謹賀新年
「明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします」
「殊勝ですね、その真意は?」
「お年玉ください」
ぱこーんと快適な音が響いた。別に羽根つきとかではないが、何故かカムイが持っていた羽子板が、操の頭を打ち据えた音だった。
新年早々、上司の私室を訪れ、金をせびる部下。もはや部下と呼んで良いのかも分かり辛い所ではある。
寧ろ普段ならば、ブレーキを掛けるのが操で、好き勝手に言うだけ言うのがカムイなので、こうして時折逆転する事でバランスが保たれているのかも知れないが――
兎角、この上司と部下、新年早々騒がしかった。
「痛い!」
「挨拶くらいちゃんとしなさい、おバカ! ……全くもう、お年玉なんて用意してるとでも思ってたんですか」
「してないんですか?」
「支部の兵士全員分は用意してますよ」
「流石支部長、素晴らしい、尊敬してます、大好きです、愛してます、お年玉ください」
物欲に正直な奴であった。
もはや何かを言う事をカムイは諦め、素直に操に封筒を手渡そうとして――
「……ところで操。最近はとんと聞かない風習ですが、お年始に親戚の家を回った事は?」
「はい? 親戚なんて、何人残ってるかも知らないですよ」
「でしょーねー……そうか、今の子はそうなんですよねぇ……ふむ、ふむ、ふむふむふむ」
何事か頷いて、カムイは一人でしきりに頷き始める。
操は嫌な予感がして、部屋を何時でも飛び出せるように後退りをした。が、机の引き出しに封筒が仕舞われそうな様を見れば、逃げ出す事も出来ないのだ。
そして案の定、カムイは機械足の出力を最大にして操の背後に回ると、がっちりと襟首を掴み、
「あいさつ回りに出かけます。お供しなさい、じゃないとお年玉上げません」
「……でも支部長。この方角は玄関じゃなくって――」
「おめかししないでどうするんですか! あなたは馬鹿ですか、このおバカ!」
「頭湧いてんのかあほ支部長!」
喚く現役戦闘少女の抵抗を意に介さず、ずるずると引っ張っていく、前線の引退者。
何とも言えずおかしな光景を、見咎める程、この日は廊下に人もいなかった。
「……なんでまた、私がこんな恰好を」
「うだうだ言わない。……まあ、似合ってるかと言われると悩みどころではありますけれども、それもまた個性と」
「蹴るぞあほ支部長」
そこには、何とも言えず珍妙な格好の少女が居た。
何せ、仰々しい武器を身につけながら、どう見ても彼女は、戦わない為の格好をしているのだ。
下駄の鼻緒が足袋の黒に浮き、長い髪は結いもせず、だが簪を一本通して。名を示すかの緋色の振袖は、雪の中に有れば牡丹の華の如き鮮やかさである。
が、背中にしょっているのは、彼女の愛用兵器『S-103携行型』。鞘に納めても物騒さは収まらない。こんな恰好で何をしに行くかと言えば、年始のあいさつであった。
「じゃあ、操。私はちょっと偉い人にあいさつしてきますんで、貴女は貴女で宜しくお願いしますね。たっぷりと愛想を振りまいてきてください」
「はぁ。……はあ? えっ、そんな投げやりな」
苦情を述べるものの、我が上司の投げやりはむしろ平常運航であると諦める操。
がしゃんがしゃんと騒がしい足音が遠ざかっていくのを、ぼうと見送るしか出来ぬのであった。
さて、なんでこんな事になっているかと言っても、特に理由は無い。
お年玉に目がくらみ、親の親せき周りに突き合わされた子供のような状況である。ので、例えば親戚の子供に出会うと、非常に気まずい。
何が気まずいといって、普段は遠方に住んでいて名前も正確に覚えていない同世代の子と、同じ空間に放置される事ほど、年始の気まずさを感じるものは無い。
であるからして、操はこの時、何とも言えぬ顔になっていた。
「……えーと。あけまして、おはようございます」
「……おめでとう」
ぺこりと頭を下げた相手は、髪の隙間から眼帯が除く戦闘員。これで同い年かと思う様な威圧感――は、身長の差から生じるものかも知れない。少なくとも目付きの悪さならば、操の方が上ではあろう。
が、肝心の力量の程は――どうだろうか、操には計りかねた。
徒手格闘で遅れを取るつもりはないが、武器を持って敵う相手か――味方ならば詳しく図るまでも無いと、結局は結論を付ける。
「きょ、去年はうちの支部長が大変お世話になったそうで、えーと……」
「世話になった、こっちも。気にしない」
「………………」
対外的な外面を取り繕いながらも。操は心の中で、やりづれえ! と叫んでいた。
どこぞの大喰らいの隣人並みに言葉が通じない気がする。いや、あっちはまだ、向こうからコミュニケーションを図ろうとしていた。
こちらに関しては、上司の知り合いだという事は知っているが、どういう立場なのか良く分かっていない。
ので、どんな話題を持ちこんだらよいのか、操は非常に頭を悩ませているのだった。
「……えーと。あなた、なんて名前だったっけ。……前に、聞いた?」
「聞いていない。初めて。……零月湊」
「そ、そうなんだ……」
ここでようやく操は、このままでは会話が続かない事に気付いた。
かと言ってどうすればいいのだ。人見知りとはいかずとも、友人を作るなんて至難の業をこなすならば、オスの群れを惨殺する方が余程得意だという操だ。
助けを求めようと、周囲に視線を移す。右手、誰もいない。左手、誰もいない。正面には眼帯の少女が居て、そして背後――
「っううぉおうっ!?」
「あっ、ごめんなさい」
振り向いた瞬間、結構な至近距離に、また別な眼帯少女が立っていた。
おかしな叫びと共に後退し、足をもつれさせ、片足上げた奇妙なバランスを保って制止する操。背後にいた少女は、極めて冷静に謝罪した。
「あれ、同じ顔……?」
「湊、アイリーンを見なかった? 朝から忙しそうにしてて、どうしても捕まらなくって……ああ、重ねてごめんなさい。同じ顔よ、当然ながら」
同じ顔が二つ、左右対称に眼帯を付けているので、鏡に映した虚像のようでもある。
双子かと思い当たれば、特に不思議も無い。前後を同じ顔に挟まれたのが、違和感が激しいといえば激しいが。
「……あら、確かカムイ・紅雪の部下の。あけましておめでとう」
「あ、あけましておめでとうございます……えっ、あれ、挨拶した事有ったっけ?」
「通り過ぎた顔ならば決して見忘れる事は無いわ。みずち様の元へ伺う際、退出するカムイの後ろを歩いていた筈よね……確か、一月程前に」
「……ああー、確かに居たわ、居たわ……良く覚えてるわね、擦れ違っただけで」
「参、頭が良い。凄く。……だから、これも出来る……と、思う」
片割れの記憶力を誇る片割れ。同じ顔とは思えぬ、この口調の隔たりである。
きっと片割れを心から信用しているのだろう――期待を込めた瞳で、眼帯少女の片方が取り出したのは――
「……湊。これ、パズルかしら?」
「福笑い。……っていう、名前だって、聞いた」
そのものずばり、全く間違いなく、福笑いである。
「えっ。何これグロい。目も鼻も口も千切れてるし」
「いえ、寧ろコミカルな印象はあるけれども……こんなもの、直ぐに解けるのでは?」
「うん。だから……参、はい」
「えっ……え、湊、待ちなさい。これでは前が見えな――え、これ何!? 目!?」
己の片割れ――参の開いている目に、自分の眼帯を付けた湊。
両目が塞がっておろおろする片割れの手に、福笑いのパーツを握らせた湊は、その手を、地面に布かれた紙の上に誘導する。
人間の顔の輪郭だけ描かれた絵の上に置かれる目の部品――
「はい、次」
「えっ? えっ……え、これ……? えと、えーと……ここかしら……?」
鼻、口、逆側の目、髪。次から次へと手渡され、並べられる。
目隠しをしながら、こんなものを綺麗に配置できるか――と聞けば、無理だと答えるだろう。
事実、完成品は人間の顔をしては機能していないものになっていた。
そこまでであれば、操は良く分からないといった顔の侭で佇んでいただろうが――
「参。出来上がり、良いよ。外す」
「いきなりなんだから、もう………………何よこれ」
「ぶっ……!」
自分が作った顔――というより、パーツが並んだ珍妙な〝何か〟を見た、参の表情。
これはもう、完成した福笑いより数段おかしいものであって、操は思わず横を向いて噴き出した。
成程、之はこういうものなのだと、直感的に理解する。
即ち、完成品の出来栄えというより、作った誰かを見て楽しむものなのだと――
「そ、そんなに笑わなくても……見えなければ仕方が無いでしょう!?」
「だ、だって……くくく……目が右側に二個あって、鼻が口の下に……手さぐりでももうちょっとさあ、っくくく……」
笑いを抑えようとして、そうもいかない操。暫くは腹を押さえてひぃひぃ言っていた。
が――突然視界が暗くなる。何事かと目の周りに手を向ければ、何やら固い感触があった。
「……ん。お、え? あ、ちょっ、暗い! 暗い、見えない!」
どうやら眼帯を両目につけられたらしい。全く何も見えず、思わず壁でも無いかと手を伸ばすと――何か握らされた。
「はい。まず、目。右目。顔はこっち」
「次は左目、その次は鼻よ。人を笑うくらいだから、ちゃんと上手に出来るのよね?」
「えっ、えっ……えーと、はいっ」
てきぱきと渡されるパーツを並べていく操――勿論、何も見えていない。
眼帯を外された瞬間、三色ばかりの笑い声が上がった。
「明けましておめでとうございます……あら、お二人だけで?」
「他のは『先に』向かった、私達だけだ。……ともあれ、おめでとうさん」
「めでたい事は祝うとこ、アイりん。おめでとうございますー」
さて、一方こちらは屋内である。
ガラス窓の向こうに、少女が三人ばかり戯れているのを見ながら、此方にも三人ばかり。
平均年齢を比べるならば、こちらが随分上であるように思われた。
「律儀なもんだな、年始回りか。何も私達と縁深い訳でも無いだろうに」
「いえいえ、同じ方を主と仰ぐ者同士。我々は同胞と呼ぶべきでありましょう? あまり嫌わないでくださいよ」
戯れ事の様な口調のカムイに対し、背の高い女――アイリーンは露骨に嫌悪感を露わにした。
二人に共通の〝主〟――その名を、何れも口にする事は無い。壁に耳あり、用心に越した事はないのだから。
「あれが主人だと? 馬鹿を言うな、あんなものはお飾りだ。入り口の角松の方がまだ効力が有るだろうさ」
「まあまあ、お正月くらいのんびりしようや。ピリピリしとるとこの後に響くで」
それでも、名を発する事が無くとも、アイリーンが酷く嫌う〝誰か〟の事を、三人は良く知っている。
蛇嫌いの度を越した同僚を窘める物岳 良子は、雑煮を啜りながら外を眺めていた。
陽性の気性は雪が降っても変わらず、部屋をこの瞬間に飛び出したとしても、誰も不思議には思わないだろう。
「お正月やもんなぁ。宴会は無くとも無礼講と行こうや、ささ、ぐーっとぐーっと」
「おお、これはどうもどうも。ぐーっと……あれ、味が無い」
片手を空けて、とっくりを差出す良子。カムイはそれを受け取って、中身を口に注ぎ、期待通りに酒が出なかった事に落胆した。
うわばみを自認するカムイとしては、この辺りで酒気を腹に落としても困りはしなかったのだろうが――そうは問屋が卸さない。
「お酒は、仕事終わりまで禁止や。オーケー?」
「あいむのっとおーけー……えーん、飲みたいよー。昨年末から一滴も飲んでないんですよー!」
「それで良いんだ。上がだらしないから下が真似をする……お前の部下だろう、あの赤い着物の。この前、雪の中で酒瓶抱えてグダグダになってたぞ」
「えっ? ……今の話、詳しく」
ただの水を飲まされ、駄々っ子のように手をバタバタさせるカムイ。それをアイリーンに窘められ、思わず掛けていた眼鏡をくいと上げる。
両手で体を浮かせて座り直し、少しばかり真面目な表情になる――が。
ぐいとソファから身を乗り出した様子は、どうにも好奇心に任せたサーカスの観客に似ていた。
「そのまんまの話だ。夜だった、廃ビルの玄関先、縁石に腰掛けて飲んでいた。飲ますなとは言わないが飲みかたを教えてやれ、咽て半分は吐き出してたぞ」
「……ふんふん。何か、貴女に話しました?」
「何も。あのまま寝たら凍死すると思ったから、宿舎まで送ってやった。お前の部下なのは知ってたしな……向こうはさっぱり気付かなかったらしいが……」
「ほー……いやはや、お手数掛けて申し訳ないですね、アイリーンさん……そっかー、あの子も飲む様になりましたかー……」
カムイは感慨深げに目を細め、こくこくと幾度か頷いた。
未成年飲酒を知った上司の態度とはとても思えなかった様で、アイリーンは怪訝な顔をしたが、
