拳をぐっと突き上げて演説を始め掛けたにとり。直ぐにアーチャーが引きずっていき事無きを得た――昼休みも、あと5分ほどしかないのだ。

「ちょっと聞きたい事が有るだけよ。さとりって、お姉さんとか妹さんとかはいらっしゃるの? もしくは従姉妹とか」

 単刀直入に本題へ。あまり家の事に突っ込むのも何だが、場合が場合だから仕方が無い。
 とは言え、なんとなく個人名を出すのは躊躇われたので、こういう言い方になる。

「姉か、妹……? いいえ、居ませんけど。従姉妹も……って言うより、そういう親戚自体が」

「あー、そいつはさ、ほら、な?うん、アリスが誰の事を言ってるのか知らないけど、さとりに姉妹はいないよ」

 さとりの声は聞き取りやすいが、声量自体は然程でも無い。急ににとりが大声を上げたから、言葉の後半は完全に書き消えた。
 工具談義を中断していきなりの行動に、さしものアーチャーも、少しばかり目を丸くしている。

「それはこの私が保証する! 五年保証に万が一のデータ復旧サービス付きだ!」」

「私はSDカードですか? そういえば万能リーダライタを作ったとか言ってたのはどうなりましたっけ、読み込んだデータが全部破損してたとか聞きましたけど」

「う、うぉおおお!? 思いだしたくない過去の記憶がぁああああ!!」

「……はいはい、廊下でコントを始めるのではありません。貴女達も皆さんも、次の授業が始まりますよ? 教室にお戻りなさい、さあ!」

 パン、と手を強く打ち鳴らし、咲夜が観衆を散らしてしまう。ものの数十秒後、廊下には静寂が訪れ、そして巻き上げられた埃が少しばかり、衣服と喉に不親切だった。
 にとりは決まり悪そうな顔で鼻の頭を掻き、浅い角度で私の顔を見上げる。

「あー……ええとさ、アリス。こいつは――」

「私、一人暮らしですので。両親祖父母、その他親戚、存命は誰一人居ません。その上で、姉妹や従姉妹はそもそも生まれてません」

 さとり自身は、別にそれを何とも思わないという様に、私の問いに答えた。自分の事だと言うのに、やけに無関心な声の響きだった。
 何となくだが私には、さとりの心情が分かった気がする。自分自身の境遇は、自分には当たり前の事だ、それだけなのだ。
 例えば私も一人暮らしだが、それを殊更嘆いた記憶は無い。昔は料理の際、背の高さが足りずに悩んだが、それも今となっては――

 今と、なって、は……?
 何か、私は、おかしな事に気付いてしまった様な気がして――数秒の間、瞬きを忘れていた。

「アリス先輩、もういいですか?」

「……ぇ、あ。ええ、聞く事は終わったわ、名字が同じだっただけかしら。この間、古明地っていう子に会ったから気になったの、それだけよ」

「へぇ。私が言うのも変ですけど、珍しいですね」

 それだけ言い残して、さとりは自分の教室に戻っていった。最後まで、目を大きく開こうとしない、眠そうな表情のままだった。
 けれど私は、もう彼女の事を考える余裕を――いや、余地を失っていた。脳の処理領域を全て、一つの事に費やしていたのだ。
 思い返そう、思い返そう。私の生活の中で、私が考えもしなかった事を思い返そう。
 そもそも私は何故、〝親と死別もせずに〟〝一人暮らしをしている〟のだったか――?
 いいや、もっと前の次元だ。何故私の記憶の中には、〝両親に関するものが無い〟のだ――!?

 そんな事は有り得ない、断じて有り得ない。
 私の記憶は、断片的な範囲では3歳ごろから。継続した記憶ならば、5歳ごろから存在している。
 私は断じて記憶喪失なんかじゃない。それに、そんな小さな子供が一人で暮らしていける筈が……

 いいや、出来る。そも私は、食事を取る必要が無く、眠る必要すらない生き物だ――生き物と呼んでいいのか?
 親が無く、いきなりこの世界に出現した様な存在を、いや、親がいない筈は無い。失った記憶だってどこにも、然し

「アリス、顔色が悪いぜ。何時も白いくせになんだ、余計白くて蝋人形じゃないか」

 アーチャーに肩を掴まれる。その時に始めて、私は、自分が倒れかけていた事に気付く。
 体が床に近付くのではなく、床が体に近付いてきたような――私のこれまでの生には、とんと無縁の経験だ。
 きっと眠いというのは、こういう状態の事を差すのでは。眠らずとも生きられる私は、なんとなくそう思った。

「……アリス、どうしたの。良ければ保健室まで肩を貸しますわよ?」

「ぁー……大丈夫、ちょっと立ったまま寝てたわ。教室に戻りましょ、次もまた自習だったかしら」

「だな、欠席多いから自習。少し遅れても何も言われないさ、だからのんびり行こうぜ?」

「遅刻は駄目よ、急ぎましょう。競歩は必須技能と心得なさいませ」

 右肩を咲夜、左肩をアーチャーに支えられ、左側に大きく傾いたまま歩く。
 やけにふわふわした、脚に力の入り切らない感覚。動く事に裂く神経さえ、思考に喰い荒されているかの様で、

「そりゃあ、まだ分からんさ。教えてやるけど今じゃない。もうちょっと待ってくれよ、アリス?」

「……? 全然分からないけど、分かったわ」

 耳元で告げられたアーチャーの言葉は、今の私には、全く理解の及ばない内容であった。










 夜の冥界町を、霊夢とセイバーは歩いていた。
 日中、買い物に訪れた時であれば、活気のある近代ビル群だ。だがこの時間は、おそらく周辺都市の何処より人口密度の低い過疎の街となる。
 まずこの街は、アパートだとかマンションだとか社宅だとか、集合住宅の類が一切存在しない。辛うじて有るのはビジネスホテルか、或いは街の発展より前から住んでいた住民の、如何にも古そうな瓦屋根の家ばかりだ。
 終電の時間を過ぎてしまえば、この街に残る人間は本当に少なくなる。だから、近代的な街でありながら、24時間営業の店なんてコンビニ程度しか存在しない。ファーストフード店でさえ、23時にゲートを閉ざすビル地下にしか無いのだ。
 
「様変わりしたわねー。昔の冥界はもう少し――いや、陰気さは変わらないのかしら。静かですし」

「冥界町って、そんな昔っからあったの? ……ま、良いわ。それよりセイバー、敵は?」

「半径300mまで気配無し。相手がアサシンならどうにかなるわ」

 セイバーは常の様に冷静で、そして周囲への警戒を怠っていない。あまりに事務的に答えを返して、時折は目を閉じて耳を澄ます。
 無駄口一つ叩かずに仕事を続ける様子は、合理的な霊夢からすれば好感の持てるものである筈だった。

「セイバー、考え事?」

「――? いいえ、何も」

「そう……やけに無口だったから、なんとなくね」

 今になって考えてみれば、霊夢は、セイバーと雑談を楽しんだ事など無かった筈だ。せいぜいが召喚したその日、自己紹介程度に言葉を交わした程度。
 後は――敵は居るか、戦闘は継続できるか、結界の性質はどうか。聖杯戦争に直接関わる内容以外で、霊夢はセイバーと言葉を交わしただろうか?
 何故、この様な事が気に掛かったか。霊夢は、自分自身の事を良く弁えていた。

「あんたさあ、死んだのよね?」

「……変な言い方するわね。その認識で間違いないですけれど」

 朝方に見ていた、おかしな夢が原因だ。
 誰かが死んでいく瞬間を、その誰かの目で見ていた不思議な夢。夢でしかないのに、それは真実であると断言出来る奇妙な感覚。
 死の現場は――二つばかり見た事がある。その何れより、今朝の夢の死は悲しかった。だから霊夢は、

