STORM
打ち捨てられた街の片隅、爆音渦巻く廃墟に、少女達は居た。
瓦礫を椅子にして三人、いずれも劣らず、危険な臭いの染みついた面構えをしている。街で誰かと擦れ違う際に、目を逸らされる類の気配である。
凶暴な顔、というのでも無い。いや、一人はその表現に該当するかも知れないが、彼女の場合、問題は奇抜な髪の色と巨大なサングラスであって、素顔は整っている部類である。
服装はと言えば、既に廃れた女学生風で、着崩し方まで堂に入っている。肩に担いだ鉄パイプは、酷く雑に使っていると見えて、歪み、曲がっていた。
「あー、退屈退屈退屈。ちょっとリーダー、あたしの為に漫画買ってきてよ漫画」
「10km四方に売って無いっすよ佐藤さん」
「じゃあ20km四方探し回ればいーんじゃん?」
「んな無茶な」
リーダーと呼んではいるが、見事に敬意の見えない口調で、サングラスの少女は退屈を叫ぶ。
佐藤と呼ばれたが、これは彼女の本名では無い。本名は、何が気に入らぬのか、兎角語らぬのだ。この〝佐藤〟という名さえ、飽きたら投げ捨てるのかも知れないが、今の彼女は〝佐藤〟であった。
「もっと自分を気遣って欲しいもんですよ。ねぇ、山田さん」
「んー。あ、ごめーん、聞いてなかったー。りょう知らなーい」
「……Bullshit!」
さて、残り二人の内、片方に目を向けてみれば、いかつい眼帯がまず目立つ。それさえ除けば、少年的な顔立ちの――少女に用いるのもおかしいが、中々のハンサムであった。然し、どうにも苦労人の相が浮いているように見えるのは、二人の悪友が、友人思いとは呼び難いからであろう。
右目は、眼帯で覆われている。何も見えないだろうが、事実、視力は無い。そして、右脚も無い――代わりに義足を付けている。何で出来ているかは分からぬが、透明の、そして頑丈な素材である。瓦礫の上を跳んで跳ねて、壊れもしない義足だ。寧ろ本来の脚より、使い勝手はよいのかも知れなかった。
「ちゃんさと、音ちっちゃくして。それ煩い」
「あー? あんだよ、ギャンギャン来てんのに……」
何処でかっぱらって来たか、上質のステレオが、ヘビィメタルを爆音で奏でている。電源はこれも盗難の憂き目に遭った自動車で、エンジンから電気を引いていた。
脳髄を掻き回すようなグロウルは、男のいない世界で疑似的にでも多様性を生むものであるが、音量が気に入らぬという声も出た。クレームを付けた当の本人は、積み上がった漫画をぱらぱらと捲って、時間を無為に潰していた。
「これもう飽きたー。他の無いのー?」
「ねぇよ、りょーちん自分で盗ってくればいいじゃん」
佐藤にあしらわれている少女は、ぶうと頬を膨れさせた。どうにも彼女は、自分の顔が可愛らしいのを熟知しているようである。
とは言っても、化粧で飾っているだとか、そういう事は無い。むしろ眉も特に手入れせず、そばかすも隠さずの無頓着ぶりであった。然し彼女の場合、自分は無頓着な方が良いと、何か悟っている風でもあった。
表情を豊かにころころ変えて、時折はぶうたれてみたり、猫なで声を出してみたり――端的に言うと〝あざとい〟のだが、対面してみるとそのあざとさが、鼻につく者つかない者ではっきりと割れる。そして初対面の人間は、どうしてか、殆どが後者であるのだ。山田りょうは、兎角奇妙に、人を安心させる容貌であった。
「はぁ……あんた達、ほんと自分に手厳しいですよね。何? 自分下っ端ですか? 下っ端なの?」
「リーダーはリーダーじゃん。リーダー、あたしそろそろ新しい服が欲しい」
「うん、ボスはボスじゃんねー。ボスー、りょうはドラムが静かなCD欲しいー」
「だから自分はパシリじゃねえっての、怒るよ。……でも確かに、新しいねぐらも欲しいんすよねぇ……」
さて、季節は秋であった。北から吹き下ろす風が、日に日に寒さを増している。そろそろ焚火で夜を過ごすのは、難しくなってくる頃合いであった。
幾つか拠点は持っていた。その内の半分程は、〝人間のなれの果ての化け物〟の巣になったり、政府の人間が集団で踏みつぶしたり、様々である。
せめて雪を防げる屋根と、風を防ぐ壁が欲しい。その上で、布団を敷く為の平らな床があればなおさら良かった。
盗難車を置いておける車庫などあれば、何年でも居座りたい程であった。
実際には、そんな理想的な環境は滅多に無い。壁はどこか穴が空いているし、ガラスが殆ど割れてて内部は風に吹き曝し。コンクリート片や欠けた蛍光灯で、横になるばかりか歩くのも危険な、そんな廃墟ばかりなのだ。