「お酒に逃げ道を見出せるようになったなら、あの子にとっては成長です。手伝ってくださった事、本当に感謝は絶えません。
……いやね、お恥ずかしながら。訓練以外の逃げ道が無かった子なんです、あの子。お酒と愚痴に逃げられるようになったのなら……その後も、何度か同じ場所に居たり?」
「良く分かってるじゃないか、その通りだよ。全く、私は何処へ行っても子供を寝かしつけてるな……」
「子守唄でも嗜むので? ならば私も、一緒に聞いてみたいものですよ」
まるで、子持ちの保護者同士の井戸端会議。溜息を吐くアイリーンを、カムイは口元を手で覆いながら笑って見ていた。
きっと、日夜こうして、同胞の為す事に頭を抱えているのだろうと思えば、自分より余程苦労人だと――優越感が、無いとは言えない。
が、それはさておいてもほほえましい光景に思えたのだ。
「アイりんはお母さんみたいやからねぇ。お母さんお母さん、お年玉くれへん?」
話を混ぜ返すのは、良子であった。少し湿っぽい空気になろうと、彼女は常に陽性の存在である。
からりと場は晴れになって、アイリーンは苦笑しながら顔を上げ、外を指さした。
いや、正確には、窓の方を指さした。
「やらん。お前は渡す側だろうが、リコ。窓を開けてやれ」
「窓? ……おおう!?」
慌てた良子が窓を開けた数秒後、ごうと風斬音が鳴り響いて、部屋の中に飛び込んできた者が有る。
三人の中で、警戒態勢を取ったのはカムイだけ。それも、〝壁に〟着地した少女の顔を見れば拳を解いた。
「あっけましておめでとー! あらん、なんでアンタ達、こんな所に集まってるのさ? 外楽しーよ?」
パッと見るなら、相当な異相である。裂けた口、左目を縦断する大きな傷跡。獣を模したフード。
大きな目は肉食獣のようでもあり――が、この場の誰も警戒しないのは、これもまた身内だからなのだ。
壁に張り付いたまま、きっと彼女の視界だけは、他の三者と90度もずれているのだろう。
「マーシャル! また窓を破る気か! ……ったく、どうしてお前は何時も何時も……」
「子供は風の子、大人は風邪引き。外は寒うてなぁ、出るよりこっちで食べてたいんよ、おせちとお雑煮」
良子が自分の椀を見せびらかすと、マーシャルは壁から降り、やっと床へ移る。
傍から見れば奇術のような光景だが、実際に種は奇術のそれ。糸で体を固定するという技術だ。
尤も、同じ道具を使ったとて、彼女の様に動けるものがどれ程居るかは別の話だが。
「お象煮!? 象の肉! 食べたい! アタシの分もあるよな!?」
「象さんは食べた事は無いですねぇ、美味しいんですか?」
「そーやなー、やっぱり大きいだけに大味……――ってんな訳あるかーい!」
間違いを訂正しない奴が混ぜっ返して、室内はにわかに騒がしくなる。
元々この部屋、何らかの打ち合わせの為に用意されたものだった筈なのだが、打ち合わせなど何処かへ消えてしまった。
頭を抱えるのは、相変わらずアイリーン一人である。
「……なぁ、マーシャル。ちょっと私達は真面目な話があるんだ、外に出ていて――」
「いや、もうちょっとくらい良いでしょう。マーシャルちゃん、マーシャルちゃん、ちょっとおいでなさい」
「ん、アタシ? ……アンタ、どっかで見た気がするね! 何さ何さ、肉くれるの?」
カムイはよっこいしょと年寄り臭く立ち上がって、自分とさして背の変わらぬ少女を呼び寄せた。
近くに立って観察するのは、背丈、手足の長さ、骨格。成程、戦闘員だけ有って確りした筋肉を纏っている。
この体格ならば何も問題は無いと、カムイは一人頷いて、荷物のスーツケースを覗き込んだ。
「おー……アイリーンさん、リコさん。ちょっとこちらへ」
「ん? ……ほほう、これはこれは……良案だと思うぞ」
「はいなはいな……ふーむふむ、ええんとちゃう? こっちの柄がええなぁ」
スーツケースを覗き込んで、何やら不敵に笑う大人三人。
さしもの怖いもの知らずの少女も、この光景に何かを感じ取る事が有ったらしく。
「あ、アタシはちょっと外に遊びに――」
「そういうなよ、マーシャル」
「そうそう、まだお正月は始まったばっかりやで」
そそくさと立ち去ろうとしたマーシャルを、アイリーンが背後から羽交い絞めにした。
すかさず良子が正面に回り、両手をがっしりと掴んで拘束する。
そして、両手をわきわきとさせるカムイ。
「……えっとー、アタシは何をされる訳?」
「お正月ですからね、おめかしを。選んでください、どれを着るか!」
カムイがスーツケースから取り出したのは、何処へ仕舞っていたのかと目を疑う様な、何着もの振袖。
「で、どの柄が似合うと思います、アイリーンさん」
「全部試せばいいだろう、手っ取り早く」
「アイりん、やっぱり本性はオニやなぁ……けど賛成しとく」
結局のところ、子供とは何時も、保護者の着せ替え人形という側面を持っているもので、
「にゃああああぁぁあぁあぁぁぁあぁぁ……――」
人に悲鳴を上げさせる立場のマーシャルは、新年早々、風呂に入れられた猫の様な鳴き声を上げた。
「あー、腹筋痛い……」
人間、ツボに入れば抜け出せなくなる。あの後、福笑いばかり数ラウンドも繰り広げては笑い転げて来た操は、まだ笑いながらも、腹の痛みに軽く涙していた。
先の二人はまだ外で遊んでいるのだろうが、操自身は一足先に屋内へ――上司の挨拶回りの為、目的の部屋の前に待機していた。
何せ、先に気合を入れておかねば、気圧される事は間違いない相手なのだ。
深呼吸を一つ、二つ――すると、向こうから扉が開いた。
「……あれ? ……あ、どうも」
「ど、どうも……」
扉の直ぐ前に立っていた操は、数歩ばかり引き下がって、中から出てきた相手に頭を下げた。
見覚えは無い顔だ。そして、少なくとも日本人の顔でも無い。
この季節には似合いの厚着の彼女は、操を見た瞬間、何か恐ろしいものでも見た様にオドオドし始めて――
「……あのー、私、何かしました?」
「えっ、いえ! ぼ、僕、その……ごめんなさい……」
「いや、謝られても……」
頭を下げられて、操は困惑した。
思う事と言えば、やっぱり西洋人は背が高くて骨格もがっしりしててズルいとか、そんなどうでも良い事。
元々背が有る癖に、さらに靴まで底が分厚いものを履いているものだから、操との身長差が20cmは有る様に見える。
そんな人間が扉の前で立ちふさがっているものだから、室内の様子は伺えない。
「ちょっと、失れ――」
横を通り抜ける為に、操は狭い空間に体を割り込ませようとした。
その時、背後に誰かの気配を感じた――気配を消そうとはしていないとも感じた。
だのにその気配は、操の頭が有る位置を目掛け、遠慮無しの打を仕掛けてこようとしている。
「――ぃぃいいやっ!!」
左肘を側面へ付き出し、迫る靴を撃ち落とした。右足を後方へ滑らせ、見ぬままに相手の懐へ潜り込んだ。
操もまた、相手への遠慮はせず、右肘を後方へ打ち出す。どうせ衣服の下、胴当ては軽量のセラミックプレートが仕込んである筈だ。
予想通り、妙に固い感触。ここへ来て殺意は完全に消えたが、操は楽しげな表情の侭に、近くに有った腕を掴んだ。
右腕、だった。掴んだ箇所は、手首と肘。引き込み、肩に乗せ、引き抜く様に投げ捨てる。引手も取らぬ、受け身を取らせる事も考えぬ、なんとも無配慮な投げであった。
然し背後よりの襲撃者もまた、この投げを予想していたと見える。跳ね上げられる前に自ら跳躍。操が与えた加速を助けとして、両足で床に――操と、長身の少女の間に着地する。
「フリーズ!」
操と、襲撃者が叫んだのは、ほぼ同時。何れも片手の指を、拳銃を模した形にして、相手の額へ向けていた。
「……何やってんですか、兵長」
「一級警護対象だ、不用意な接触は禁ずる」
常のようなすまし顔で言いながら、操へ向けた指先には茶目っ気。
アンジェラ・メイソン兵長は、新年から物々しい装備に身を包み、厳めしい顔をしていた。
「あけましておめでとうございます、お年玉ください」
「ほう、年始の一言目がそれか緋扇。手を出せ、ダガーをくれてやる」
兎角この少女――そう、まだかろうじて少女と呼ぶ様な年齢である――は、表情が変わらない。
手を差出して頭を下げる操に対し、極めて冷淡なツッコミを返すと、壁を背にするように横へ動いた。
「失礼した、ルーシー殿。浮かれた兵卒が居たので、気を引き締めていた……包帯を解く必要はありません」
「あっ……あ、あの、お知り合いですか……?」
手の包帯に噛み付いていた少女ルーシーは、二人が仲良くとは言わずとも、普通に会話を始めたのを見て、ようやく張りつめていた気を解いた。
「……知り合いと言えば、そうです。緋扇、こちらは厚遇すべき客人だ。名乗れ」
「はっ! 関東地域第3区画1号支部所属、兵卒、緋扇操であります! あけましておめでとうございます!」
最後が余計だと、アンジェラの拳が飛ぶ。それを敏捷に潜り抜け、操は二人から距離を開けて立った。
実際の所、振袖姿でこの軍人と、戯れだろうとやり合うのは荷が重い。新兵訓練の際、比喩抜きに血反吐を吐いた記憶は抜けていないのだ。
「……と、いう事です。愚かではありますが、敵対者ではありません。ご安心の程を」
「そ、そうなんです、か……? あ、明けましておめでとうございます、ルーシー・アンドリュースです……」
ルーシーは、目の前のやり取りに怯えでもしたのか、表情を曇らせて名乗る。
操には、何故この少女が、重要な護衛対象なのかは知らされていなかった。
が、こういう時に聞いてみても、無意味な事だとは半ば気付いている。
「兵長。この方は何故、警護対象となっているのでありますか!」
「それは私には聞かされていない。故に、我らの知るべき事では無い!」
それでも一応ばかり訊ねてみた。そして、予想通りの解答だった。
余計な事を聞かず、忠実に任務をこなす事。周囲の状況把握に長けている事。そして、一兵士としての戦闘力に優れている事。
それが彼女が、兵長という立場にある理由であり、上に便利に使われる理由でもある。
こうなるだろうなと溜息を吐きつつ、操は気を付けの姿勢を崩さなかった。
すると、今度は廊下の向こうから、がちゃがちゃと賑やかな足音が聞こえる。
近づく気配は一人分。操もアンジェラも、戦闘態勢には入らず、音の方向に首だけを向けた。
「おや、ルーシーさん。新年から珍しい所で会いましたね、マダムとの面会は如何でした?」
「カ、カムイさん、お久しぶりです……はい、何時もお世話になってると、お礼は……」
操達には聞き慣れた音だった。カムイは上機嫌な様子で、ルーシーに朗らかに呼び掛けた。
言い淀むルーシーだが、初対面の操とよりは、余程話しやすいらしい。
してみるとこの少女、人苦手というより、人見知りが激しいのであろうが――それはさておいて。
「そうですか。あの人、見た目よりは優しいでしょう? 体調に気を付けて、新年をお過ごしなさい。
アンジェラ兵長、外へお連れしなさい。ここは息がつまるでしょう、外の子達の近くに居てあげなさい」
「はっ、承知いたしました。……では、ルーシー殿、こちらへ」
周囲に目を配りながら、廊下を先導して歩き始めるアンジェラ。追い掛けて歩き始めたルーシーの背をカムイは目で追いかけ――それから実際に、早歩きで追いかけた。
並んでちょこちょこと付きまといながら、下からルーシーの顔を見上げるカムイに。少女は困惑を返すばかりであったが、
「体調は如何ですか? ……折角の新年くらい、もっと楽に笑っても良いでしょうに」
「……いえ、大丈夫です。あんまり、そういう気分にもならないし……」
「それじゃあ駄目ですよ。めっ!」
あまり痛くない拳が、ルーシーの頭に飛んだ。
カムイの背は、操とさして変わらない。拳をこつんと頭に落とそうとしたが、腕をぐうと伸ばしてやっと成功した。
無理な格好で放ったものだから、その後数歩はたたらを踏んで、ガシャガシャ騒音をならしようやく踏みとどまる。
「いいですか? 送って行きますので、外で暫く待っていなさい。雪なりなんなりで遊んでいる事! 子供は風の子!」
「はぁ……僕、子供って歳じゃ……」
「いいんです、私より若いんですから! ……いや本当にねー、二十歳を超えると身体的っていうより、精神的に来るんですよー……。若い子は気持ち若いままで居て欲しいんですよー……」
「は、はぁ……」
宴席で若者に絡む年寄りのような事を言うカムイに、ルーシーは困惑するばかり。
アンジェラに連れられて外へ向かう彼女を、今度こそカムイは、両手を振って見送った。
「……なんですか、あの人は。警護対象?」
「人間の希望になるかも知れない人。大事にしてあげなさいね?