「今さ、こうして自分の足で歩いて、見た事もない街を見て。良かったなーとか、思う?」

 何か、何でもいいから、彼女と話してみたかったのだろう。
 死んだ経験があり、そして今の生を謳歌しようともしない、セイバーは戦う為此処にいる存在。そんな彼女と言葉を交わしてみたかったのだろう。

「……いいえ、特には。物珍しさはあるけれど」

 セイバーは、ウィッグだという長い髪を指に巻き付けながら答えた。
 霊夢は小さく溜息をつく。冬の夜だ、息は白い。強いビル風が、粉の様な雪を噴き散らす。

「でも、夜の散歩は好きよ。夜気に戯れて人の街を歩く。こんな贅沢が出来るんだもの。
 行きましょう、霊夢。この辺りに敵の気配はない、もっと向こうを探さないと」

 颯爽と、セイバーは歩いていく。僅かな身長と多大な体力の差で、霊夢は少しばかり、追い付くのに足の疲れを感じた。





 中央の通りから一本だけ横に外れた白玉楼通りを、二人は西へ進んでいた。
 寒々とした空気が更に凍て付いたのは、決して気候の変化だけが原因ではない。冥界町の中でも特にこの古い通りは、巫女である霊夢には寒気のする土地であった。
 この通りには、民家が一件も無い。そして、22時以降に開いている店も無い。東西に1km以上も有る三車線の通りは、夜間には街灯の他に全ての光を失うのだ。
 誰も、この通りの夜を歩こうとしない。あまりに人がいない為、むしろ治安が良い土地でさえある。然し、この通りに住もうと考える者はいないのだ。
 
「……何か聞こえたりする?」

「足音が一つ、二つ……たくさん居るわね、ふらふらと」

 だのにこの夜は、やたら多くの人間が出歩いているらしかった。
 まだ霊夢は、その様を見た訳ではない。人を遥かに超えるサーヴァントの五感が、遠くに居る人間を捕えていただけだ。
 然しそれでも、この通りを誰かが歩いていると聞いて、霊夢は強く訝り、警戒する。
 本来居る筈の無い者が居る――その非日常性は、霊夢が嫌悪する対象であるからだ。

「敵だと思う、セイバー?」

「難しいわね、こっちに来てる訳じゃないわ。皆でどこか……どこかへ、向かってるみたいに感じるけど。
 向かってるのはもう少し西の方、何か有るのかしら――、っ?」

「どうしたの……!?」

 突然セイバーは、背に隠した博麗の御神刀を鞘から抜いた。人がいないとは言え、抜き身の刃物を街中で持ち歩く行為の、異常さを知らぬ訳でもないだろう。
 セイバーは、西の方角にある、小さな山を睨みつける。まるでそこに、何か許し難い存在でも潜んでいると言わんばかりに。

「あの山、何が有る? 歩いてる連中も、皆あそこに向かってるみたい。聞こえない?」

「何がよ」

「ピアノの音」

 それは、意識していても聞こえない程の、小さな小さな音だった。冬の冷たい空気が、そして西から吹いた風が、人間でしかない霊夢の耳にも音を届けた。
 踊り狂う様に高く低く、音の波がうねっている。瞼の裏に蛇を描く様な――奇怪な、音楽と呼んで良いのか迷う代物。だが、不思議と心地好い。
 きっとこれを演奏する者は、技量の是非はさておくとして、楽器に長く親しんだものなのだろう。根拠も無く直感的に、霊夢はそう感じていた。
 楽器の僅かな癖を知り尽くし、最も美しく歌えるようにしているのだろう。だから音色の一つ一つが、やけに艶やかで鮮やかなのだろう。
 奏でられている旋律もまた、短音の連続ながら心躍るもの。好奇心を掻きたてられ、冒険心を煽りたてる。
 誰が演奏しているのか、どこで演奏しているのか。それが知りたくて堪らない、もっと近くで聞いていたい。霊夢は何時の間にか速足で歩き始め――

「危ないわ、気を付けて」

 ――セイバーに肩を掴まれ我に帰った。

「耳に入れるのは良いけど耳を貸しちゃ駄目。あれは音楽じゃなくて言葉よ、真剣に聞けば毒されるわ」

「……今のは?」

「さあね、妖精の歌声かしら。何にしたって有害指定よ」

 気を強く持てば――そして、軽い結界さえ身に張ってしまえば、その音はまるで無害であった。聞こえるか聞こえないかの瀬戸際で、ピアノがぽろぽろと泣いているだけなのだから。
 然し――あれは、なんだ? 人間一人の意識を瞬間的に奪い取る、あの音は何だ?

「魔術だと思う?」

「もしかしたら。私にはまるで効き目がなくって、霊夢には効いて。だったらそういう事もあるかもね。
 けど、良い音だったわ。あんな怪しい所から流れてきてなきゃ、私だって飛んで聴きに行くかも」

 セイバーが指差す方向、ピアノの音の出所は、小さい山だった。街の通りから数百m程離れた所にあり――今は桜の木が、枝に雪の花を咲かせている。

「白玉楼……あそこね? 予想は当たってたのかしら」

「ええ霊夢、流石の慧眼よ。乗り込むも良し、退くも良し。全ては御意のままに、|我が主(マイマスター)」

 人を招き寄せる音曲の中に――セイバーは、一つの気配を察知していた。
 雪よりも冷たく、そして白く澄んだ清浄な気配。あまりに清潔すぎて、近づく事も躊躇われる様な、墨染の色であった。
 霊夢は耳の奥を擽る音に耐えながら、今夜もまた雑談は出来なかったと、僅かに惜しみつつ歩く。走らず、かすかな周囲の変化も逃さぬように気を張り――既に、戦場に有るべき姿勢を整えていた。





 長い、長い階段を上る。
 小さいとはいえ一つの山だ。それを、左右に一度も曲がる事なく上ろうと思えば、どうしても無理のある急な階段が生まれる。
 然し霊夢は息を乱さない。元々体力は有り、それに加えて靴裏に結界を張り巡らせ、反発を用いて歩いていたのだ。
 だが、やはり長い。道程にすれば精々が200mも無いのだが、然し角度が有る為に、重力が強力な足枷となる。

「……あれ、釣られた人かしら」

「たぶんね、サラリーマンっぽい。こりゃー明日は大変だわ」

 会社帰りなのだろうサラリーマンが、覚束ない足取りで階段を上っていく。霊夢は素通りし、セイバーはサラリーマンの背中を軽く叩いた。外からの刺激で我に帰ったらしいサラリーマンは、頓狂な声を上げて周囲を見回していた。
 彼を置き去りに、まだまだ階段を上る。改めてこの山は、春に訪れるべき場所だと思えた。
 石段は溶けた雪が凍り、ところどころ滑る様になっていて、足元をしかと見ねば転びかねない。が、街灯はここまでは設置されておらず、月と星の灯りが頼りだ。
 階段の両脇を埋める木は全て桜。この季節では当然の如く、花も葉も何一つ無い。

「霊気が濃いわー……セイバー、調子はどう?」

「上々。今なら、どんな不意打ちが来ようと怖くは――あ、ごめん、訂正」

 幻想郷の中でも歴史の古い土地が、霊夢達の住む地域。その中でも白玉楼は、特に強い霊地である。霊体であるサーヴァントが、最も不自然なく顕現できる場所であり、セイバーの体調は最高に近かった。
 だから彼女は、敵の気配に対する察知も、普段以上に鋭敏に行えた。あのピアノの音色が聞こえてきた時点で、セイバーはこの山に、一つの敵の気配を感じ取っていた。

「私より先に上って。下から来るわよ、逃げようとか思わないで」

 ――その気配とはまるで違う場所から、〝それ〟は接近してきていた。
 昨日の今日では忘れられる筈も無い。ただそこに居るだけで弱者を押しつぶす、傲慢な強者の存在感。移動するだけで魔力の圧が、周囲に破壊を齎す悪鬼。