それより操、こちらの挨拶は一件終わりました。次の挨拶を……高貴な人に、差し上げないと。
その為にわざわざ連れてきた、というのも有るんです」
未だに開け放たれたままの扉からは、香水の匂いが零れだしている。
挨拶という言い方に、扉の向こうの気配、それからカムイの目に――
「……大方、そんな所だろうと思いましたよ」
「理解が早くて結構。さあ、恐ろしい人に謁見しましょう」
午前中だと言うのに、天然の光は何一つ差し込まない部屋。
ほんの一晩二日、一時的に滞在する為の部屋だというのに、調度品は整えられていた。
机を挟んで向かい合うソファ、二つの化粧台。壁には微笑む少女の絵。絨毯は敷かれていない。
西洋の建築と同様に、靴を脱がない作りの屋内――来訪者が靴を脱ぐという、間の抜けた行為も必要としない。
「あらまあ、蛇の牙が一欠片で、新年の言祝ぎを? 良い心がけねぇ、褒めてあげる」
「光栄ですよ、マダム・ヴォルフ……それからミズ・バートレー」
「私を個人名で呼ぶのは関心しないね! マデレーネ、私はマデレーネだから!」
寝台は、一つだけ。その上に腰掛けた女は、目を覚ましたばかりだとでも言う様に化粧もしていなかったが、それでも並の女の数倍も美しく、また艶やかであった。人を出迎える為だけに重ねた衣服は、彼女が色白の西洋人でなければ、肌の色さえ透けてみえるだろう程の薄絹である。
そして、寝台の横に立つ女。こちらは何と言おうか――着飾るという概念を放棄しているのではないかと言う程、珍妙な格好をしている。スリッパ履きに、揃えもしない髪。コートは分厚く丈が長いが、見えている足首や袖の周りの雰囲気からして、その中に一切の衣服を身に着けてはいないらしい。
「それで? 今日は商談かしら、それとも跪く為に?」
「主換えのつもりはまだ有りません。然し年明け早々に金銭を動かすのは、私達の言葉では〝無粋〟と呼びます。端的に言えばエレガントでは無い。
今日は一年の最も良き日を、素晴らしい方々と過ごしたいと願うばかりです」
「そう、お上手な事。暦が変わっただけのこの日を、どうして最良と呼ぶのかしら」
「貴女に傅く筈の誰かが、まだ誰も死んでいないからですよ、マダム」
歯の浮く様な世辞を述べるカムイを、マダム・ヴォルフは笑って受け流すばかり。敬われるのは慣れているからだ。
横に立つマデレーネもまた、こういった会話は聞き慣れているのか、微笑を緩める事は無かった。
「人は死ぬ、何時か必ず。だが、明日である必要性は無い。遠ざける為には是非とも、貴女の力を――」
「私の財力が必要だと。そういう事かしらぁ?」
「私の技術も使って欲しいけどね! バッテリーの長時間化は進んでるよ、流石私! 凄い!」
「――いずれも、確かに必要なものです。誤魔化す事は出来ませんね、はっは。
それならば、こうしておべっかばかり差し上げるのも申し訳ありませんので――」
機械脚の音を鳴らしながら、カムイは部屋のテーブルを動かす。
或る程度の広さを作る為ではあるが――部屋の仮の主達は、やはり怪訝な顔をする。
どうしてこの様な事をと、問い質す声は無い。余興のつもりなのだろうとは察したのだ。
カムイは、懐から笛を取り出す。フルートにも似た形状――篠笛である。
「楽の心得が?」
「京に住んだ者、故に、ですが」
ひゅうと息を吹き込めば、ひょうと音色が答えた。心を躍らせる軽やかさは無いが、微睡に誘う音だった。
時の流れを緩める――この日が長く続く様にと。それを祈るかの、眠たげに、かつ寂しげな音だった。
「舞いなさい」
「――はい」
音色に導かれて部屋へ吹き込んだ緋色の風――西洋のダンスとは趣の違う、彩。
袖と黒髪をはためかせ、ランプの灯りを受けて、舞う。
人を投げ捨てる為に鍛えられた手が、指先までをそよがせて。床をけたたましく叩く足も、この日ばかりは音も無く、静かに体を運んだ。
ほう、と誰かが溜息を零した。見る二人か、奏でるカムイか、或いは舞う操自身かも知れない。
嘆息の理由は、きっと――調和が取れていたからだ。
洋風の室内に、奏でられる雅楽。眺める女は、日本に於いては貴いとされる紫を纏って、陶磁器が如き肌を彩っていた。座すだけで意味を為す、生まれながらの支配者が居た。
舞う少女は、東洋の黒に血の様な緋色を纏う。影に徹する演奏者共々、従属する定めに生まれついた者達が、織りなす捧げ物は――媚態を演ずる、娼婦にも似ていた。
だから、無言の内に組み立てられた順列は、一切の不純を孕まなかったのだ。
「……緋扇 操、かしらぁ……?」
カムイの奏でる音色が止まった。シーツの隙間から薄絹を纏って這い出したマダム・ヴォルフは、音色と共に立ち止まった操の顔を、両手で挟んで観賞した。
彼女の小さな頭の中には、膨大なリストが収まっている。その中の、極東の商売相手の関係者に、この名前は収まっていた。
だが――彼女が直ぐに、この舞手と戦闘員の名を結びつけられたのは、記憶力ばかりが理由では無い。
「ハッピーニューイヤー、操。噂はちょっぴり耳に入ってるわ。……尤も、そのルートはカムイからのものばっかり。
この子ったら雑談が始まると、いつもいつも貴女の事ばかり言うんだもの。扱いやすい子だ、ってね。
……オーバーワークの気が有るとか?」
商売相手が、時折口にする名。面白そうだと、記憶の片隅に留めていたのが、丁度噛みあったというだけの事だが。
だが、命知らずの鉄砲玉、自虐的な戦闘員とだけ聞いていた少女が、披露した舞の、美の性質を女は汲み取った。
誰かの下で、命じられてこそ映える華。一輪で咲けば枯れるばかりだと言うのに、人に好まれぬ棘のある華だ、と。
「……鍛えられてるわねぇ。ダンサーと喧嘩はするな、何処の言葉だったかしら……。良いわよぉ、痩せてるだけの子に比べて、脚までしなやかで綺麗で。でもボクサーみたいに、脂肪を落とし過ぎてもいない。
見た目より力も有りそうだし……あらあら、東洋人にしては胸も有るじゃない」
「あ、え……しっ、しぶちょ――」
「黙ってなさい、操」
マダム・ヴォルフは両手を滑らせ、振袖の上から操の体を撫でた。
助けを求める操だが、上司は薄情で、そしてマダムは他者の意を自分の行動理由に組み入れない。
腕、脇腹、脚。触れるのは、商品価値を左右する部位。柔術を旨とする操の体は、打撃を主体とする者に比べれば、脂肪をうっすら纏った柔らかさが有る。それをマダム・ヴォルフは味わっていた――夜から抜け出したかの、薄絹の侭で。
操からしてみれば、下着を通り越してほぼ裸形に近い女――それも、艶美の熟した妙齢の女に、厚い布越しとはいえ触れられている。カムイに窘められても、思わず後ずさりをしてしまう。
と――今度は、背中に誰かぶつかった。銀色のコート一丁という奇妙な格好のマデレーネが、操の背の『大包丁』をまじまじと眺めていた。
「んーん、良く使ってるね! かなり乱暴に使ってくれてる、いいよいいよー! 使われない武器ほど虚しいものは無い!
あっ、そういえばさそういえばさ、加熱機構はどう!? 三十秒以内に目標温度行ってる!? どうかな!?」
自分の作品を見返している――様に見せながら、主の為に獲物の逃げ道を塞ぐ。こちらもまた、忠義の犬である。
たんと満ち足りた顔をして、振り向いた操の額に、自分の額を重ねる程、顔を近づけた。
「ところでさ、操ちゃん! 最近また、新しい装備の実験中なんだけどさ、参加してくれない?
大丈夫、怪我はしないよ! ただほんのちょーっとだけ、マダムと一緒に外国へ飛んでもらう事になるけど!」
「え、いやいやいや、困りますって先生……支部長、ちょっと支部長! なんとか言って!」
「わたしは、なにも、みていません」
操の主武器は、このマデレーネなる技術者の作ったものだ。面識は幾度かあるが――操は、この相手が苦手だった。
それに加えて更に、マデレーネの上を行く主人が出てきたものだから、これはもう蛇に睨まれた蛙。
上司に助けを求めようとしてみれば、両手で目を覆い隠しているのだから性質が悪い。
「ねぇ、操。今のお仕事は気に入ってるの?」
「は、はいっ!? あ、はい……ひやっ!?」
一度振り向いて、迫るマデレーネを押し返そうとすれば、今度は肩や首にむぎゅうと押し当てられる感触。マダム・ヴォルフが背後から、操の肩に両腕を回していた。
耳に息が掛かって、操は頓狂な声を上げて身震いした――が、前後からがっしり捕まえられていて、逃れることが出来ない。
「ねぇ、カムイ。先年の商談の件だけど、代金にこの子をくれない? 大丈夫、最初から無茶はさせないからぁ……ねえ?」
「操を? いえ、無茶は利く子だと思いますが、本人が何と言うか……操、どうします? ヘッドハンティングされてますが」
「冗談じゃない!」
肝心の上司は役に立たないのだと分かるや、操は二人から力づくでも逃れようとした。
実際の所、投げようと思えば非戦闘員の二人程度、軽く投げ飛ばす事は出来たのだろう。
が――
「ええ、そう、冗談じゃあないわ。私は本心から、貴女を私の物にしたいだけよ。
悪い相談じゃないと思うわぁ、その『S-103携行型』くらいの武器なら、もっともっと作らせてあげる。
使う為の場所も、望むなら東洋でも西洋でも、何処へでも送り届けてあげるし――」
「あ、あ……あああああ……」
マダムの声を聞けば、操の抵抗が削がれた。
内容が魅力的――だった、ばかりではない。単純に、耳に吐息が当たっているのである。
「貴女には私と、私の大事なコレクションを守る任務をあげるわ。私の為に戦って、私の為に舞を披露して、その代わりに貴女が欲しいものを与えてあげる。悪い話じゃあ――」
「や――やっぱり、駄目ですっ!」
気を抜くとこのまま、意識とは無関係に首を縦に振りそうで、操は声を軽く裏返らせながら叫んだ。
丁度口がマデレーネの耳元に有った様で、彼女は耳を抑えながら体を大きく仰け反らせる。
そうして生まれた隙間から、操はするりと抜けだし、大袈裟に飛び退いて壁に背を預けた。
「あらあら、ざぁんねん。コレクションの護衛として働く気があったらいつでも声をかけてちょうだいね……ただし、お偉いさん方への肉体接待も業務に含めるけど」
「肉た――だっ、誰がするか!?」
「大丈夫! コレクション悪くない! 昼間は着る服に困らないし、夜はそもそも服を着る必要が無いからね!」
「欠片も大丈夫さが見えない!」
この幽雅な部屋だというのに、ぎゃあぎゃあと喧しい事である。
喧しさを愉しめるのは、心に余裕が有る人間だけであり、つまりは操以外の三人だけ。
取り残された一人は、叫びすぎて肩で息をしていた。
「さて、マダム。非常に名残り惜しいですが、互いに多忙の身――加えてこの子も、ちょっと疲れた様でして」
「……原因の一つはあんたじゃアホ支部長……」
やっとカムイが助け舟を出し、操とマダムの間に割り込む。
が、これほど頼りにならない壁も無いと、操は総毛を逆立てた猫の様な形相だった。
それでも、カムイが部屋の出口へ向かえば、操は後方への警戒は解かぬながら、それに追随する。
部屋を出る為、最後の一礼をと振り向いた瞬間――マダム・ヴォルフは、操の背後に、前髪も触れんばかりの位置で立っていた。
「怖がらないで、安心して。貴女。素質あるからすぐにSMプレイも楽しめるわ……一目見て、分かったもの。
カムイに聞けば連絡先は分かる筈よ、そのつもりになったらいつでも――」
「何時でもおいで、お仲間が増えるのはうれしいからね!」
「お二人とも。私の部下を取り上げないでくださいよ」
ぱたん、と閉じられる扉。廊下へ出てしまえば、外と内は別世界で、
「……疲れた、なんだかすっごい疲れた……」
「お疲れ様です。然しながら操、ああいう方の前でわあわあと騒ぐのは――」
「先にどういう相手か言っておいてください! 本当に! 頼むから!」
そして結局のところ、賑やかなのはまるで変わらないのである。
「はぁ……ああもう、新年だっちゅうのに、なんなんだこりゃ……」
戦闘訓練の後にランニングに向かう様な体力馬鹿の操だが、今ばかりは足を引きずっている。
どちらかというと精神の疲労が原因なのだが、こればかりはどうにもならない事であった。
少し気分転換をと思って、外へ出て見れば――
「――ありゃ? ……何やってんだろ、あれ」
何やら、何処かで見たような顔が、一か所に固まっていた。
というよりも、今日見たばかりの顔が、一か所にぞろぞろと。
眼帯の双子も居たし、長身の少女も、兵長も居た。あまり共通点が思い浮かばない集団であった。
少しばかり興味が湧いて、操はそちらへ向かっていく――と、もう一人ばかり、知った顔が有った。
「おっ? 操ちゃん、何しとん? あっけおめー」
「あっ、リコ! そっちこそ――って、いや、仕事なんだろうけど」
少しばかり年齢の離れた――友人と呼ぶのも、また違うかも知れない知人、物岳 良子。
知り合ってしまった理由に関しては割愛するが、互いに他人と断ずるのも出来ない程度には、良く知った間柄である。
双方とも片手を上げた、気楽な礼と共に歩み寄った。
「あー、カムイさんとこの子って、操ちゃんやったんねー。お手伝い?」
「年始参りの、ね。もうやだー、あの上司にしてあの知り合い有りだわー、疲れたわー……」
「そうやねー、あの上司にしてこの部下有りやもんねー」
「ちょっとリコ、聞き流せない事を」
息継ぎは相手が喋っている間に済ませて、自分のターンはノンストップ。
さても無呼吸連打での殴り合いのような会話になるのがこの二人であった。
が、今日はもう一人、それを中断する為の――
「リコ、リコ、この子知り合い? ふぅん、アンタ誰さ! 見ない顔だね!」