「……ねえセイバー、これってもしかしなくても」

「そう、もしかしなくてもあれ。地の利は有るわ、けど万が一が有れば……令呪をお願い」

「オーケー……大当たりを引いちゃったわね」

 桜の枝に積もった雪が、〝それ〟を中心として吹き散らされた。

「■■――、■■■ ■■■■■■アアアアァ――ッ!!」

 褪色の鎧が乾いた光を散らす。変わらず、馬鹿げて恐ろしい存在である。
 霊脈が撒き散らす魔力の為だろうか。今宵の狂霊は如何ばかりか、人の耳に聞き取りやすい声で吠える。
 然して狂気は些かも衰えず、馳せ現れた勢いもそのままに、素手のままセイバーに踊りかかった。
 ギィン、と高らかに金属音。セイバーの右手には守矢の霊刀、左手には博麗の御神刀。二振りを交差させ、狂霊の右手を受け止めたのだ。
 衝撃で後退したのは、寧ろ先手を取った狂霊の側。セイバーは一歩も引き下がらず、不敵な笑みで応えた。

「ここなら負けないわ。おいでらっしゃいな、黒犬!」

 セイバーと狂霊の身体能力を比較すると、この二者に大きな差異は無い。力でセイバー、速度で狂霊が勝り、動体視力などは五分と言う所であろう。然して近接戦闘の場合、二者の間には致命的なまでの隔たりが有る――リーチの差だ。
 狂霊の戦闘手段は極めて単調、進んで押して潰すのみ。武器はまるで用いず、両の腕と脚だけが頼りだ。
 一方でセイバーは、四肢の長さではほんの僅かに狂霊に劣るが、それを補って余りある刃を二振り備えている。狂霊の間合いより一歩、セイバーの間合いは広いのだ。
 そして、その一歩は、階段が生む高低差の前では更に拡大される。
 狂霊がセイバーに攻撃を加えようとすれば、必ず斜め上方に打ち上げる様な打撃を放つ事になるのだ。地面と平行に打を放てる場合に比べ、その間合いは数割も減少する。頭など狙おうとするならば、余程接近せねば叶うまい。

「■■■ァ、■■■■■ァアア■■ッ!!」

 打ちやすい場所を、見えた箇所を打つ。狂霊の戦法はあまりにも分かりやすく――だからセイバーは、防御に意識を裂かれずに済んでいる。
 どうせ脚か、高くても腰までしか狙われないのだ。始めから到達地点が読めているのならば、どれだけ敵が速くとも防御は容易い。
 一方でセイバーの反撃は、全てが上段から打ちおろされるものと変わる。
 人型の生物であるならば、どうしても左右より上下の視界は狭くなる。狂霊は終始、自分より高い位置を見上げ続けなければならない。その上で、万力込めて打ち込みやすい振り下ろしを、相手に劣るリーチで防がなければならないのだ。
 左右、もしくは後方に下がって回避する事は出来るだろう。だが、石段から外れればそこは雪、もしくは土。左右に動けば足場が悪くなり、速度を武器とする狂霊には死地。かと言って後退すれば、また高低差は広がり、セイバーの攻撃は愈々激しさを増すばかりであった。
 音曲に引き寄せられ、幾人もの人間が階段を上ってくる。数十mも離れた所で、二つの災禍が争っている事を知り、我に返って馳せ逃げて行く。生物が持つ本能は、この争いに介入する事を許そうとはしないのだ。

「アハハハハッ、これなら――これなら勝てるわ! 勝てるわよ霊夢、これで聖杯は――!」

 霊夢達が知るサーヴァントは、現状では五体。セイバー、アーチャーに加え、夜の後者でアリスを襲撃した黒衣のサーヴァントと、アサシンと、そして眼前の狂霊。
 セイバーは、狂霊以外の全ての相手に、白兵戦で勝利出来る確信を持っていた。
 アサシン以外の奇襲であれば感知できるし、遠距離からの攻撃ならばアーチャーが恐ろしいが、然し彼女の現状は味方の陣営である。
 クラスの空きを考えるに、残りは恐らく――白兵戦を得意とするランサー、魔術を用いるキャスター、そして宝具に富むライダーであろう。
 まずランサーを相手取ると考える。苦戦はするかも知れないが、だが近接戦闘で自分が負けるなどと、セイバーはまるで考えていない。事実、クラスとしての補正に加え本人の高いステータス、セイバーは紛れも無く最優のサーヴァントなのだ。
 キャスター戦を想定すれば――セイバーというクラスは、最高の対魔力スキルを持っている。実は彼女の場合、そのランクが高いとは決して言い難いのだが、然して低いとも言えない。初撃を防いで接近出来れば、近接戦闘の出来ぬ魔術師など、一撃で斬って捨てるだろう。
 では、ライダーのクラスと対峙するなら? その時は――自分も同じく、宝具で迎撃すれば良いと、セイバーは考えていた。だから、叶うならばライダーのクラスとは、最後の最後まで当たりたくないとも思っていた。

「■■■■■■ッ、ァアアッ!! ■■■■■■ァアア――ッッ!!」

 敵が死なない、それが信じられぬのか、耐えられぬのか、狂霊は闇雲に吠えて両腕を振り回す。然し――その動きには、些かの陰りが見えていた。
 無理も無い。狂化の英霊は、マスターの魔力をそれこそ湯水の如く消費する。一度戦闘を行ってしまえば、その回復にはどれだけの期間が掛かるだろう。昨日の今日で戦闘を行える、寧ろその事を驚くべきなのだ。
 供給される魔力が不足しているのだろう。凶暴性が変わらぬまま、狂霊の打撃は僅かに軽くなる。それを見逃すセイバーではない。
 何時しか戦場は、セイバーが狂霊の初撃を受け止めた場所より、数十段も下に降りていた。霊夢は、敵が理性を持たなかった事に感謝し、そして勝利の予感に安堵していた。

 だから、とは言うまい。霊夢もセイバーも、油断などはしていなかったのだ。この二者に、落ち度は何一つなかった。
 ただ、敢えて理由を探るならば――無意識化に聞こえていたピアノ曲が、激しい曲調の物に変わっていた事。勝利の確信から来る高揚に、心の半分以上を埋められていた事だろう。

「――招かれざるお客様、ですか」

 すす、と進み出た声は、霊夢の耳より低い位置から聞こえた。〝彼女〟は霊夢より一回りばかり小柄だった。
 近づかれた――気付いた霊夢は、然し〝彼女〟に攻撃しようという考えも、彼女から離れようという考えも起こらなかった。なぜなら〝彼女〟は、驚く程に敵意が無い温和な表情をしていたのだから。

「良い夜ですね、失礼」

 美しい、薄桜の振袖だった。雪の白に、夜闇の黒に、一輪で咲く華だった。小さく霊夢に会釈をして――桜色の〝彼女〟は無造作に、英霊二人の争いに歩み寄る。

「ちょっ、ま――!?」

 その行動の無謀を霊夢が咎めるより先――狂霊は高く投げ上げられ、セイバーは二刀を弾かれて石段に膝を付いていた。
 霊夢の、人間の目にその攻防は映らなかったが、〝彼女〟は左手で狂霊の拳を掴みつつ、右手に持つ鞘で――そう、鞘で。
 鞘でセイバーの二刀を打ち払い、二体の英霊の間に割り込んだ。そして、左足で狂霊の膝を払い、体勢を崩した所を投げ捨てつつ、鞘でセイバーの、やはり膝裏を打って転倒させたのだった。
 戦闘の外からの完全な不意打ち。この結果を、彼女達の技量の差の反映と、そのままに受け取る事は出来ぬだろうが――然し霊夢は我が目を疑う。

「何人たりと我が許し無く、この庭を荒らす事はなりませぬ。名乗られませいご客人、ならぬと言いますなら――」

 膝を付いたセイバーの横を、咄嗟に身構えた霊夢の横を、〝彼女〟はやはり無造作に歩いて階段を上る。〝彼女〟の言う招かれざる客3名を見下ろし、柔和な笑みはそのままに――6尺6寸6分、化け野太刀を正眼に構えた。

「――西行寺家剣術指南、兼当主名代、魂魄妖夢。我が|主(マスター)の悲願の為に、今生にて半霊を尽くしましょう」

 7つのクラスからなる聖杯戦争に――イレギュラーの存在は、実は珍しくない。
 彼女もまた、枠の内に収まらぬサーヴァントであった。









 通り過ぎるだけの動作さえ、嘆息を呼ぶ程に優美だった。
 戦地に有りながら、身構えもせずに敵の横を過ぎる。これが如何に危険な行為かは言うまでも有るまい。英霊の殺し合いに於いての一秒とは、十数回の死を齎すだけの猶予なのだから。
 然して魂魄妖夢は、膝を着いたセイバーを見下ろしながら、肩を揺らさず階段を上った。背を斬り裂かれる懸念など、何処かへ投げ捨てたとでも言う様に。
 膝を過ぎる銀髪が、粉雪を纏ってはらり、はらり。墨で描かれた絵の如き立ち姿であった。

「ご客人、用件は? 我が主(マスター)は只今、機嫌がよろしくいらっしゃいます。故に、お通しする事は出来ませぬ」

 その手にある白刃もまた、常世に在るべからざる、怖気を招く美刀である。
 6尺6寸6分、日本刀の形状としては異常なまでに長い刃。ともすれば不格好にも成りかねないバランスの奇妙を補い、反りは浅く、刃は分厚く広く。重量を測るなら、尋常の太刀の数倍も重いだろう。
 如何なる工程を経て打たれた刀であろうか、刃には幾つもの文様が浮いていた。一つ一つは花弁の様で、然し集まって描くのは鬼の舞い姿。人の手に余る技術は――これもまた、幻想の一振りなのであろう。

「とは言え……素直に引き返すような方は、こうも無礼な訪問をなさいますまい。
 増してやその姿、覇気は、貴女方も私と同じ――理(ことわり)に背く死者でしょうか?」

「回りっくどい!」

 膝を付かされた屈辱でか、セイバーは怒気も強く叫んで立ちあがる。
 大小の片刃の剣を両手に、腕を左右に広げる様に構える。細見の体を大きく見せる、威嚇の姿勢である。

「――■■■、■■■■■■……■■■■■ッッ!」

 黒の狂霊もまた、新たな敵に吠えかかり、両手を顔より高く掲げて構えた。獣――例えるなら熊か。最大級の猛獣が、己の脅威を最大に振るう構えだ。
 英霊たる者が二者二様、かくも無防備に映る敵へ、己の力を示すが如く吠えたは――その実は、警戒と恐怖の裏返し。
 セイバー、黒の狂霊、何れも近距離を主戦場とする者だ。それ故にまた、相手の力量も感じとれる。ただ一合の接触で、二体の英霊は、新たな参戦者の脅威に怯えていたのだ。

「■■■■■――ッ!!」

 然し、押さえれば跳ね返るのも獣――いや、魔獣。狂霊は躊躇なく、妖夢の間合いへ飛び込んで行く。
 化け太刀の間合いに敵が跳び込み、然し妖夢は武器を振るわず――代わりに軽く身を交わしながら、狂霊の腕を軽く引きつつ、逆方向に足を払って転倒させた。

「与しやすい方ですね、有り難い」

「……っまた、なんなのよ。化け物ばっかりじゃないのよ……!」

 階段を何段も転げ落ち、十数mも下で漸く止まった狂霊に、涼しい顔をして妖夢は言う。霊夢は思わず、己のサーヴァントは棚上げして毒づいた。
 あれは、強さの性質が違う。
 セイバーや狂霊の強さは破壊力に由来する。有り余る力、或いは速度を単純にぶつけての、所謂直線的な〝暴力〟の強さである。
 対して魂魄妖夢の強さは――霊夢の目には影も映らぬ攻防から、逆に推測する事が出来た。
 自分は大きく動かず、相手の力を利用して動きを制し、最低限の労力で仕留める。それは言うなれば、達人と呼べる者だけが為せる領域、所謂〝武力〟であるのだ。

「化け物上等よ、本物の化け物には敵わないでしょう!?」

 セイバーは階段を数段抜かして駆けあがり、がむしゃらに妖夢に斬りかかった。
 だが然し、セイバーの切っ先が届くより先、妖夢は後ろ向きに階段を上りつつ、太刀の長さを利して斬り返してくる。
 奇しくも先程までセイバーが行使していたリーチの優位――それがそのまま、セイバーの前に立ち塞がる。
 馬鹿げた長さの刀身は、妖夢が筈かに手首を返すだけで、切っ先を縦横無尽に振りまわす。剣速は、有り余る膂力の差を埋めて、尚も妖夢が勝っている。
 刃と刃が打ち合わされ、夜闇を払う火花を散らす。照らし出された二者の顔は好対照――セイバーは怒りと焦りで顔を歪め、妖夢は涼やかに笑っている。
 戦いを喜ぶ表情――いや、違う。
 強者を自覚する愉悦――それもまた違う。もう少し傲慢な感情だ。
 彼女は、未熟な剣士を相手にする自分を――過去の自分の師に重ね合わせ、懐かしんでいたのだ。
 この戦を決死で戦う理由など無く、寧ろその様に思いを馳せながらで良いと、呆れる程に強者らしく振舞う。子供をじゃれつかせる際に、死を覚悟する父親など居ないのだから。

「……っ!! へらへらしてんじゃないわ――」

 生前も死後も、軽くあしらわれた事など無いセイバーだ。愈々激怒し、石段を擂鉢状に砕く程の脚力で踏み込み――遥か後方から、それを追い越す影一つ。

「■■■■■ィ、ァア■■■――ッッ!!」

 褪色の狂霊は、地を這う様に駆け抜けた。初撃から全霊を込めての拳は、然し妖夢の太刀捌きに敢え無く避けられる。拳の側面を切っ先で叩かれ、横へと押し退けられたのだ。
 太刀が横へ向いた――即ち、剣閃の間隙。狂霊とは逆の方向から、セイバーは二刀を以て斬りかかる。

「……そんな、無茶な――」

 霊夢はもはや、眼前の光景に驚嘆する気力さえ失いかけていた。
 届かない――6尺6寸6分の刀身は、近接戦闘に於いては絶対の防壁となる。
 そも踏み込めず、踏み込めば比類無き剣速と、防御の隙間を縫う技量。さりとて――

「無茶苦茶過ぎるわよ、あいつ!?」

 ――さりとて、こうも見事に防ぎ得るものか?
 狂霊の拳打蹴撃を左手足で捌きながら、右手の野太刀でセイバーの二刀を受け続ける。
 防御に徹するばかりではなく、合計六つの凶器の合間を縫って、己から敵へ斬りかかり、時には浅く深く手傷を負わせる。
 霊夢の――マスターの目には、サーヴァントのステータスが数値化されて映る。その数値を見る限り、魂魄妖夢は確かに強いが、二体の英霊を同時に相手出来る程とは思えない。
 いや――確かにステータスは、強弱を図る明確な指数だ。だがこの戦いに於いては、近接戦闘というルールに於いては、数値は絶対の信頼を示さない。示す事が出来ない。
 如何なる力も、当たらなければ意味は無い。どれだけ速かろうが、回避出来ぬ局面に追いやられれば意味は無い。
 位置の優位に技量の格差、このまま戦闘を続けようが、きっと妖夢は手傷一つ追わずに居られるのだろうと霊夢は感じ――

「……ぁああああもうムッカツク! ぶっ壊してあげるわ!!」

 セイバーが地を蹴り、飛んだ。石段より十数mも飛びあがり、まるで地面を踏み締めているかの様に、一切の揺れもなく留まった。 そうだ、『幻想の幻想』時代の英霊であるなら、当然の様に飛べるとセイバーも言っていた。その様にすれば、高所の優位は消え去るのだ。
 追って妖夢が空に舞えば、狂霊は真下から妖夢を狙うだろう。前後左右のみならず上下の挟撃も可能となる空中は、人数の優位は倍以上も強く作用する。