「……ぅおう。いや、私から見りゃあなたも見ない顔だけど――というより、夜中に見たくない顔だけど」
「あ、やっぱり? 良く言われる! 夜に見たら惚れちゃいそうだってね、あははっ」
――いや、中断はしてくれそうにない。
寧ろ、オウムを二羽集めたような環境が、三羽集めたような環境に変わるだけだった。
「あっ、そかそか、初対面やんね。この子はマーシャル、私の同僚やけん仲良くしてな。な?」
「すっごく仲良くしてくれていいよっ、肉ちょうだい! もう生でも良いから!」
「そんなもの携帯してないからね。携帯食料なんて謎のクッキーの味しかしないし脂っこいしね」
振袖姿の少女二人――そう、マーシャル嬢、強制的に着替えは完了させられているのである。
こうなったのも悪い大人の発案に、新年ムードに便乗した二人が賛同したからなのだが、それはさておき。
普段の衣をそのまま作り替えたかのような胡桃色の振袖は、あつらえた様に丈が合っていた。
いや、実際に誂えたのだが。知らぬは着せられた当人ばかりなり、である。
「ほんで、ま、操ちゃん。順番おかしくなったけど、あけましておめでとうございますー」
「ん、二回目だけど、おめでとうございまーす」
「それじゃアタシもおめでとうございまーす」
三人そろってぺこりと頭を下げると――ぱさっ、と良子の懐から、封筒のようなものが幾つか落ちた。
そこからは――兎角、速かった。
まず、マーシャルが雪を散らして馳せた。良子の懐に一瞬で潜り込み、封筒を拾い上げようとした。
それを良子も容易くは許さない。潜り込んだマーシャルを抱え、横へ放り捨てようとして見せる。
そして困るのは、投げれば丁度巻き込まれる位置に立っていた操であり、これまた俊敏に回避を見せる。
結果、三人が三人とも立ち位置を変えながら、何故か円形の配置は崩さぬままとなり――奇妙な沈黙が流れた。
「リコ、それ何さ! なんかいい音がしたけど!」
「……お、おう。これか! これはなー……良い子だけに上げるサンタさんからのプレゼントの延長戦の――」
「サンタちがう。サンタもう冬休み入った。お母さんかおばあちゃんの仕事」
もはや声量を上げる事を放棄した操がたんたんと突っ込む横で、良子はマーシャルに、改めて封筒を渡した。
拾うに任せておけば良いという声もあろうが、手渡しをすることが重要なのである。
それを知ってか、マーシャルはきちんと両手で受け取ってから、ぱぁと顔を輝かせた。
「ひゃっふー! 新年の出勤手あ――お年玉だーい!」
「そうやねー、出勤手当なんてものはあるかもしれんけど、そういう事は気付いてない振りしたってねー。アイりんからのお年玉だって思っとる風に振る舞っといてねー。
ほんじゃ、操ちゃん、せっかちなようやけど、ちょっと失礼な! これから私、お仕事も有るし――あの子達に渡すもんもあるし」
「えっ? あ、うん、分かった。新年早々大変だねー、お仕事頑張って!」
どうやら、お年玉を喜ぶのは、何処の子供も同じであるらしい。
子供とは言っても、皆がもう十五歳にはなってしまったこの世界だが、大人も子供も、所詮は相対的な概念。
成人した者から見れば、年下は皆、子供であると見えて。
「お年玉……わふーい。ありがとう、リコ、嬉しい」
「年始手当の名目を変えただけとは言え、悪い気分はしないわ……アイリーンにも伝えておいて。ありがとう、二人とも」
「え、僕まで……あ、あのっ、僕まで受け取るのは、何か、気が引けて……ありがとうございます」
「それを言うなら私も、この様な厚遇は似合わぬかと――言え、任の内と仰るならば、謹んでお受け取り致しますが」
向こうの方では、この日通り過ぎた皆が、お年玉の配給に与っている。
素直に喜んだり困惑したり、反応は様々だが、皆、表情は明るい。
誰かに祝福され、何かを送られる――金銭の多寡よりも、それがきっと嬉しいのだろう。
「……行こっか」
操は一人、雪を踏み分けて歩いた。
雪とは言うが、然したる深さは無い。操が生まれた東北の積雪に比べれば、実に平和なものだ。
故郷の雪の柔らかさと、積もった時の異常な重さを思い出し、足元に手を伸ばす。
湿っていて、量も少ない雪。今は白いが、暫く人が踏みつければ、泥沼の様に変わるだろう。
白い雪の更に上澄みを救って口に含めば、殆どもう水になってしまって、味気なく、操はそれを吐き出した。
「……お年玉、かぁ」
風習を、人は続けたいと願う。
操の家も――他の幾億の家族と同様、祖父と父は失われて、その折りに何人か、また亡くなって――母親と二人の、慎ましい正月だが、お年玉くらいは貰っていた。
が、使う事は無かった。貰った金額をそのまま親に預けて、どうしても欲しいものが出来た時だけ、お願いをして使っていた。
とはいえ、操は物欲の薄い少女だったから、買うものと言えば少しの服くらいのもので、それを遠慮していると勘違いされたのか、時々母親が悲しそうな顔をしたのは覚えている。
今は――多額の給与を得ている。何年にも渡って受け取ったお年玉の累計額の、数倍を一月で受け取っている。そしてやはり、使い道は少ない。
だから、本当の事を言えば、操は誰かからこれ以上、臨時の収入を得たいとは思っていなかった。
「……はーぁ」
新年周りで訪れた兵舎の、入り口階段に腰掛けて、溜息を零す。
金銭が欲しいのではない――それは自分でも、薄々気づいていた。
だが、『お年玉』を受け取って目を輝かせる、同世代の少女達を見ると、どうしても――寂しいと、そんな感情が渦巻く。
中学校に上がって直ぐ、操は兵士を志願し、関東地方に訓練兵として配属された。
日々は充実していて楽しく――ある時から、楽しさばかりではなくなったが、満ち足りていると思っていた。
だから、今日、一年の最も目出度い日に。こんな風に座り込んで、立てなくなっている自分を、何時、想像しただろう。
「おかあさん……」
膝を抱えた。何年振りか、自分でさえ気づかぬ内に、思わぬ言葉が口から漏れ出た。
そうなればもう、感情を留める事は出来ず、何時しか視界が滲み始めて――
「新年好!」
「……っ!?」
今日は後ろから良く驚かされる日だと、操は突然の声に振り向いた――さりげなくなる様に、滲んだ涙を拭いながら。
聞き慣れぬ大陸の響きを発した口は、全くの予想通りに、そろそろ見慣れ始めた同僚の顔であった。
「新年好、操。おめでたい、です?」
「紅花……? えっ、支部長が連れてきたの、私だけじゃなかったの。えっ。
……それに、その恰好は……わお、何それ」
普段の紅花の服装は、見事に軍装の中に有っては浮く、大陸風の黒い衣服である。
が、今の姿は、雪の中に有ってはやはり強く浮く、黒字に金糸の振袖姿。よくよく見れば、カムイの私服に似た柄で、布を流用したのではとさえ思えた。
実際、そうなのだろう。操だと、カムイの私服をそのまま着れば丈が合うが、紅花の背丈では袖が足りない。一着ばかり解して振袖に仕立てて――それに合わせて洒落気を出したか、刺繍の図柄は変えてあった。
「これ、手伝った、私です。カムイ、注文した、これ。でも、刺繍無かった、だから私、つけた、借りた、針も」
「……これ、自分で刺繍したの!? ほぁー、ようもやるわ……」
地味な黒字の布の上に、金糸で施されたのは見事な五指龍。皇帝の図柄と、古代中国ならば禁じられた意匠だ。
それも、この信心浅い日本列島でならば、ただの洒落たデザインと成り果てる訳ではあるが――
「一年、次、始まりましたです。私、もっと日本語、勉強する、です。から――」
新年の期待にか、それとも単に寒さにか、頬に紅をさした様な彼女の顔。
東洋人離れした大きな目、自分よりも高い背。髪と目に揃いの黒を、刺繍と周囲の雪が飾った。
操には、丁度良い言葉が見つけられずに居た。どう言葉を返して良いのか分からず、ただ、座りこけているだけ。
「手伝う、君、お願い、です」
それも、両手をぎゅっと包む様に握りしめられれば、留まっては居られなかった。
「え――あ、うんっ! 手伝う、うんっ!」
ぴんと跳ねる様に立ち上がって、こくこくと頷く操。
紅花はその内心を知ってか知らずか――きっと知らぬだろうが――ぶんぶんと何度も手を振って、漸く解放した。
それでやっと、操は深呼吸をする余裕を見つけて――合わせて、言葉を見つけられる。
口にするのは気恥ずかしい言葉だが、新年の昂揚に任せればよいと、意を決して音にした。
「ホ、ホンファさ……それ、凄く、似合ってる……」
後半は殆ど消え入るような声だった。だが、周りに他の誰もいない。
「操も、です。操、似合う、キモノ。えっと、あー――」
きっと十分に聞き取れたのだろう。紅花は珍しく表情豊かに微笑んで――
「……そう、〝馬子にも衣装〟、です!」
――ひゅう、と寒風が吹いた。
積もった雪を巻き上げ、周囲にぱらぱらと白を拡散させる、冷たい風が吹いた。
「……カムイあのやろう何処へ行ったぁあああああっ!?」
操は一瞬にして、事態を理解してしまった。あの上司にしてこの部下在り、なのである。
間違った日本語を、今日この瞬間の為だけに教えられた紅花は、大きな目をぱちくりさせて、疑問符を頭から飛ばしていた。
「……はぁ。それ、他の人には言わない事。最悪殴られるよ」
「おー……〝馬子にも衣装〟、悪い、です? 対不起……」
「あっ、いや、悪いのは支部長だし……ええとね、近い言葉を探すと……なんだ、なんだ、これ、なんだ」
もはや日常の、言語の壁にぶつかる二人。然しながら幾分か、操は中国語をそのまま受け取れるようになったし、紅花も日本語の発音が正しく変わってきている。
意思の疎通の難易度が下がってきた二人は、やがて無言で頷きあって、
「……支部長、問い詰めようか」
「我同意你的意见……それに、お腹、空いた、です」
このまま屋外に居るよりは、元凶の胸倉を捕まえて、ついでに財布を開かせよう。
そういう結論に至るや、ざざと足並みそろえ――歩幅は違うが――二人は建物の中へと入って行く。
「日本のショーガツ、ご馳走、いっぱい、食べるです。あと、オトシダマ? 食べるです!」
「いや、お年玉は食べないよ!? 食べ物買うのよ!? 」
「……食べられないです? ……でも、没問題。カムイと楊、もらいにいくです!」
「えっ、楊教官来てるの? あの人フットワーク軽いな……何分滞在すんのかな……」
歩いていた筈が早歩きになって、小走りになって。
何時しか廊下をバタバタと、髪も裾もなびく程に走る、新春の装いの二人であった。
「……ふう、子供連中は元気なもんだ」
「貴女だってまだ若いでしょうに、そういう事を言うものじゃありません。お年玉上げます?」
「要らないよ、私は渡す側だ……あー、あー、音声テスト。良好か、レイラ?」
兵舎の一室。外の喧噪も届かない防音壁の部屋、暖炉の火に当たりながら、カムイとアイリーンは向かい合っていた。
とは言うが、向かい合って座っているというのに、互いは互いを見ていない。
見ているのは、部屋中に並べられた機器のモニタと、机の上の地図。
「ええ、火の粉の爆ぜる音まで聞こえます。通信機越しですが、明けましておめでとう、アイリーン」
「めでたいかどうかはこれからだ、気を抜かないでくれ。そこから敵影は確認出来るか?」
「ポイントAからDクリア、FからHクリア。ポイントEに小さな群れが居るけれど、あれは動きを見せていません。
レーダー網が正しいなら、市街地へ接近しようとしているオスは、半径5km圏内にはいませんね」
通信機から聞こえる女性の声には、北風のひゅうひゅうという唸りが混ざっていた。
何処か、山岳地帯にでも布陣しているのか。寒々とした風の音に比べ、芯の通った強い声だ。
「そうか、引き続き警戒を続けてくれ。レーダーはいざという時に怖い、信用できるのはレイラ、お前の目だからな」
「はいはい、分かりましたよ〝お母さん〟。私にもお年玉の用意はお願いしますね」
つっ、と短い音が聞こえて、一時的に通信は途絶える。通信機を机に置いて、アイリーンは苦い様な楽しげな様な、なんとも言い難い表情を見せた。
「〝お母さん〟だと。この歳で子持ち扱いさ、私は」
「良いご婦妻ですこと。お子さんも大勢で羨まし――いえ、冗談ですよ。
然し、そちら側の配置から考えるに、やはり北側のルートを通る群は少ないらしいですね……」
「そうだな、積雪が多い。小型の個体なら脚を取られるし、大型ならば雪に体が沈む。
通るなら西側、まだ凍結していない川と使うと踏んでるが……配置は、どうなってる?」
「私の手勢を。数十人程度ではありますが、見張りの目としては十分に優秀な者達です……っと、失礼」
地図を指さしながら話し合う二人。この行動は、数日前より決まっていた事だった。
オスの群れが、彼女達が拠点とし、また一時的に滞在している都市へと迫っている。
進行速度から考えて、恐らく戦闘は年始になるだろう。降雪の度合いによっては、一日ばかり遅れるかも知れないが――それを、良しと思えない者達が居た。
オスの存在は、いわば天変地異の様なもので、人間が望む望まぬに関わらず迫ってくる。だというのに、それをも認められないで足掻く者が――〝子供達を戦わせまい〟とする者が、二人、居たのだ。
「カムイです。どうかしましたか?」
「こちら小隊アーダー、河川上流十二地点に於いて、三十頭規模の群れを二つ確認。進行速度は緩やかですが、夜までには市街地へ到達するかと」
「……ふむ。個体として、特徴は?」
「目視可能な限りでは、四足型が多数。先頭を歩く一個体のみ、八足に腕が四つの他脚型、体表は何れも体毛に覆われています」
「分かりました。引き続き監視、5分毎に簡易の報告を行う様に、ご苦労様」
「はっ!」
部下からの通信に応答しながら、地図の上にチェスの駒を置くカムイ。
マス目の無い盤では、ルークもどこまで進んで良いか迷うだろうが、それを想う事は無く、カムイは駒を遊ばせる。
口の中でぶつぶつと呟きながら顔を上げたのと、アイリーンが立ち上がったのはほぼ同時だった。
「そろそろ、私が出る。それで良いな?」
「ええ。恐らく探知していた群は、それで全てです。念のために監視の目を半分残し、半分をレイラさんに合流させましょう」
「そうしてくれ」
コートを羽織り、ライフルを担ぎ。愛車の鍵の代わりに、雪原を走る為の改造装甲車の鍵を、カムイの机から掻っ攫う。
防音扉の前に立ち、ドアノブに手を掛けて――捻る前に、アイリーンは言った。
「……約束は果たせよ」
「ええ。〝今日一日、20歳未満の者には、戦闘勃発の事実さえ伝えない〟……それは貴女の出した条件でもあり、私の望みでもある。
違えませんよ、決して。ただの一日だけでも良い、仮初でも良い、平和というものを――」
全てを聞く前に、アイリーンは部屋を出て行った。
取り残されたカムイは、これで監視の目が無くなったと、ようやっと愛蔵の酒瓶を懐から取り出して――
「……明日にしましょう、うん」
結局、口を付けず、懐へ逆戻りさせる。
十数機のモニタと、通信機数台、そして数平方mにも及ぶ地形図。全て、一つも見逃すまいとするカムイの笑みは、普段より幾分か不敵で楽しげであった。
「支部長どこだー! お年玉寄越せー!」
「楊、もうくれた! カムイだけ、ですー!」
体力は無尽蔵の二人は、未だにカムイを探して走り回っている。
このまま後数時間も、走り続けるのではないかと言う様な勢いで――
「あっ、そうだ、忘れてた。紅花?」
「啊?」
それが、靴音も喧しくブレーキを掛けた操に合わせ、廊下を滑りながら立ち止まる。
裾を正して正面から向かい合って――
操の最後の台詞が、私から皆様へのご挨拶。
「あけまして、おめでとう」
本年もよろしくお願いします。
「殊勝ですね、その真意は?」
「お年玉ください」
ぱこーんと快適な音が響いた。別に羽根つきとかではないが、何故かカムイが持っていた羽子板が、操の頭を打ち据えた音だった。
新年早々、上司の私室を訪れ、金をせびる部下。もはや部下と呼んで良いのかも分かり辛い所ではある。
寧ろ普段ならば、ブレーキを掛けるのが操で、好き勝手に言うだけ言うのがカムイなので、こうして時折逆転する事でバランスが保たれているのかも知れないが――
兎角、この上司と部下、新年早々騒がしかった。
「痛い!」
「挨拶くらいちゃんとしなさい、おバカ! ……全くもう、お年玉なんて用意してるとでも思ってたんですか」
「してないんですか?」
「支部の兵士全員分は用意してますよ」
「流石支部長、素晴らしい、尊敬してます、大好きです、愛してます、お年玉ください」
物欲に正直な奴であった。
もはや何かを言う事をカムイは諦め、素直に操に封筒を手渡そうとして――
「……ところで操。最近はとんと聞かない風習ですが、お年始に親戚の家を回った事は?」
「はい? 親戚なんて、何人残ってるかも知らないですよ」
「でしょーねー……そうか、今の子はそうなんですよねぇ……ふむ、ふむ、ふむふむふむ」
何事か頷いて、カムイは一人でしきりに頷き始める。
操は嫌な予感がして、部屋を何時でも飛び出せるように後退りをした。が、机の引き出しに封筒が仕舞われそうな様を見れば、逃げ出す事も出来ないのだ。
そして案の定、カムイは機械足の出力を最大にして操の背後に回ると、がっちりと襟首を掴み、
「あいさつ回りに出かけます。お供しなさい、じゃないとお年玉上げません」
「……でも支部長。この方角は玄関じゃなくって――」
「おめかししないでどうするんですか! あなたは馬鹿ですか、このおバカ!」
「頭湧いてんのかあほ支部長!」
喚く現役戦闘少女の抵抗を意に介さず、ずるずると引っ張っていく、前線の引退者。
何とも言えずおかしな光景を、見咎める程、この日は廊下に人もいなかった。
「……なんでまた、私がこんな恰好を」
「うだうだ言わない。……まあ、似合ってるかと言われると悩みどころではありますけれども、それもまた個性と」
「蹴るぞあほ支部長」
そこには、何とも言えず珍妙な格好の少女が居た。
何せ、仰々しい武器を身につけながら、どう見ても彼女は、戦わない為の格好をしているのだ。
下駄の鼻緒が足袋の黒に浮き、長い髪は結いもせず、だが簪を一本通して。名を示すかの緋色の振袖は、雪の中に有れば牡丹の華の如き鮮やかさである。
が、背中にしょっているのは、彼女の愛用兵器『S-103携行型』。鞘に納めても物騒さは収まらない。こんな恰好で何をしに行くかと言えば、年始のあいさつであった。
「じゃあ、操。私はちょっと偉い人にあいさつしてきますんで、貴女は貴女で宜しくお願いしますね。たっぷりと愛想を振りまいてきてください」
「はぁ。……はあ? えっ、そんな投げやりな」
苦情を述べるものの、我が上司の投げやりはむしろ平常運航であると諦める操。
がしゃんがしゃんと騒がしい足音が遠ざかっていくのを、ぼうと見送るしか出来ぬのであった。
さて、なんでこんな事になっているかと言っても、特に理由は無い。
お年玉に目がくらみ、親の親せき周りに突き合わされた子供のような状況である。ので、例えば親戚の子供に出会うと、非常に気まずい。
何が気まずいといって、普段は遠方に住んでいて名前も正確に覚えていない同世代の子と、同じ空間に放置される事ほど、年始の気まずさを感じるものは無い。
であるからして、操はこの時、何とも言えぬ顔になっていた。
「……えーと。あけまして、おはようございます」
「……おめでとう」
ぺこりと頭を下げた相手は、髪の隙間から眼帯が除く戦闘員。これで同い年かと思う様な威圧感――は、身長の差から生じるものかも知れない。少なくとも目付きの悪さならば、操の方が上ではあろう。
が、肝心の力量の程は――どうだろうか、操には計りかねた。
徒手格闘で遅れを取るつもりはないが、武器を持って敵う相手か――味方ならば詳しく図るまでも無いと、結局は結論を付ける。
「きょ、去年はうちの支部長が大変お世話になったそうで、えーと……」
「世話になった、こっちも。気にしない」
「………………」
対外的な外面を取り繕いながらも。操は心の中で、やりづれえ! と叫んでいた。
どこぞの大喰らいの隣人並みに言葉が通じない気がする。いや、あっちはまだ、向こうからコミュニケーションを図ろうとしていた。
こちらに関しては、上司の知り合いだという事は知っているが、どういう立場なのか良く分かっていない。
ので、どんな話題を持ちこんだらよいのか、操は非常に頭を悩ませているのだった。
「……えーと。あなた、なんて名前だったっけ。……前に、聞いた?」
「聞いていない。初めて。……零月湊」
「そ、そうなんだ……」
ここでようやく操は、このままでは会話が続かない事に気付いた。
かと言ってどうすればいいのだ。人見知りとはいかずとも、友人を作るなんて至難の業をこなすならば、オスの群れを惨殺する方が余程得意だという操だ。
助けを求めようと、周囲に視線を移す。右手、誰もいない。左手、誰もいない。正面には眼帯の少女が居て、そして背後――
「っううぉおうっ!?」
「あっ、ごめんなさい」
振り向いた瞬間、結構な至近距離に、また別な眼帯少女が立っていた。
おかしな叫びと共に後退し、足をもつれさせ、片足上げた奇妙なバランスを保って制止する操。背後にいた少女は、極めて冷静に謝罪した。
「あれ、同じ顔……?」
「湊、アイリーンを見なかった? 朝から忙しそうにしてて、どうしても捕まらなくって……ああ、重ねてごめんなさい。同じ顔よ、当然ながら」
同じ顔が二つ、左右対称に眼帯を付けているので、鏡に映した虚像のようでもある。
双子かと思い当たれば、特に不思議も無い。前後を同じ顔に挟まれたのが、違和感が激しいといえば激しいが。
「……あら、確かカムイ・紅雪の部下の。あけましておめでとう」
「あ、あけましておめでとうございます……えっ、あれ、挨拶した事有ったっけ?」
「通り過ぎた顔ならば決して見忘れる事は無いわ。みずち様の元へ伺う際、退出するカムイの後ろを歩いていた筈よね……確か、一月程前に」
「……ああー、確かに居たわ、居たわ……良く覚えてるわね、擦れ違っただけで」
「参、頭が良い。凄く。……だから、これも出来る……と、思う」
片割れの記憶力を誇る片割れ。同じ顔とは思えぬ、この口調の隔たりである。
きっと片割れを心から信用しているのだろう――期待を込めた瞳で、眼帯少女の片方が取り出したのは――
「……湊。これ、パズルかしら?」
「福笑い。……っていう、名前だって、聞いた」
そのものずばり、全く間違いなく、福笑いである。
「えっ。何これグロい。目も鼻も口も千切れてるし」
「いえ、寧ろコミカルな印象はあるけれども……こんなもの、直ぐに解けるのでは?」
「うん。だから……参、はい」
「えっ……え、湊、待ちなさい。これでは前が見えな――え、これ何!? 目!?」
己の片割れ――参の開いている目に、自分の眼帯を付けた湊。
両目が塞がっておろおろする片割れの手に、福笑いのパーツを握らせた湊は、その手を、地面に布かれた紙の上に誘導する。
人間の顔の輪郭だけ描かれた絵の上に置かれる目の部品――
「はい、次」
「えっ? えっ……え、これ……? えと、えーと……ここかしら……?」
鼻、口、逆側の目、髪。次から次へと手渡され、並べられる。
目隠しをしながら、こんなものを綺麗に配置できるか――と聞けば、無理だと答えるだろう。
事実、完成品は人間の顔をしては機能していないものになっていた。
そこまでであれば、操は良く分からないといった顔の侭で佇んでいただろうが――
「参。出来上がり、良いよ。外す」
「いきなりなんだから、もう………………何よこれ」
「ぶっ……!」
自分が作った顔――というより、パーツが並んだ珍妙な〝何か〟を見た、参の表情。
これはもう、完成した福笑いより数段おかしいものであって、操は思わず横を向いて噴き出した。
成程、之はこういうものなのだと、直感的に理解する。
即ち、完成品の出来栄えというより、作った誰かを見て楽しむものなのだと――
「そ、そんなに笑わなくても……見えなければ仕方が無いでしょう!?」
「だ、だって……くくく……目が右側に二個あって、鼻が口の下に……手さぐりでももうちょっとさあ、っくくく……」
笑いを抑えようとして、そうもいかない操。暫くは腹を押さえてひぃひぃ言っていた。
が――突然視界が暗くなる。何事かと目の周りに手を向ければ、何やら固い感触があった。
「……ん。お、え? あ、ちょっ、暗い! 暗い、見えない!」
どうやら眼帯を両目につけられたらしい。全く何も見えず、思わず壁でも無いかと手を伸ばすと――何か握らされた。
「はい。まず、目。右目。顔はこっち」
「次は左目、その次は鼻よ。人を笑うくらいだから、ちゃんと上手に出来るのよね?」
「えっ、えっ……えーと、はいっ」
てきぱきと渡されるパーツを並べていく操――勿論、何も見えていない。
眼帯を外された瞬間、三色ばかりの笑い声が上がった。
「明けましておめでとうございます……あら、お二人だけで?」
「他のは『先に』向かった、私達だけだ。……ともあれ、おめでとうさん」
「めでたい事は祝うとこ、アイりん。おめでとうございますー」
さて、一方こちらは屋内である。
ガラス窓の向こうに、少女が三人ばかり戯れているのを見ながら、此方にも三人ばかり。
平均年齢を比べるならば、こちらが随分上であるように思われた。
「律儀なもんだな、年始回りか。何も私達と縁深い訳でも無いだろうに」
「いえいえ、同じ方を主と仰ぐ者同士。我々は同胞と呼ぶべきでありましょう? あまり嫌わないでくださいよ」
戯れ事の様な口調のカムイに対し、背の高い女――アイリーンは露骨に嫌悪感を露わにした。
二人に共通の〝主〟――その名を、何れも口にする事は無い。壁に耳あり、用心に越した事はないのだから。
「あれが主人だと? 馬鹿を言うな、あんなものはお飾りだ。入り口の角松の方がまだ効力が有るだろうさ」
「まあまあ、お正月くらいのんびりしようや。ピリピリしとるとこの後に響くで」
それでも、名を発する事が無くとも、アイリーンが酷く嫌う〝誰か〟の事を、三人は良く知っている。
蛇嫌いの度を越した同僚を窘める物岳 良子は、雑煮を啜りながら外を眺めていた。
陽性の気性は雪が降っても変わらず、部屋をこの瞬間に飛び出したとしても、誰も不思議には思わないだろう。
「お正月やもんなぁ。宴会は無くとも無礼講と行こうや、ささ、ぐーっとぐーっと」
「おお、これはどうもどうも。ぐーっと……あれ、味が無い」
片手を空けて、とっくりを差出す良子。カムイはそれを受け取って、中身を口に注ぎ、期待通りに酒が出なかった事に落胆した。
うわばみを自認するカムイとしては、この辺りで酒気を腹に落としても困りはしなかったのだろうが――そうは問屋が卸さない。
「お酒は、仕事終わりまで禁止や。オーケー?」
「あいむのっとおーけー……えーん、飲みたいよー。昨年末から一滴も飲んでないんですよー!」
「それで良いんだ。上がだらしないから下が真似をする……お前の部下だろう、あの赤い着物の。この前、雪の中で酒瓶抱えてグダグダになってたぞ」
「えっ? ……今の話、詳しく」