「お帰り下さいませ、これ以上は無価値な争いと存じます。貴女にも主は居るでしょう、主を守れずして何が従者か」

「……霊夢狙いに切り替えるって? 澄ました顔してセコいわね」

「いいえ、私には不要の一手。然しこの場には、私と貴女だけではありませぬ故」

 高く舞ったセイバーを見上げて、妖夢はそれだけ言って、太刀をそっと石段に置いた。得物を手放した敵へセイバーが迫る。残り2mで手が届く距離まで近づいた時、セイバーの視界の端で鎧が動いた。
 妖夢にもセイバーにも主が居る――ならばかの狂霊もまた、主を持つサーヴァントであるのだ。狂化の影響を受けているとは言え、或る程度の行動方針は受け取り動く事が出来る。
 敵対者の一人は能動的でなく、一人は離れた。好機と見た狂霊は、主命の下、より与しやすい敵へと迫る。

「…………っ!?」

 狙われたのは霊夢だった。傍らに佇んで、ただ戦いを見守るだけの霊夢は、狂霊からすれば皿の上の馳走。
 唯一己に匹敵するステータスの敵を、大した労力も無く仕留め得る好機。狡猾なマスターなら逃す筈も無く、寧ろ思い当らなかった霊夢とセイバーの落ち度であるが――兎も角、狂霊はただ一足で霊夢に肉薄した。
 セイバーも空中戦は不得手ではないが、然し地上を駆ける程の熟練は無い。狂霊が霊夢に爪を突き立てるまで、身を割り込ませる事など出来る筈も無い。
 僅かに瞬き一つの間も無く、霊夢の頭は破片と成り果てるだろう。霊夢本人が、そう直感で悟った――瞬間、であった。

「――人の血で、庭を穢してくださいますな。ここは死者の館に御座いますれば」

 狂霊の両腕が、妖夢の刃に斬り落とされていた。
 妖夢の手に有ったのは、化け野太刀ではない、ただの脇差だった。そんなものが鎧に覆われた狂霊の腕を、ただ一振りで切り落としていた。
 成程曇りも淀みも無い、美しい刀身ではある。刃渡りは一尺と四寸、反りは薄い。
 その刀が何時、妖夢の手に出現したのか、その場にいる誰も気付けなかった。そこに有るのが当たり前であるかの様に、脇差は姿を現して――そして、また姿を消していた。

「■■■■■■■■■――ッ!?」

 狂霊の脅威には、再生能力も含まれる。落ちた腕は早くも復元を始めていた――が、ここに於いて二者の優劣は決定した。
 戦場が違えば、時節が変われば勝てる――そういう類ではない。
 直線的な戦闘の傾向に対し、卓越した技量で迎え撃つ。魂魄妖夢は存在自体が、この狂霊の天敵なのだ。
 敵わぬ敵との戦は、獣の望む所ではない。現れた時の様な暴風的魔力を巻いて、狂霊は戦場を駆け去った。

「……客人の一人は去りました。我が主の演奏もいよいよ終幕ですが――最後まで聴かせる事は出来ませぬ」

 変わらずピアノの音色は、聴く者へ言葉の様に語りかけて来る。霊夢は己の足が、勝手に音を追い掛けていかない様に抑えるのがやっとだった。

「セイバー……使いなさいよ。勝てないわ」

「そんな事無い! こんな奴、今のまんまで十分よ……!」

 何を使えと言うのか――言うまでも無い、宝具だ。
 セイバーと妖夢、両者のステータスを比較する。耐久はB、敏捷はAでそれぞれ同値。筋力を見ればセイバーがA、妖夢はB。だがこの程度の優位では、技量の差を埋めるには足りない。
 だが、宝具ではどうか。セイバーの宝具ランクはA++、対して妖夢は――D。宝具での衝突に持ちこめば、技量差など十分に覆せる。

「セイバー!」

「要らない、これで十分よ!」

 だが、セイバーは頑なに、宝具の解放を拒んだ。
 校庭で別なサーヴァントと――黒い影と戦った時には、宝具の解放の前兆を見せていた。然して今はそうしないのは――自分の力量だけで切り抜けられると、そう信じているからか。
 或いは――プライドが故、だろうか。
 あの黒い影と戦った時には、終始優位を保った上で、先に敵に切り札を抜かせた。今回は逆で――終始不利な状況に置かれて、先に切り札を使う事を求められている。
 ましてや相手は――彼女の時代で言うならば、決して強者と呼べなかった存在だ。


 魂魄妖夢、言ってしまえば未熟者。身体能力も技術も優れていたが、未熟な心が足を引っ張る類の――半人半霊であった。
 その技も、化け物揃いの幻想郷で見るならば、鬼に通じず月人に通じず、有力な妖怪達にはやはり通じない。人間よりは強いが、その程度の存在だった。
 異変が起こった時、気紛れな主の意向で解決に出向いた事も有ったが――大概は博麗の巫女か、白黒の魔法使いが先に解決してしまう。妖夢本人は勘違いから空回りして、主に笑われて終わるのが常だった。

 セイバーは知らない。魂魄妖夢が、人より長い生の後半百年以上も、白玉楼の外に出ず過ごした事。長い長い月日を、武の研鑽という一点に費やした事を。
 人に触れず、妖怪に触れず、ただ己の道だけを歩んで――死の間際まで、庭で刀を振るい。漸く己で満足の行く一振りを見つけ、それからぱたりと倒れ、間もなく息を引き取った事を。
 死の間際までの記憶、経験、全盛期の肉体。こと闘争に関して、魂魄妖夢は生前よりも尚、今こそが強いという事を。


 刀を持たず、妖夢は居合の構えを取る。腰に当てた左手の中に、脇差の鞘が出現した。
 自然、右手は柄を掴み、抜刀の前段階を完成させる。
 きっとセイバーは自分から飛び込んでくるだろうとそう信じて、妖夢は迎撃の体勢を取ったのだ。

「この……舐めんじゃあないわっ!!」

 果たしてその通りに、セイバーは一度空中へ急上昇した後、二刀のリーチを頼りに特攻した。重力加速、飛翔速度、全てを乗せた剣閃は、岩盤さえも砕くだろう。決して受けられぬ一撃で――妖夢からすれば、受けねば良いだけの一撃だった。
 頭を狙う刀を、胴を狙う太刀を、妖夢は静かに後退し、前髪に掠らせて回避する。そうして生まれた空白に、セイバーの意識よりも早く踏み込んで、

「――『斬レヌモノ無シ(ハクロウケン)』」

 空いた胸から腹へ駆けて、脇差を音も無く閃かせた。
 鮮やかな血が、雪に飛沫いた。










 白銀の鎧が、大きく削り取られていた。黒の籠手が、具足が、ヤスリで研がれた様に破壊されていた。セイバーは雪の上に片膝を落とし、血を吐きながらも妖夢を睨みつけていた――その目に、力は薄い。
 霊夢は、眼前で起こった出来事を、理解しようと思考を回転させていた。
 確かに魂魄妖夢の刃は、セイバーの胴体を切り裂いた。だが――セイバーの傷は、どうしても刀によるものとは見えなかった。
 仮に掘削機械に巻き込まれたならば、この様な傷を負うだろうか。広範囲に渡って肉を抉り取られ、そして傷口は幾重もの波の様に乱れている。

「ぐぅ、ううぅう……!」

 立ち上がろうとするセイバーだが、足に力を込めようと、体がぐらりと揺れるばかりだ。
 分からない――分からない事が、寧ろ確信を抱かせる。あの刀こそは、英霊魂魄妖夢の宝具であると。
 妖夢は脇差を鞘に納める――鞘ごと、脇差は何処かへ消える。石段に置いた太刀を拾い上げ、妖夢はセイバーに背を向け、主の下へと帰参し始めた。