ただの水を飲まされ、駄々っ子のように手をバタバタさせるカムイ。それをアイリーンに窘められ、思わず掛けていた眼鏡をくいと上げる。
両手で体を浮かせて座り直し、少しばかり真面目な表情になる――が。
ぐいとソファから身を乗り出した様子は、どうにも好奇心に任せたサーカスの観客に似ていた。
「そのまんまの話だ。夜だった、廃ビルの玄関先、縁石に腰掛けて飲んでいた。飲ますなとは言わないが飲みかたを教えてやれ、咽て半分は吐き出してたぞ」
「……ふんふん。何か、貴女に話しました?」
「何も。あのまま寝たら凍死すると思ったから、宿舎まで送ってやった。お前の部下なのは知ってたしな……向こうはさっぱり気付かなかったらしいが……」
「ほー……いやはや、お手数掛けて申し訳ないですね、アイリーンさん……そっかー、あの子も飲む様になりましたかー……」
カムイは感慨深げに目を細め、こくこくと幾度か頷いた。
未成年飲酒を知った上司の態度とはとても思えなかった様で、アイリーンは怪訝な顔をしたが、
「お酒に逃げ道を見出せるようになったなら、あの子にとっては成長です。手伝ってくださった事、本当に感謝は絶えません。
……いやね、お恥ずかしながら。訓練以外の逃げ道が無かった子なんです、あの子。お酒と愚痴に逃げられるようになったのなら……その後も、何度か同じ場所に居たり?」
「良く分かってるじゃないか、その通りだよ。全く、私は何処へ行っても子供を寝かしつけてるな……」
「子守唄でも嗜むので? ならば私も、一緒に聞いてみたいものですよ」
まるで、子持ちの保護者同士の井戸端会議。溜息を吐くアイリーンを、カムイは口元を手で覆いながら笑って見ていた。
きっと、日夜こうして、同胞の為す事に頭を抱えているのだろうと思えば、自分より余程苦労人だと――優越感が、無いとは言えない。
が、それはさておいてもほほえましい光景に思えたのだ。
「アイりんはお母さんみたいやからねぇ。お母さんお母さん、お年玉くれへん?」
話を混ぜ返すのは、良子であった。少し湿っぽい空気になろうと、彼女は常に陽性の存在である。
からりと場は晴れになって、アイリーンは苦笑しながら顔を上げ、外を指さした。
いや、正確には、窓の方を指さした。
「やらん。お前は渡す側だろうが、リコ。窓を開けてやれ」
「窓? ……おおう!?」
慌てた良子が窓を開けた数秒後、ごうと風斬音が鳴り響いて、部屋の中に飛び込んできた者が有る。
三人の中で、警戒態勢を取ったのはカムイだけ。それも、〝壁に〟着地した少女の顔を見れば拳を解いた。
「あっけましておめでとー! あらん、なんでアンタ達、こんな所に集まってるのさ? 外楽しーよ?」
パッと見るなら、相当な異相である。裂けた口、左目を縦断する大きな傷跡。獣を模したフード。
大きな目は肉食獣のようでもあり――が、この場の誰も警戒しないのは、これもまた身内だからなのだ。
壁に張り付いたまま、きっと彼女の視界だけは、他の三者と90度もずれているのだろう。
「マーシャル! また窓を破る気か! ……ったく、どうしてお前は何時も何時も……」
「子供は風の子、大人は風邪引き。外は寒うてなぁ、出るよりこっちで食べてたいんよ、おせちとお雑煮」
良子が自分の椀を見せびらかすと、マーシャルは壁から降り、やっと床へ移る。
傍から見れば奇術のような光景だが、実際に種は奇術のそれ。糸で体を固定するという技術だ。
尤も、同じ道具を使ったとて、彼女の様に動けるものがどれ程居るかは別の話だが。
「お象煮!? 象の肉! 食べたい! アタシの分もあるよな!?」
「象さんは食べた事は無いですねぇ、美味しいんですか?」
「そーやなー、やっぱり大きいだけに大味……――ってんな訳あるかーい!」
間違いを訂正しない奴が混ぜっ返して、室内はにわかに騒がしくなる。
元々この部屋、何らかの打ち合わせの為に用意されたものだった筈なのだが、打ち合わせなど何処かへ消えてしまった。
頭を抱えるのは、相変わらずアイリーン一人である。
「……なぁ、マーシャル。ちょっと私達は真面目な話があるんだ、外に出ていて――」
「いや、もうちょっとくらい良いでしょう。マーシャルちゃん、マーシャルちゃん、ちょっとおいでなさい」
「ん、アタシ? ……アンタ、どっかで見た気がするね! 何さ何さ、肉くれるの?」
カムイはよっこいしょと年寄り臭く立ち上がって、自分とさして背の変わらぬ少女を呼び寄せた。
近くに立って観察するのは、背丈、手足の長さ、骨格。成程、戦闘員だけ有って確りした筋肉を纏っている。
この体格ならば何も問題は無いと、カムイは一人頷いて、荷物のスーツケースを覗き込んだ。
「おー……アイリーンさん、リコさん。ちょっとこちらへ」
「ん? ……ほほう、これはこれは……良案だと思うぞ」
「はいなはいな……ふーむふむ、ええんとちゃう? こっちの柄がええなぁ」
スーツケースを覗き込んで、何やら不敵に笑う大人三人。
さしもの怖いもの知らずの少女も、この光景に何かを感じ取る事が有ったらしく。
「あ、アタシはちょっと外に遊びに――」
「そういうなよ、マーシャル」
「そうそう、まだお正月は始まったばっかりやで」
そそくさと立ち去ろうとしたマーシャルを、アイリーンが背後から羽交い絞めにした。
すかさず良子が正面に回り、両手をがっしりと掴んで拘束する。
そして、両手をわきわきとさせるカムイ。
「……えっとー、アタシは何をされる訳?」
「お正月ですからね、おめかしを。選んでください、どれを着るか!」
カムイがスーツケースから取り出したのは、何処へ仕舞っていたのかと目を疑う様な、何着もの振袖。
「で、どの柄が似合うと思います、アイリーンさん」
「全部試せばいいだろう、手っ取り早く」
「アイりん、やっぱり本性はオニやなぁ……けど賛成しとく」
結局のところ、子供とは何時も、保護者の着せ替え人形という側面を持っているもので、
「にゃああああぁぁあぁあぁぁぁあぁぁ……――」
人に悲鳴を上げさせる立場のマーシャルは、新年早々、風呂に入れられた猫の様な鳴き声を上げた。
「あー、腹筋痛い……」
人間、ツボに入れば抜け出せなくなる。あの後、福笑いばかり数ラウンドも繰り広げては笑い転げて来た操は、まだ笑いながらも、腹の痛みに軽く涙していた。
先の二人はまだ外で遊んでいるのだろうが、操自身は一足先に屋内へ――上司の挨拶回りの為、目的の部屋の前に待機していた。
何せ、先に気合を入れておかねば、気圧される事は間違いない相手なのだ。
深呼吸を一つ、二つ――すると、向こうから扉が開いた。
「……あれ? ……あ、どうも」
「ど、どうも……」
扉の直ぐ前に立っていた操は、数歩ばかり引き下がって、中から出てきた相手に頭を下げた。
見覚えは無い顔だ。そして、少なくとも日本人の顔でも無い。
この季節には似合いの厚着の彼女は、操を見た瞬間、何か恐ろしいものでも見た様にオドオドし始めて――
「……あのー、私、何かしました?」
「えっ、いえ! ぼ、僕、その……ごめんなさい……」
「いや、謝られても……」
頭を下げられて、操は困惑した。
思う事と言えば、やっぱり西洋人は背が高くて骨格もがっしりしててズルいとか、そんなどうでも良い事。
元々背が有る癖に、さらに靴まで底が分厚いものを履いているものだから、操との身長差が20cmは有る様に見える。
そんな人間が扉の前で立ちふさがっているものだから、室内の様子は伺えない。
「ちょっと、失れ――」
横を通り抜ける為に、操は狭い空間に体を割り込ませようとした。
その時、背後に誰かの気配を感じた――気配を消そうとはしていないとも感じた。
だのにその気配は、操の頭が有る位置を目掛け、遠慮無しの打を仕掛けてこようとしている。
「――ぃぃいいやっ!!」
左肘を側面へ付き出し、迫る靴を撃ち落とした。右足を後方へ滑らせ、見ぬままに相手の懐へ潜り込んだ。
操もまた、相手への遠慮はせず、右肘を後方へ打ち出す。どうせ衣服の下、胴当ては軽量のセラミックプレートが仕込んである筈だ。
予想通り、妙に固い感触。ここへ来て殺意は完全に消えたが、操は楽しげな表情の侭に、近くに有った腕を掴んだ。
右腕、だった。掴んだ箇所は、手首と肘。引き込み、肩に乗せ、引き抜く様に投げ捨てる。引手も取らぬ、受け身を取らせる事も考えぬ、なんとも無配慮な投げであった。
然し背後よりの襲撃者もまた、この投げを予想していたと見える。跳ね上げられる前に自ら跳躍。操が与えた加速を助けとして、両足で床に――操と、長身の少女の間に着地する。
「フリーズ!」
操と、襲撃者が叫んだのは、ほぼ同時。何れも片手の指を、拳銃を模した形にして、相手の額へ向けていた。
「……何やってんですか、兵長」
「一級警護対象だ、不用意な接触は禁ずる」
常のようなすまし顔で言いながら、操へ向けた指先には茶目っ気。
アンジェラ・メイソン兵長は、新年から物々しい装備に身を包み、厳めしい顔をしていた。
「あけましておめでとうございます、お年玉ください」
「ほう、年始の一言目がそれか緋扇。手を出せ、ダガーをくれてやる」
兎角この少女――そう、まだかろうじて少女と呼ぶ様な年齢である――は、表情が変わらない。
手を差出して頭を下げる操に対し、極めて冷淡なツッコミを返すと、壁を背にするように横へ動いた。
「失礼した、ルーシー殿。浮かれた兵卒が居たので、気を引き締めていた……包帯を解く必要はありません」
「あっ……あ、あの、お知り合いですか……?」
手の包帯に噛み付いていた少女ルーシーは、二人が仲良くとは言わずとも、普通に会話を始めたのを見て、ようやく張りつめていた気を解いた。
「……知り合いと言えば、そうです。緋扇、こちらは厚遇すべき客人だ。名乗れ」
「はっ! 関東地域第3区画1号支部所属、兵卒、緋扇操であります! あけましておめでとうございます!」
最後が余計だと、アンジェラの拳が飛ぶ。それを敏捷に潜り抜け、操は二人から距離を開けて立った。
実際の所、振袖姿でこの軍人と、戯れだろうとやり合うのは荷が重い。新兵訓練の際、比喩抜きに血反吐を吐いた記憶は抜けていないのだ。
「……と、いう事です。愚かではありますが、敵対者ではありません。ご安心の程を」
「そ、そうなんです、か……? あ、明けましておめでとうございます、ルーシー・アンドリュースです……」
ルーシーは、目の前のやり取りに怯えでもしたのか、表情を曇らせて名乗る。
操には、何故この少女が、重要な護衛対象なのかは知らされていなかった。
が、こういう時に聞いてみても、無意味な事だとは半ば気付いている。
「兵長。この方は何故、警護対象となっているのでありますか!」
「それは私には聞かされていない。故に、我らの知るべき事では無い!」
それでも一応ばかり訊ねてみた。そして、予想通りの解答だった。
余計な事を聞かず、忠実に任務をこなす事。周囲の状況把握に長けている事。そして、一兵士としての戦闘力に優れている事。
それが彼女が、兵長という立場にある理由であり、上に便利に使われる理由でもある。
こうなるだろうなと溜息を吐きつつ、操は気を付けの姿勢を崩さなかった。
すると、今度は廊下の向こうから、がちゃがちゃと賑やかな足音が聞こえる。
近づく気配は一人分。操もアンジェラも、戦闘態勢には入らず、音の方向に首だけを向けた。
「おや、ルーシーさん。新年から珍しい所で会いましたね、マダムとの面会は如何でした?」
「カ、カムイさん、お久しぶりです……はい、何時もお世話になってると、お礼は……」
操達には聞き慣れた音だった。カムイは上機嫌な様子で、ルーシーに朗らかに呼び掛けた。
言い淀むルーシーだが、初対面の操とよりは、余程話しやすいらしい。
してみるとこの少女、人苦手というより、人見知りが激しいのであろうが――それはさておいて。
「そうですか。あの人、見た目よりは優しいでしょう? 体調に気を付けて、新年をお過ごしなさい。
アンジェラ兵長、外へお連れしなさい。ここは息がつまるでしょう、外の子達の近くに居てあげなさい」
「はっ、承知いたしました。……では、ルーシー殿、こちらへ」
周囲に目を配りながら、廊下を先導して歩き始めるアンジェラ。追い掛けて歩き始めたルーシーの背をカムイは目で追いかけ――それから実際に、早歩きで追いかけた。
並んでちょこちょこと付きまといながら、下からルーシーの顔を見上げるカムイに。少女は困惑を返すばかりであったが、
「体調は如何ですか? ……折角の新年くらい、もっと楽に笑っても良いでしょうに」
「……いえ、大丈夫です。あんまり、そういう気分にもならないし……」
「それじゃあ駄目ですよ。めっ!」
あまり痛くない拳が、ルーシーの頭に飛んだ。
カムイの背は、操とさして変わらない。拳をこつんと頭に落とそうとしたが、腕をぐうと伸ばしてやっと成功した。
無理な格好で放ったものだから、その後数歩はたたらを踏んで、ガシャガシャ騒音をならしようやく踏みとどまる。
「いいですか? 送って行きますので、外で暫く待っていなさい。雪なりなんなりで遊んでいる事! 子供は風の子!」
「はぁ……僕、子供って歳じゃ……」
「いいんです、私より若いんですから! ……いや本当にねー、二十歳を超えると身体的っていうより、精神的に来るんですよー……。若い子は気持ち若いままで居て欲しいんですよー……」
「は、はぁ……」
宴席で若者に絡む年寄りのような事を言うカムイに、ルーシーは困惑するばかり。
アンジェラに連れられて外へ向かう彼女を、今度こそカムイは、両手を振って見送った。
「……なんですか、あの人は。警護対象?」
「人間の希望になるかも知れない人。大事にしてあげなさいね?
それより操、こちらの挨拶は一件終わりました。次の挨拶を……高貴な人に、差し上げないと。
その為にわざわざ連れてきた、というのも有るんです」
未だに開け放たれたままの扉からは、香水の匂いが零れだしている。
挨拶という言い方に、扉の向こうの気配、それからカムイの目に――
「……大方、そんな所だろうと思いましたよ」
「理解が早くて結構。さあ、恐ろしい人に謁見しましょう」
午前中だと言うのに、天然の光は何一つ差し込まない部屋。
ほんの一晩二日、一時的に滞在する為の部屋だというのに、調度品は整えられていた。
机を挟んで向かい合うソファ、二つの化粧台。壁には微笑む少女の絵。絨毯は敷かれていない。
西洋の建築と同様に、靴を脱がない作りの屋内――来訪者が靴を脱ぐという、間の抜けた行為も必要としない。
「あらまあ、蛇の牙が一欠片で、新年の言祝ぎを? 良い心がけねぇ、褒めてあげる」
「光栄ですよ、マダム・ヴォルフ……それからミズ・バートレー」
「私を個人名で呼ぶのは関心しないね! マデレーネ、私はマデレーネだから!」
寝台は、一つだけ。その上に腰掛けた女は、目を覚ましたばかりだとでも言う様に化粧もしていなかったが、それでも並の女の数倍も美しく、また艶やかであった。人を出迎える為だけに重ねた衣服は、彼女が色白の西洋人でなければ、肌の色さえ透けてみえるだろう程の薄絹である。
そして、寝台の横に立つ女。こちらは何と言おうか――着飾るという概念を放棄しているのではないかと言う程、珍妙な格好をしている。スリッパ履きに、揃えもしない髪。コートは分厚く丈が長いが、見えている足首や袖の周りの雰囲気からして、その中に一切の衣服を身に着けてはいないらしい。
「それで? 今日は商談かしら、それとも跪く為に?」
「主換えのつもりはまだ有りません。然し年明け早々に金銭を動かすのは、私達の言葉では〝無粋〟と呼びます。端的に言えばエレガントでは無い。
今日は一年の最も良き日を、素晴らしい方々と過ごしたいと願うばかりです」
「そう、お上手な事。暦が変わっただけのこの日を、どうして最良と呼ぶのかしら」
「貴女に傅く筈の誰かが、まだ誰も死んでいないからですよ、マダム」
歯の浮く様な世辞を述べるカムイを、マダム・ヴォルフは笑って受け流すばかり。敬われるのは慣れているからだ。
横に立つマデレーネもまた、こういった会話は聞き慣れているのか、微笑を緩める事は無かった。
「人は死ぬ、何時か必ず。だが、明日である必要性は無い。遠ざける為には是非とも、貴女の力を――」
「私の財力が必要だと。そういう事かしらぁ?」
「私の技術も使って欲しいけどね! バッテリーの長時間化は進んでるよ、流石私! 凄い!」
「――いずれも、確かに必要なものです。誤魔化す事は出来ませんね、はっは。
それならば、こうしておべっかばかり差し上げるのも申し訳ありませんので――」
機械脚の音を鳴らしながら、カムイは部屋のテーブルを動かす。
或る程度の広さを作る為ではあるが――部屋の仮の主達は、やはり怪訝な顔をする。
どうしてこの様な事をと、問い質す声は無い。余興のつもりなのだろうとは察したのだ。
カムイは、懐から笛を取り出す。フルートにも似た形状――篠笛である。
「楽の心得が?」
「京に住んだ者、故に、ですが」
ひゅうと息を吹き込めば、ひょうと音色が答えた。心を躍らせる軽やかさは無いが、微睡に誘う音だった。
時の流れを緩める――この日が長く続く様にと。それを祈るかの、眠たげに、かつ寂しげな音だった。
「舞いなさい」
「――はい」
音色に導かれて部屋へ吹き込んだ緋色の風――西洋のダンスとは趣の違う、彩。
袖と黒髪をはためかせ、ランプの灯りを受けて、舞う。
人を投げ捨てる為に鍛えられた手が、指先までをそよがせて。床をけたたましく叩く足も、この日ばかりは音も無く、静かに体を運んだ。
ほう、と誰かが溜息を零した。見る二人か、奏でるカムイか、或いは舞う操自身かも知れない。
嘆息の理由は、きっと――調和が取れていたからだ。
洋風の室内に、奏でられる雅楽。眺める女は、日本に於いては貴いとされる紫を纏って、陶磁器が如き肌を彩っていた。座すだけで意味を為す、生まれながらの支配者が居た。
舞う少女は、東洋の黒に血の様な緋色を纏う。影に徹する演奏者共々、従属する定めに生まれついた者達が、織りなす捧げ物は――媚態を演ずる、娼婦にも似ていた。
だから、無言の内に組み立てられた順列は、一切の不純を孕まなかったのだ。
「……緋扇 操、かしらぁ……?」
カムイの奏でる音色が止まった。シーツの隙間から薄絹を纏って這い出したマダム・ヴォルフは、音色と共に立ち止まった操の顔を、両手で挟んで観賞した。
彼女の小さな頭の中には、膨大なリストが収まっている。その中の、極東の商売相手の関係者に、この名前は収まっていた。
だが――彼女が直ぐに、この舞手と戦闘員の名を結びつけられたのは、記憶力ばかりが理由では無い。
「ハッピーニューイヤー、操。噂はちょっぴり耳に入ってるわ。……尤も、そのルートはカムイからのものばっかり。
この子ったら雑談が始まると、いつもいつも貴女の事ばかり言うんだもの。扱いやすい子だ、ってね。
……オーバーワークの気が有るとか?」
商売相手が、時折口にする名。面白そうだと、記憶の片隅に留めていたのが、丁度噛みあったというだけの事だが。
だが、命知らずの鉄砲玉、自虐的な戦闘員とだけ聞いていた少女が、披露した舞の、美の性質を女は汲み取った。
誰かの下で、命じられてこそ映える華。一輪で咲けば枯れるばかりだと言うのに、人に好まれぬ棘のある華だ、と。
「……鍛えられてるわねぇ。ダンサーと喧嘩はするな、何処の言葉だったかしら……。良いわよぉ、痩せてるだけの子に比べて、脚までしなやかで綺麗で。でもボクサーみたいに、脂肪を落とし過ぎてもいない。
見た目より力も有りそうだし……あらあら、東洋人にしては胸も有るじゃない」
「あ、え……しっ、しぶちょ――」
「黙ってなさい、操」
マダム・ヴォルフは両手を滑らせ、振袖の上から操の体を撫でた。
助けを求める操だが、上司は薄情で、そしてマダムは他者の意を自分の行動理由に組み入れない。
腕、脇腹、脚。触れるのは、商品価値を左右する部位。柔術を旨とする操の体は、打撃を主体とする者に比べれば、脂肪をうっすら纏った柔らかさが有る。それをマダム・ヴォルフは味わっていた――夜から抜け出したかの、薄絹の侭で。
操からしてみれば、下着を通り越してほぼ裸形に近い女――それも、艶美の熟した妙齢の女に、厚い布越しとはいえ触れられている。カムイに窘められても、思わず後ずさりをしてしまう。
と――今度は、背中に誰かぶつかった。銀色のコート一丁という奇妙な格好のマデレーネが、操の背の『大包丁』をまじまじと眺めていた。
「んーん、良く使ってるね! かなり乱暴に使ってくれてる、いいよいいよー! 使われない武器ほど虚しいものは無い!
あっ、そういえばさそういえばさ、加熱機構はどう!? 三十秒以内に目標温度行ってる!? どうかな!?」
自分の作品を見返している――様に見せながら、主の為に獲物の逃げ道を塞ぐ。こちらもまた、忠義の犬である。
たんと満ち足りた顔をして、振り向いた操の額に、自分の額を重ねる程、顔を近づけた。
「ところでさ、操ちゃん! 最近また、新しい装備の実験中なんだけどさ、参加してくれない?
大丈夫、怪我はしないよ! ただほんのちょーっとだけ、マダムと一緒に外国へ飛んでもらう事になるけど!」
「え、いやいやいや、困りますって先生……支部長、ちょっと支部長! なんとか言って!」
「わたしは、なにも、みていません」
操の主武器は、このマデレーネなる技術者の作ったものだ。面識は幾度かあるが――操は、この相手が苦手だった。
それに加えて更に、マデレーネの上を行く主人が出てきたものだから、これはもう蛇に睨まれた蛙。
上司に助けを求めようとしてみれば、両手で目を覆い隠しているのだから性質が悪い。
「ねぇ、操。今のお仕事は気に入ってるの?」
「は、はいっ!? あ、はい……ひやっ!?」
一度振り向いて、迫るマデレーネを押し返そうとすれば、今度は肩や首にむぎゅうと押し当てられる感触。マダム・ヴォルフが背後から、操の肩に両腕を回していた。
耳に息が掛かって、操は頓狂な声を上げて身震いした――が、前後からがっしり捕まえられていて、逃れることが出来ない。
「ねぇ、カムイ。先年の商談の件だけど、代金にこの子をくれない? 大丈夫、最初から無茶はさせないからぁ……ねえ?」
「操を? いえ、無茶は利く子だと思いますが、本人が何と言うか……操、どうします? ヘッドハンティングされてますが」
「冗談じゃない!」
肝心の上司は役に立たないのだと分かるや、操は二人から力づくでも逃れようとした。
実際の所、投げようと思えば非戦闘員の二人程度、軽く投げ飛ばす事は出来たのだろう。
が――
「ええ、そう、冗談じゃあないわ。私は本心から、貴女を私の物にしたいだけよ。
悪い相談じゃないと思うわぁ、その『S-103携行型』くらいの武器なら、もっともっと作らせてあげる。
使う為の場所も、望むなら東洋でも西洋でも、何処へでも送り届けてあげるし――」
「あ、あ……あああああ……」
マダムの声を聞けば、操の抵抗が削がれた。
内容が魅力的――だった、ばかりではない。単純に、耳に吐息が当たっているのである。
「貴女には私と、私の大事なコレクションを守る任務をあげるわ。私の為に戦って、私の為に舞を披露して、その代わりに貴女が欲しいものを与えてあげる。悪い話じゃあ――」
「や――やっぱり、駄目ですっ!」
気を抜くとこのまま、意識とは無関係に首を縦に振りそうで、操は声を軽く裏返らせながら叫んだ。
丁度口がマデレーネの耳元に有った様で、彼女は耳を抑えながら体を大きく仰け反らせる。
そうして生まれた隙間から、操はするりと抜けだし、大袈裟に飛び退いて壁に背を預けた。
「あらあら、ざぁんねん。コレクションの護衛として働く気があったらいつでも声をかけてちょうだいね……ただし、お偉いさん方への肉体接待も業務に含めるけど」
「肉た――だっ、誰がするか!?」
「大丈夫! コレクション悪くない! 昼間は着る服に困らないし、夜はそもそも服を着る必要が無いからね!」
「欠片も大丈夫さが見えない!」
この幽雅な部屋だというのに、ぎゃあぎゃあと喧しい事である。
喧しさを愉しめるのは、心に余裕が有る人間だけであり、つまりは操以外の三人だけ。
取り残された一人は、叫びすぎて肩で息をしていた。
「さて、マダム。非常に名残り惜しいですが、互いに多忙の身――加えてこの子も、ちょっと疲れた様でして」
「……原因の一つはあんたじゃアホ支部長……」
やっとカムイが助け舟を出し、操とマダムの間に割り込む。
が、これほど頼りにならない壁も無いと、操は総毛を逆立てた猫の様な形相だった。
それでも、カムイが部屋の出口へ向かえば、操は後方への警戒は解かぬながら、それに追随する。
部屋を出る為、最後の一礼をと振り向いた瞬間――マダム・ヴォルフは、操の背後に、前髪も触れんばかりの位置で立っていた。
「怖がらないで、安心して。貴女。素質あるからすぐにSMプレイも楽しめるわ……一目見て、分かったもの。
カムイに聞けば連絡先は分かる筈よ、そのつもりになったらいつでも――」
「何時でもおいで、お仲間が増えるのはうれしいからね!」
「お二人とも。私の部下を取り上げないでくださいよ」
ぱたん、と閉じられる扉。廊下へ出てしまえば、外と内は別世界で、
「……疲れた、なんだかすっごい疲れた……」
「お疲れ様です。然しながら操、ああいう方の前でわあわあと騒ぐのは――」
「先にどういう相手か言っておいてください! 本当に! 頼むから!」
そして結局のところ、賑やかなのはまるで変わらないのである。
「はぁ……ああもう、新年だっちゅうのに、なんなんだこりゃ……」
戦闘訓練の後にランニングに向かう様な体力馬鹿の操だが、今ばかりは足を引きずっている。
どちらかというと精神の疲労が原因なのだが、こればかりはどうにもならない事であった。
少し気分転換をと思って、外へ出て見れば――
「――ありゃ? ……何やってんだろ、あれ」
何やら、何処かで見たような顔が、一か所に固まっていた。
というよりも、今日見たばかりの顔が、一か所にぞろぞろと。
眼帯の双子も居たし、長身の少女も、兵長も居た。あまり共通点が思い浮かばない集団であった。
少しばかり興味が湧いて、操はそちらへ向かっていく――と、もう一人ばかり、知った顔が有った。
「おっ? 操ちゃん、何しとん? あっけおめー」
「あっ、リコ! そっちこそ――って、いや、仕事なんだろうけど」
少しばかり年齢の離れた――友人と呼ぶのも、また違うかも知れない知人、物岳 良子。
知り合ってしまった理由に関しては割愛するが、互いに他人と断ずるのも出来ない程度には、良く知った間柄である。
双方とも片手を上げた、気楽な礼と共に歩み寄った。
「あー、カムイさんとこの子って、操ちゃんやったんねー。お手伝い?」
「年始参りの、ね。もうやだー、あの上司にしてあの知り合い有りだわー、疲れたわー……」
「そうやねー、あの上司にしてこの部下有りやもんねー」
「ちょっとリコ、聞き流せない事を」
息継ぎは相手が喋っている間に済ませて、自分のターンはノンストップ。
さても無呼吸連打での殴り合いのような会話になるのがこの二人であった。
が、今日はもう一人、それを中断する為の――
「リコ、リコ、この子知り合い? ふぅん、アンタ誰さ! 見ない顔だね!」
「……ぅおう。いや、私から見りゃあなたも見ない顔だけど――というより、夜中に見たくない顔だけど」
「あ、やっぱり? 良く言われる! 夜に見たら惚れちゃいそうだってね、あははっ」
――いや、中断はしてくれそうにない。
寧ろ、オウムを二羽集めたような環境が、三羽集めたような環境に変わるだけだった。
「あっ、そかそか、初対面やんね。この子はマーシャル、私の同僚やけん仲良くしてな。な?」
「すっごく仲良くしてくれていいよっ、肉ちょうだい! もう生でも良いから!」
「そんなもの携帯してないからね。携帯食料なんて謎のクッキーの味しかしないし脂っこいしね」
振袖姿の少女二人――そう、マーシャル嬢、強制的に着替えは完了させられているのである。
こうなったのも悪い大人の発案に、新年ムードに便乗した二人が賛同したからなのだが、それはさておき。
普段の衣をそのまま作り替えたかのような胡桃色の振袖は、あつらえた様に丈が合っていた。