「……待ちなさい、まだ――」

「まだ戦える、と仰いますか?」

 二振りの刀を杖の代わりにして、セイバーはどうにか体を起こす。その体は既に、傷口の修復が始まっている。
 全く並々ならぬ化け物だ。人であれば致命傷だろう傷を受け、早くも立ち上がろうとしている――然し、それでは足りない。
 化け物ばかりが参戦するこの戦いに、並みの化け物で勝ちの目は無い。例えセイバー程の怪物であろうが、ただ一振りで戦闘継続を不可能にされてしまう。

「貴女もサーヴァントならば分かるでしょう。今の貴女はもう戦えません。例え継戦が可能であったとしても、貴女が私に勝つことは無い」

 何時しか、ピアノの音は止んでいた。霊夢はセイバーに掛けより、その背に手を当て、そっと石段の上に横たえた。

「セイバー、何やってんの! 死ぬわよこの馬鹿!」

「死んでるわよ、馬鹿マスター……ごめん、ちょっと消えるわ」

 実体化を保つには甚大過ぎる負傷――セイバーは霊体化し、霊夢からは目に見えなくなる。
 霊体の気配だけがそこに有り――動けはするのだろうが、妖夢の言葉通り、戦う事などは出来まい。
 見上げれば遥か上方に、硬く閉ざされた門が見えた。過去に訪れた時は、広く開放されていた筈の――今は、賊徒を阻む城壁と化した。

「良く良く覚えておかれませ。我が名は魂魄妖夢、この戦に置いては『ウォーリア』の名を冠します。
 私が振るう白楼剣に――斬れぬものなど、何も無い」

 その門を、霊体化した妖夢は擦りぬけて行く。奢らず、然して自信に満ちた言葉は、研ぎ澄まされた白刃の如き美しさであった。





 学業を終えて帰宅してすぐ、アーチャーは居間を占拠してテレビのチャンネルを回し始めた。
 娯楽番組を見るでもなく、芸能情報を仕入れるでもなく、お堅いニュース番組を見始めたのだ。

「……何か楽しいの?」

「ああ、こりゃ楽しいな。烏天狗の新聞なんかよりよっぽど楽しい。新聞と言えばアリス、朝刊とか無いのか?」

「有るけど……何に使うのよ。紙飛行機?」

「折るんじゃない、読むんだ。それから地図もくれ、この街だけで良いから」

「小学校生活科の地図帳で良いわよね? ……洗濯の手伝いくらいしてくれないのかしら」

 私は、主人を顎で使う従者の存在に呆れながら、ここ数日のバタバタで洗いそびれた衣服を片付けていた。
 どうせ今の夜の中、洗濯機に適度な洗剤さえ放り込んでおけば、後は暫く離れていても問題は無い。
 問題は無いのだが、小間使いの真似事をさせられるのが、あまり良い気分で無いのも事実だった。

「えーと、道徳、一年こくご、二年国語、三年りか……これよこれ」

 一度自室に戻って、古い教科書が並べられた棚を漁る。漢字とひらがなが入り混じる中、一際分厚い地図帳は、端の方に置いてあった。
 大概こういう地図帳は、全世界の地図とは別に、その地域のマイナーと言おうかローカルな地図が何ページか掲載されている。
 そのページを開いて持っていくと、アーチャーは私の方には顔を向けず、テレビにくぎ付けのままで受け取った。

「ペン。色は何でも――ああ、待った。四色ペンって言うの使ってみたい、有るか?」

「あのねえ……怒るわよ? ちょっとは自分で動きなさい!」

 流石にこの無精には腹が立ち、正面に回って顔を睨んでやる――やけに真剣な顔が、そこに有った。

「……アーチャー?」

「後、ラジオも欲しいな。何個でもいい、夜までにこの街のニュースに、或るだけ全て目を通したい。
 夜までにチェックを終わらせる。その後でアリス、お前の力を借りるから……そうだな、喰うか寝るか宿題でもしとけ。疲れて引っ繰り返られたらたまらない」
 あまりにも強い意思の伝わる声に、私は思わず、画面を遮る身を避けた。
 理由は何処にも無いが――きっとこれは、不可欠の事項なのだと、私は気付いていた。アーチャーは、決して退屈な時間を潰す為、テレビにうつつを抜かしているのでは無いと。

「……っぷぷ。見ろよアリスー、運転手が居眠りしてトラック横転だと。道路がバナナで埋まって通行止め、凄い絵面!」

「真面目にやれ!」

 断言して早々、些か不安になった。アーチャーの頭に拳を落とし、宿題へ取りかかる。
 どうせ食べずとも堪えない身の上、不摂生に如何程も危惧は無く、呆れと共に私は自室へ閉じこもるのであった。





 一度勉強に取りかかると、ついつい熱中してしまう。電気の灯りも時間を忘れる手助けとなり、何時の間にか日付が変わっていた。

「呼びなさいよ……ったくもー」

 この時間まで、アーチャーはニュースを見続けていたのだろう。意識を外へ向けると、居間からはテレビの音が聞こえる。
 適度な時間で呼んでくれれば良いものをと、気の利かぬ従者に不満を抱きながら立ち上がると――

「悪かったな。お客様だぜ」

 背丈より随分大きい箒を担いで、アーチャーが部屋の扉を開けていた。そのすぐ後ろに――疲労しきった顔の霊夢が立っていた。

「失礼するわ、夜分遅くに」

「どうしたのよ、夜分遅くに。しかも死人みたいな顔で?」

「セイバーが死人に戻されかかったのよ……あんた達の力を借りられる?」

 私はアーチャーと顔を見合わせ、ほぼ同時に頷いた。

「オーケー、霊体化を解除させてくれ。専門じゃないが、お前達よりは上手く出来る」

 アーチャーは私のベッドからシーツを引きはがし、居間のソファにそれを掛けた。その間に私は、消毒薬や包帯など、僅かな備蓄を有るだけ掻き集める。
 セイバーはソファに横たわった姿で実体化し――広く刻まれた傷に、私はきっと青ざめていただろう。

「……何よこれ、パワーショベルにでも抉られたの?」

 胸から腹へ掛けて、皮膚と肉を削ぎ落された様な傷口。防具の上からこれほどの損傷を与えるには、如何な武器が必要となるのか。
 ここ数日で血への耐性は出来てしまっていたが、それにしてもあまりに大量の出血に、頭が痺れた様な気さえする。
 アーチャーは冷静に――ともすれば、冷徹とも言えよう程に傷口を眺め、手を触れて、

「霊夢、セイバーは何をされた? こいつがこんな、傷の治りが遅い筈無いんだがな……」

 不思議は見慣れた魔法使いが、不可思議に首を捻る。おかしな光景だった。
 患者であるセイバーは、喘ぐように口を開き、だが声を発する体力も惜しいのか、結局は口を閉じる。

「……たった一回、スパッと斬られたのよ。説明するわ、治療しながら聞いて」



「――そういう訳で、マスターは確認できなかったけど、確かにサーヴァントは確認したわ。
 魂魄妖夢、拠点は白玉楼。クラスは――イレギュラーね、ウォーリアって言ってた。そんな所よ」

 霊夢の話は、混乱と高揚で時折は分かりづらい部分も有ったが、基本的には道理の通った内容だった。
 だからこそ、事実の重大さが分かる。あの狂霊とセイバーと、二体を同時に相手をして、一つの傷も負わないサーヴァント。
 そんな物が本当に、本当に存在するのであれば――大事だ、なんて軽い言葉では済まない。

「……で、セイバーの傷はどうなのよ? 治るの? 治るのはいつ?」

「落ち付け、霊夢。耳元であんまり騒ぐな――」

「これが落ち付いていられますかっての! どうなのよ!?」

 然し、私は――きっとアーチャーもだろう――その話を強く危惧していなかった。
 だからアーチャーは静かに、事務的に治療を進めて行く。抉れた肉を再生させ、不足した血を補い、肉持つ霊体を魔力で埋めて再構成させる。成程確かに、他の術の手際に比べれば些か劣るが、卓越した術者で有る事に違いはなかった。
 早送りの様に肉が〝生える〟様を見せられ、少なくとも食欲は失せた。食事をせずに生きられる身に、改めて感謝をする。

「……驚いたな。妖夢の奴、ここまでやるようになったのか……こりゃ確かにセイバーも負ける、頷けるぜ。
 あー、霊夢。こりゃ簡単に治る、お前の魔力供給が滞らなきゃだが。私の傷なんかよりよっぽど楽に回復するだろうよ。
 霊体化しなかったのが良かった。けど次は、正面からやり合うのは避けとくのが良いぜ」

「どういう事? セイバーと私で勝てないんじゃあ――」

 霊夢の言わんとする所は分かる。確かにマスターとしての保有魔力量、そしてサーヴァントのステータスを見れば、霊夢とセイバーのタッグは馬鹿げて強力だ。
 
「私とアーチャーならどうにかなりそう。後……アサシンも、やり方次第じゃ行けるんじゃないかしら、聞いた感じだと」

「同感だな。妖夢の宝具が〝どっち〟なのかは分からんが、多分脇差の方だっただろう? じゃあ、近寄らなきゃどうにかなるさ」

 然しその精強無比は、刀の間合いの内のみ。アーチャーの様に遠距離戦闘を主体とする者や、搦め手を用いて戦うアサシンならば、そう恐れる事は無い。
 ましてや魂魄妖夢――ウォーリアは、自ら攻め込もうという考えを持たないのか、完全に守戦に回っていたという。
 ならば、無数の策を携えて攻め込めば、十分以上に勝算は有る。

「ええ、そう思うわ。斬られて分かったけど……あれは、霊体殺しの刀よ」

 傷は粗方塞がったセイバーが、か細い声ながら言った。

「霊体にはめっぽう強い……けど、他に何も無い。伸びたりしないし、勝手に空を飛んできたりもしない……手が届かなきゃそれまでの刀。
 あんなもの、タネさえ知ってれば勝てるのよ。次は絶対に私が勝つわ……!」

 負けた事が余程悔しいのか、セイバーは回復しきらない体で拳を作り、自分の膝をガツガツと殴りつけている、
 その様は、外見の年齢より数段も幼く見えて――呆れて、霊夢までが溜息をついていた。

「お前は駄目だ、治ってから私が行く。代わりにお前は、あの鎧の奴をどうにかしてくれ。
 多分だけど、私はあの鎧のには勝てそうにないんだ。適材適所って大事だろ?
 ……それよりも。白玉楼って言ったよな? だったら一つ、気付いた事があるんだ」

「あ、それ私の地図ちょ……あー」

 一先ず、無事と先行きが鮮明に見えてきた。少しばかり安心感が漂った部屋に、アーチャーの威勢の良い声。
 彼女が手にしている地図帳が、赤と青のインクで染められていると見て取った瞬間、私はもう頭を抱える事しか出来なかった。

 だが――アーチャーが地図に残した印には、一定の法則性が見えた。
 見た目の侭に受け取れば、無作為に散らばった印でしか無い。けれど私は、これが何らかの意味を持つものだと――直感で悟っていた。

「アリス、霊夢。この街で最近さ、なんか変な事件って起こって無かったか? 具体的に言うと、学校での体調不良に似た様な感じの」

「似た……? んなもん、この寒さよ。……あー」

「それと?」

 自分の言葉に何かを気付いたか、霊夢は暫し口を閉ざした。両腕を組み、床に座ったまま自分の足を睨む。

「……悪い風邪が流行ってる、って聞いたわね。咳は出ないけどだるさが酷いって。あっちこっちでぱったり来てて、救急車が走り回ってるそうよ。
 学校よりは北側に集中してるって話らしいけど、伝染るとかはあんまり聞かないわ。良く考えりゃ変よねこれ」

「あたりだぜ、霊夢。丁度私も、そのニュースが気になってた所だったんだ。で、その症状が流行ってる所を地図に示してみた」

 アーチャーが手にした地図帳の、学校より北側の範囲に目を向ける。
 小さな赤い点が幾つか打たれて、横には細かい文字でのメモ書き。日付は、きっとニュースなどで報道された、症状が確認できた時期なのだろう。
 こうして纏められると、何となく規則性が見えてこないでもないが、然しまだまだ分からない。赤い点の群れの中に、時々青い点が混じっていたりして、何を意味するのか分からなくなるのだ。

「アーチャー、こっちのは? この青い点、どっちかって言うと街の西側の方に多く広がってるみたいだけど……」

「こっちは、最近起こった些細な事故とか、そういうもんを片っ端からチェックしてった奴。何かのスイッチを切り忘れてガス洩れとか、見通しが良い筈の道路で余所見の衝突事故とか――まあ、そんなのだな。
 見てもらうと分かるだろうが、青い点は基本的に、21時から27時までの6時間だけで記してある。それ以外は多すぎて駄目だ」
 事故――何故、そんなものに目を付けたのだろう。私は暫し、その意味を探るべく思考する。
 アーチャーが集めたのは、人のミスによる事故。それも夜間に限定して――これには、きっと意味が有るに違いない。
 事実から意味を見出すのではなく、意味が有るという前提の下に事実を見れば、やがて一つの考えが浮かんでくる。
 それは――

「……やけに綺麗な円ね」

「だろう? ノイズを取り除けば、ここ最近の数十件の事故が、綺麗な円の中に収まるんだ」

 青いインクを使い、記された点と点を繋ぎ、或いは間に色を塗る。地図の上には忽ちに、一つの大きな円が浮かび上がった。
 アーチャーがノイズと呼び、また私も敢えて線を伸ばさなかった幾つかは、明らかに円から大きく外れた位置に存在する。これらはきっと、調査の過程で偶然見つけた、たまたま起こってしまっただけの事故に違いない。
 肝心なのは、決して広いとは言い難い範囲で、〝普通ならば有り得ない程の不注意〟が幾つも起こっているという事だ。

「夜だから疲れてた……とか、無いわよね。急に増えすぎよ、こりゃ」

 胡坐を組んだままの霊夢が、身を乗り出して地図を見る。ふむふむ、と頷く様子が、どこか年頃の少女と思い難い貫禄を醸している。アーチャーはそれがおかしいのか――懐かしいのか、くすくすと小さく笑った。
 似合わない笑い方をする彼女だが、直ぐに頭を切り替えたのか、赤いインクのペンを手に取った。

「霊夢の話を聞いて思ったんだが、この綺麗すぎる円は多分、音に誘われて不注意になった連中のもんだろうぜ。
 こうやって作った円の中心、私が塗りつぶしちまった場所のど真ん中……此処が、今の白玉楼だろ?
 ってことは、だ。よっぽど鈍い奴でも無い限り、この円の中に、妖夢の主以外のマスターは居ないんじゃないかな。
 で、問題はこの次だ。今の要領で赤い点を繋ぐと……ほら、こんな形になっちまう」

 半ば予想していた通り、アーチャーは赤い点も円に変えようとした。
 だが、こちらは点の位置がぶれ過ぎていて、どう繋いでも円の形にはならない。
 やりたい事は分かるが――此処でもう、半ば手詰まりの様に思えていた。

「さあ、ここからだ。今の時代を生きている、お前達二人に期待するぜ」

 然しアーチャーは、寧ろこの状況をこそ、解決のためのルートと見ているらしい。
 私と霊夢の肩を抱き寄せ、頭を地図に近づけさせた。

「ちょっと、何するのよ」

「良いから良いから。お前達、この辺りを歩き回った事ってあるか? 上り坂の有無とか分かるか?」

「……まあ、生まれた頃から住んでる街だし、そりゃねえ」

 霊夢は言うまでも無く、私もこの街は良く知っている。どの路地を通れば、何処へ行くのに近道であるかなど、実体験で良く身につけている。
 ――そろそろ、アーチャーの意図が見えてきた。私もペンを持ち、直接地図に情報を書き込み始めた。