いや、実際に誂えたのだが。知らぬは着せられた当人ばかりなり、である。
「ほんで、ま、操ちゃん。順番おかしくなったけど、あけましておめでとうございますー」
「ん、二回目だけど、おめでとうございまーす」
「それじゃアタシもおめでとうございまーす」
三人そろってぺこりと頭を下げると――ぱさっ、と良子の懐から、封筒のようなものが幾つか落ちた。
そこからは――兎角、速かった。
まず、マーシャルが雪を散らして馳せた。良子の懐に一瞬で潜り込み、封筒を拾い上げようとした。
それを良子も容易くは許さない。潜り込んだマーシャルを抱え、横へ放り捨てようとして見せる。
そして困るのは、投げれば丁度巻き込まれる位置に立っていた操であり、これまた俊敏に回避を見せる。
結果、三人が三人とも立ち位置を変えながら、何故か円形の配置は崩さぬままとなり――奇妙な沈黙が流れた。
「リコ、それ何さ! なんかいい音がしたけど!」
「……お、おう。これか! これはなー……良い子だけに上げるサンタさんからのプレゼントの延長戦の――」
「サンタちがう。サンタもう冬休み入った。お母さんかおばあちゃんの仕事」
もはや声量を上げる事を放棄した操がたんたんと突っ込む横で、良子はマーシャルに、改めて封筒を渡した。
拾うに任せておけば良いという声もあろうが、手渡しをすることが重要なのである。
それを知ってか、マーシャルはきちんと両手で受け取ってから、ぱぁと顔を輝かせた。
「ひゃっふー! 新年の出勤手あ――お年玉だーい!」
「そうやねー、出勤手当なんてものはあるかもしれんけど、そういう事は気付いてない振りしたってねー。アイりんからのお年玉だって思っとる風に振る舞っといてねー。
ほんじゃ、操ちゃん、せっかちなようやけど、ちょっと失礼な! これから私、お仕事も有るし――あの子達に渡すもんもあるし」
「えっ? あ、うん、分かった。新年早々大変だねー、お仕事頑張って!」
どうやら、お年玉を喜ぶのは、何処の子供も同じであるらしい。
子供とは言っても、皆がもう十五歳にはなってしまったこの世界だが、大人も子供も、所詮は相対的な概念。
成人した者から見れば、年下は皆、子供であると見えて。
「お年玉……わふーい。ありがとう、リコ、嬉しい」
「年始手当の名目を変えただけとは言え、悪い気分はしないわ……アイリーンにも伝えておいて。ありがとう、二人とも」
「え、僕まで……あ、あのっ、僕まで受け取るのは、何か、気が引けて……ありがとうございます」
「それを言うなら私も、この様な厚遇は似合わぬかと――言え、任の内と仰るならば、謹んでお受け取り致しますが」
向こうの方では、この日通り過ぎた皆が、お年玉の配給に与っている。
素直に喜んだり困惑したり、反応は様々だが、皆、表情は明るい。
誰かに祝福され、何かを送られる――金銭の多寡よりも、それがきっと嬉しいのだろう。
「……行こっか」
操は一人、雪を踏み分けて歩いた。
雪とは言うが、然したる深さは無い。操が生まれた東北の積雪に比べれば、実に平和なものだ。
故郷の雪の柔らかさと、積もった時の異常な重さを思い出し、足元に手を伸ばす。
湿っていて、量も少ない雪。今は白いが、暫く人が踏みつければ、泥沼の様に変わるだろう。
白い雪の更に上澄みを救って口に含めば、殆どもう水になってしまって、味気なく、操はそれを吐き出した。
「……お年玉、かぁ」
風習を、人は続けたいと願う。
操の家も――他の幾億の家族と同様、祖父と父は失われて、その折りに何人か、また亡くなって――母親と二人の、慎ましい正月だが、お年玉くらいは貰っていた。
が、使う事は無かった。貰った金額をそのまま親に預けて、どうしても欲しいものが出来た時だけ、お願いをして使っていた。
とはいえ、操は物欲の薄い少女だったから、買うものと言えば少しの服くらいのもので、それを遠慮していると勘違いされたのか、時々母親が悲しそうな顔をしたのは覚えている。
今は――多額の給与を得ている。何年にも渡って受け取ったお年玉の累計額の、数倍を一月で受け取っている。そしてやはり、使い道は少ない。
だから、本当の事を言えば、操は誰かからこれ以上、臨時の収入を得たいとは思っていなかった。
「……はーぁ」
新年周りで訪れた兵舎の、入り口階段に腰掛けて、溜息を零す。
金銭が欲しいのではない――それは自分でも、薄々気づいていた。
だが、『お年玉』を受け取って目を輝かせる、同世代の少女達を見ると、どうしても――寂しいと、そんな感情が渦巻く。
中学校に上がって直ぐ、操は兵士を志願し、関東地方に訓練兵として配属された。
日々は充実していて楽しく――ある時から、楽しさばかりではなくなったが、満ち足りていると思っていた。
だから、今日、一年の最も目出度い日に。こんな風に座り込んで、立てなくなっている自分を、何時、想像しただろう。
「おかあさん……」
膝を抱えた。何年振りか、自分でさえ気づかぬ内に、思わぬ言葉が口から漏れ出た。
そうなればもう、感情を留める事は出来ず、何時しか視界が滲み始めて――
「新年好!」
「……っ!?」
今日は後ろから良く驚かされる日だと、操は突然の声に振り向いた――さりげなくなる様に、滲んだ涙を拭いながら。
聞き慣れぬ大陸の響きを発した口は、全くの予想通りに、そろそろ見慣れ始めた同僚の顔であった。
「新年好、操。おめでたい、です?」
「紅花……? えっ、支部長が連れてきたの、私だけじゃなかったの。えっ。
……それに、その恰好は……わお、何それ」
普段の紅花の服装は、見事に軍装の中に有っては浮く、大陸風の黒い衣服である。
が、今の姿は、雪の中に有ってはやはり強く浮く、黒字に金糸の振袖姿。よくよく見れば、カムイの私服に似た柄で、布を流用したのではとさえ思えた。
実際、そうなのだろう。操だと、カムイの私服をそのまま着れば丈が合うが、紅花の背丈では袖が足りない。一着ばかり解して振袖に仕立てて――それに合わせて洒落気を出したか、刺繍の図柄は変えてあった。
「これ、手伝った、私です。カムイ、注文した、これ。でも、刺繍無かった、だから私、つけた、借りた、針も」
「……これ、自分で刺繍したの!? ほぁー、ようもやるわ……」
地味な黒字の布の上に、金糸で施されたのは見事な五指龍。皇帝の図柄と、古代中国ならば禁じられた意匠だ。
それも、この信心浅い日本列島でならば、ただの洒落たデザインと成り果てる訳ではあるが――
「一年、次、始まりましたです。私、もっと日本語、勉強する、です。から――」
新年の期待にか、それとも単に寒さにか、頬に紅をさした様な彼女の顔。
東洋人離れした大きな目、自分よりも高い背。髪と目に揃いの黒を、刺繍と周囲の雪が飾った。
操には、丁度良い言葉が見つけられずに居た。どう言葉を返して良いのか分からず、ただ、座りこけているだけ。
「手伝う、君、お願い、です」
それも、両手をぎゅっと包む様に握りしめられれば、留まっては居られなかった。
「え――あ、うんっ! 手伝う、うんっ!」
ぴんと跳ねる様に立ち上がって、こくこくと頷く操。
紅花はその内心を知ってか知らずか――きっと知らぬだろうが――ぶんぶんと何度も手を振って、漸く解放した。
それでやっと、操は深呼吸をする余裕を見つけて――合わせて、言葉を見つけられる。
口にするのは気恥ずかしい言葉だが、新年の昂揚に任せればよいと、意を決して音にした。
「ホ、ホンファさ……それ、凄く、似合ってる……」
後半は殆ど消え入るような声だった。だが、周りに他の誰もいない。
「操も、です。操、似合う、キモノ。えっと、あー――」
きっと十分に聞き取れたのだろう。紅花は珍しく表情豊かに微笑んで――
「……そう、〝馬子にも衣装〟、です!」
――ひゅう、と寒風が吹いた。
積もった雪を巻き上げ、周囲にぱらぱらと白を拡散させる、冷たい風が吹いた。
「……カムイあのやろう何処へ行ったぁあああああっ!?」
操は一瞬にして、事態を理解してしまった。あの上司にしてこの部下在り、なのである。
間違った日本語を、今日この瞬間の為だけに教えられた紅花は、大きな目をぱちくりさせて、疑問符を頭から飛ばしていた。
「……はぁ。それ、他の人には言わない事。最悪殴られるよ」
「おー……〝馬子にも衣装〟、悪い、です? 対不起……」
「あっ、いや、悪いのは支部長だし……ええとね、近い言葉を探すと……なんだ、なんだ、これ、なんだ」
もはや日常の、言語の壁にぶつかる二人。然しながら幾分か、操は中国語をそのまま受け取れるようになったし、紅花も日本語の発音が正しく変わってきている。
意思の疎通の難易度が下がってきた二人は、やがて無言で頷きあって、
「……支部長、問い詰めようか」
「我同意你的意见……それに、お腹、空いた、です」
このまま屋外に居るよりは、元凶の胸倉を捕まえて、ついでに財布を開かせよう。
そういう結論に至るや、ざざと足並みそろえ――歩幅は違うが――二人は建物の中へと入って行く。
「日本のショーガツ、ご馳走、いっぱい、食べるです。あと、オトシダマ? 食べるです!」
「いや、お年玉は食べないよ!? 食べ物買うのよ!? 」
「……食べられないです? ……でも、没問題。カムイと楊、もらいにいくです!」
「えっ、楊教官来てるの? あの人フットワーク軽いな……何分滞在すんのかな……」
歩いていた筈が早歩きになって、小走りになって。
何時しか廊下をバタバタと、髪も裾もなびく程に走る、新春の装いの二人であった。
「……ふう、子供連中は元気なもんだ」
「貴女だってまだ若いでしょうに、そういう事を言うものじゃありません。お年玉上げます?」
「要らないよ、私は渡す側だ……あー、あー、音声テスト。良好か、レイラ?」
兵舎の一室。外の喧噪も届かない防音壁の部屋、暖炉の火に当たりながら、カムイとアイリーンは向かい合っていた。
とは言うが、向かい合って座っているというのに、互いは互いを見ていない。
見ているのは、部屋中に並べられた機器のモニタと、机の上の地図。
「ええ、火の粉の爆ぜる音まで聞こえます。通信機越しですが、明けましておめでとう、アイリーン」
「めでたいかどうかはこれからだ、気を抜かないでくれ。そこから敵影は確認出来るか?」
「ポイントAからDクリア、FからHクリア。ポイントEに小さな群れが居るけれど、あれは動きを見せていません。
レーダー網が正しいなら、市街地へ接近しようとしているオスは、半径5km圏内にはいませんね」
通信機から聞こえる女性の声には、北風のひゅうひゅうという唸りが混ざっていた。
何処か、山岳地帯にでも布陣しているのか。寒々とした風の音に比べ、芯の通った強い声だ。
「そうか、引き続き警戒を続けてくれ。レーダーはいざという時に怖い、信用できるのはレイラ、お前の目だからな」
「はいはい、分かりましたよ〝お母さん〟。私にもお年玉の用意はお願いしますね」
つっ、と短い音が聞こえて、一時的に通信は途絶える。通信機を机に置いて、アイリーンは苦い様な楽しげな様な、なんとも言い難い表情を見せた。
「〝お母さん〟だと。この歳で子持ち扱いさ、私は」
「良いご婦妻ですこと。お子さんも大勢で羨まし――いえ、冗談ですよ。
然し、そちら側の配置から考えるに、やはり北側のルートを通る群は少ないらしいですね……」
「そうだな、積雪が多い。小型の個体なら脚を取られるし、大型ならば雪に体が沈む。
通るなら西側、まだ凍結していない川と使うと踏んでるが……配置は、どうなってる?」
「私の手勢を。数十人程度ではありますが、見張りの目としては十分に優秀な者達です……っと、失礼」
地図を指さしながら話し合う二人。この行動は、数日前より決まっていた事だった。
オスの群れが、彼女達が拠点とし、また一時的に滞在している都市へと迫っている。
進行速度から考えて、恐らく戦闘は年始になるだろう。降雪の度合いによっては、一日ばかり遅れるかも知れないが――それを、良しと思えない者達が居た。
オスの存在は、いわば天変地異の様なもので、人間が望む望まぬに関わらず迫ってくる。だというのに、それをも認められないで足掻く者が――〝子供達を戦わせまい〟とする者が、二人、居たのだ。
「カムイです。どうかしましたか?」
「こちら小隊アーダー、河川上流十二地点に於いて、三十頭規模の群れを二つ確認。進行速度は緩やかですが、夜までには市街地へ到達するかと」
「……ふむ。個体として、特徴は?」
「目視可能な限りでは、四足型が多数。先頭を歩く一個体のみ、八足に腕が四つの他脚型、体表は何れも体毛に覆われています」
「分かりました。引き続き監視、5分毎に簡易の報告を行う様に、ご苦労様」
「はっ!」
部下からの通信に応答しながら、地図の上にチェスの駒を置くカムイ。
マス目の無い盤では、ルークもどこまで進んで良いか迷うだろうが、それを想う事は無く、カムイは駒を遊ばせる。
口の中でぶつぶつと呟きながら顔を上げたのと、アイリーンが立ち上がったのはほぼ同時だった。
「そろそろ、私が出る。それで良いな?」
「ええ。恐らく探知していた群は、それで全てです。念のために監視の目を半分残し、半分をレイラさんに合流させましょう」
「そうしてくれ」
コートを羽織り、ライフルを担ぎ。愛車の鍵の代わりに、雪原を走る為の改造装甲車の鍵を、カムイの机から掻っ攫う。
防音扉の前に立ち、ドアノブに手を掛けて――捻る前に、アイリーンは言った。
「……約束は果たせよ」
「ええ。〝今日一日、20歳未満の者には、戦闘勃発の事実さえ伝えない〟……それは貴女の出した条件でもあり、私の望みでもある。
違えませんよ、決して。ただの一日だけでも良い、仮初でも良い、平和というものを――」
全てを聞く前に、アイリーンは部屋を出て行った。
取り残されたカムイは、これで監視の目が無くなったと、ようやっと愛蔵の酒瓶を懐から取り出して――
「……明日にしましょう、うん」
結局、口を付けず、懐へ逆戻りさせる。
十数機のモニタと、通信機数台、そして数平方mにも及ぶ地形図。全て、一つも見逃すまいとするカムイの笑みは、普段より幾分か不敵で楽しげであった。
「支部長どこだー! お年玉寄越せー!」
「楊、もうくれた! カムイだけ、ですー!」
体力は無尽蔵の二人は、未だにカムイを探して走り回っている。
このまま後数時間も、走り続けるのではないかと言う様な勢いで――
「あっ、そうだ、忘れてた。紅花?」
「啊?」
それが、靴音も喧しくブレーキを掛けた操に合わせ、廊下を滑りながら立ち止まる。
裾を正して正面から向かい合って――
操の最後の台詞が、私から皆様へのご挨拶。
「あけまして、おめでとう」
本年もよろしくお願いします。