「ここからここまで、見た目の距離より坂がキツいから5分は掛かるわ。こっちは行き止まり、だから別な道を行くしかないわね。それから――」

 つまり、移動手段が問題なのだ。
 霊夢達が戦った魂魄妖夢――ウォーリアの陣営は、音を使って他者を幻惑している。夢遊病の様に引き寄せられた者も居るというから、恐らくは市民から僅かずつでも、魔力などを吸い上げているのだろう。
 余談だが、この予想が当たっているとすれば、ウォーリア陣営のマスターは、魔力を殆ど用いずして他者の精神に干渉している事になる。
 一般市民を、殺すどころか後遺症一つ残さず吸い上げた魔力など、本当に雀の涙であろう。そんな事をしてプラス収支になるのなら、余程効率の良い手段を持っているに違いない――ますます、厄介な相手だ。
 それはさておき、アーチャーが赤い点で示した範囲は、きっと徒歩で移動する場合だ。サーヴァントが、ではなくマスターが、である。
 徒歩で移動すれば、当然坂道を登るには時間が掛かるし、行き止まりは迂回して進む必要がある。同じ時間を移動に費やしたとて、東西南北全方向に、等しく進めるとは限らないのだ。
 到達距離の違いが、到達点の生む曲線を歪めているのだとすれば、平面の地図には無い高低の概念を以て補正し、更に交通事情も要素に用いて――

「ここかしら。これだとかなり円に近付かない?」

「いやいや、ちょっとこっち端がおかしい。もうちょっと西じゃないか?」

「じゃあこれくらいにして……違うわね、これだと行き過ぎ。少しだけ東に戻して、幾らか南へ」

「ちょちょ、ちょっとちょっと」

 後から消しやすいようにと鉛筆を地図に走らせていた所、霊夢が横から口を挟んできた。

「私を置いてけぼりにしないでよ、せめて説明して頂戴、説明。あんた達は何をやってるの?」

「アサシンのマスターが、何処を拠点にしてるかの特定。学校に仕掛けられてた魔法陣、あれのせいで広がってた症状は……椛を思い出せば分かるでしょ?」

「……そういえば、あいつもダルそうにしてたっけ」

 熱は無いが、体に気だるさを感じ、力が入らない。ちょっと聞くだけだと風邪の初期症状にも思えるが、本当はそんな優しいものじゃない。
 アーチャーは、各種媒体に流れる些細な注意喚起の記事が、アサシン陣営の居場所を記す手掛かりになると、そう感づいていたのだ。
 私も線を書き足し続けた結果――ついに、美しい円を描く事に成功する。その中心は、小さな住宅地の中に記されていた。

「距離の補正を加えて、最も綺麗な円を描ける一点と、近似の複数個所。アサシン陣営は恐らく、この辺りに拠点を持っている――そうでしょ、アーチャー?」

「グレイト、今回は満点だぜアリス。そうと分かれば早い内に――セイバーを早く治して、襲撃するのが良いだろうな。
 念の為だ、私も行く。二対一で正面からなら、あのアサシンには十分に勝てるだろうぜ。
 ……という事で今夜は寝よう。明日も普通に学校有るだろ?」

 古明地こいしと言う少女は、不気味だが無警戒で、マスターとしての脅威度は低い。奇妙な技を使うアサシンの優位性を、彼女の運用が著しく削いでいる。
 確かに、勝算は十分以上。確実に確実を重ねるアーチャーは、やはり射手より魔術師の適性が高い様に思えた。

「ところであんた達、片付け始めた所で悪いんだけど」

「……ん、どうしたの?」

 暫く蚊帳の外に置かれていた霊夢を、この声で思い出す。
 分析より直感任せの霊夢は、今回はまるで参加する所が無かった為か、幾分か不機嫌そうな表情だ。
 だが、この言葉を言い出しかねている様な雰囲気は、そればかりでも無いと思うが……

「……怪我したセイバー連れて、今から帰るのは危険だと思うの。泊めてくれる?」

「そんな事? 別に良いわよ」

 悩むまでも無い事だった。私も泊めてもらった事だし、これで一対一、丁度借りを返せる。
 ただ一つばかり問題なのは、一人暮らしのこの家には、寝具が一つしか無い事くらいだが、

「パジャマは私ので良いわよね、背丈あんまり代わらないし。寝相は大丈夫?」

「大丈夫だと――って、私は床かソファで良いから。良いから別に」

「私は気にしないわよ? 細いし大丈夫でしょ、アーチャーとセイバーには霊体化してもらえば良いし」

 寝室へ案内した所、霊夢は体育の授業で習う様な回れ右をして見せた。肩を掴んで引き留める、遠慮などする必要は無いのに。

「ほんっ……とうにあんたさ、いつか刺されるわよ」

「……? 蜂でも飛んでいたかしら?」

 霊夢の言う事は、私には今一つ分からない。
 分からないままにしておくのも気味が悪いが、一先ず今夜は、眠って頭をすっきりさせようと決めたのであった。





【ステータス情報が更新されました】

【クラス】ウォーリアー(イレギュラークラス)
【真名】魂魄妖夢
【マスター】???
【属性】秩序・善
【身長】151cm
【体重】45kg

【パラメータ】
 筋力B  耐久B  敏捷A
 魔力E  幸運D  宝具D

【クラス別能力】
 不退転:A
 退く事を知りながら、敢えてその手を捨て去った背水の覚悟。
 敵を正面に置いて戦う際、筋力、敏捷、耐久のステータスがワンランク上昇する。
 ただし、認識していない相手より奇襲を受けた際は、代わりに全ステータスがワンランクダウンする。

【保有スキル】
 無窮の武練:A
 長い生の全てを鍛練に費やした、武の道の具現たる証。
 如何なる精神状態であろうと十全の力を発揮する。

 勇猛:B
 威圧、混乱、幻惑といった精神干渉を無効化する。また、格闘ダメージを向上させる。

 心眼(真):B
 修行・鍛錬によって培った洞察力。
 窮地において自身の状況と敵の能力を冷静に把握し、その場で残された活路を導き出す戦闘論理。

【所有アイテム】
 楼観剣:妖怪が鍛えたと言われる長刀。西行寺家の蔵に眠っていた。
 一切の細工を施す事なく、霊体に干渉する事が出来る刀である。
 尚、刀身の長さは6尺6寸6分。

【宝具】
『斬レヌモノ無シ(ハクロウケン)』:ランクD? 対人宝具
 魂魄妖夢の死と共に散逸した西行寺家の宝物の一。
 外見は刃渡り一尺四寸、平凡な脇差。曇り淀みの無い刀身が、寒々とした印象を感じさせる。
 誰が鍛えたのか、どの様な経緯で妖夢の手に渡ったのかを知る者は誰一人おらず、ただ最初からそこに存在したかの様に在る。
 妖夢が抜刀の姿勢を取り念じる事で実体化、鯉口が切られる。
 切れ味鋭く、折れず曲がらず、魂魄妖夢の手に有れば山すらも斬る。

 その本質は、究極の対霊兵装・白楼剣。
 真名を解放して斬りつける事で、霊体に対しての絶対的な排除権限を発動する。
 端的に言うならば、刀身を掠らせるだけで霊体――サーヴァントでさえ、霊体化しているなら――を消滅させる。

 ただしこれはカタログスペックであり、霊体への干渉には多大な魔力を必要とする。
 単独行動スキルを持たない妖夢が宝具を真名解放するには、当然だがマスターから魔力を引き出す必要がある。
 その為、結果的にだがこの宝具は、〝刀身が触れた部位の周辺を消滅させる〟程度の効果しか生まない。
 とはいえ、首や心臓付近など、霊核の近くを突き刺す事が出来れば、戦闘続行スキルを持たないサーヴァントは即刻消滅するだろう。
 また、実体化している霊に対しては、消滅の効果こそは生まないが、刀身より明らかに広い傷を与える。
 刀の鋭利さに鈍器の打面の広さが加わる斬撃は、掘削機械の如き凄絶さで、対象の肉を抉り削る。