ちなみに、今、彼女達が拠点としてたむろしているのは、屋根も壁も無い、ただの休憩地点である。流石にこの環境、ここで夜を過ごす訳にはいかなかった。
「んじゃあ、多数決を取りまーす」
「リーダー、リーダー、一人足んない。塚川氏いない」
この先、どうするのか。リーダーと呼ばれながらあまり敬意を払われていない少女、一文字ハジメが二人に問う。
「いいじゃん、塚川氏いると偶数人だし。決めちゃおうよー」
佐藤の方は、まだ決定しなくても良いだろうと言うが、りょうは、この場に居ない誰かを待つつもりは無いらしい。
そして、彼女達は実際の所、気が長い性質では無いのである。待つ待たないで意見は確かに割れたが、
「次のねぐらです。街の近くが良い人は右手を、ちょっと離れた所が良い人は左手を上げてくださーい」
「はーい」
「はーい」
佐藤が右手、山田が左手を上げた。
佐藤が望むのは、生活の必需品を直ぐに強奪出来る位置である。対して山田は、安全を望んだ。気性の違いであった。
「……リーダー、割れたじゃん。待てば良かったんじゃね?」
「いや、ボスがまだ手ぇ上げてないよちゃんさと。……ボスはどっちがいいの?」
多数決の票は、まだ二票しか投げられていない。未開は残り一票である。
そして未開票の持ち主は、腕を組んで頭を軽く傾け、ん、と一音短く唸った。
「そーですね、自分としては――」
と言って、ハジメが左手を上げた時であった。
あけすけな足音が聞こえた。がらがらと、瓦礫を蹴り飛ばしながらの音である。佐藤の手が反射的に鉄パイプを掴んだ。
三人が、音の方角を見る。そこには、長身の女が立っていた。日焼けとは違う、生まれついて肌の浅黒い――きっと、日本でない国の生まれだろう。無造作に尻より長く伸ばした髪は、黒と緑の間の――がさつな髪型に合わず、心落ち着く見栄えであった。
そして、酷くねじくれた笑い方をしていた。他者への善意だとかそんなものが、丸ごと抜け落ちたような、暴力的で虚ろな笑い方であった。
「……んだ、てめぇは?」
真っ先に、佐藤がガンを飛ばした――昔に不良が良くやっていたような、斜め下から見上げるようなやり方だった。
女は、答える代わりに右手を上げた。毒々しい色の爪と、指輪でゴテゴテに飾られた手だ。そして、
「サンセイ!」
賛成と――佐藤の見解を支持する旨を示しながら、女はその手を振るった。
ごう、と音がした。佐藤が咄嗟に身を沈める。その髪が数本、女の手刀に切り裂かれて飛んだ。
「なっ――」
少女達三人は、いずれも場数を踏んでいる。それも、化け物相手の場数ではなく、人間を相手にしての、場数である。
空振りの一撃で、三人は理解した――あれが当たれは、体ごと佐藤は宙に舞っていたと。
「――っにをすんだコラァッ!!」
敵意には敵意を。佐藤は、女の腹目掛け、横薙ぎに鉄パイプを振るった。そして、それは容易く命中した。
命中して――女は、微動だにしなかった。
女の服装はなんといおうか、アオザイの裾を切って片足を露出させ、ズボンの代わりに黒のサイハイソックスを履いたような、そんな恰好である。ひらひらとした服は、女の豊満な体にぴたりと張り付いていて、防具を隠す余地など無いように見えた。
だが、女は平然と打撃を耐えた。腹を金属で打たれて、然し痺れたのは寧ろ佐藤の手であった。
「って……、はぁ!?」
「クリスタナ・ローケンっすか、あんた……」
ハジメが、拳を高く掲げてステップを踏み始めた。何が何だか分からないが、こいつは危険だと、直感的に判断していた。
「山田さん、そっちも!」
二人では手に余る、と見たのか。更なる加勢を、ハジメは募った。
「……山田さん?」
返事は無い。何やら嫌な予感がして、構えを解かぬまま、ハジメはそうっと視線を横へ動かすと、
「ヤバい、あいつはヤバいって、ヤバい!」
「ちょ、山田さ――おいこら、りょーう! Turn back 山田ァー!!」
当てにしていた筈のもう一人が、恐るべき健脚で遠ざかっていく所であった。
「りょーちんマジブルシットだし」
「Bullshitっすね全く……――」
貴重な戦力が一つ減ったのではあるが、追う訳にも行かない。そして――どういう事かは分からねども、目の前の女が、自分達に敵意を持っているのは確かであった。獣に食われるのを、良しとする少女達では無かった。
「――っしゃあっ!!」
だから、先手を打った。
左足を軸として大きく、時計回りに体を旋回させる。女に背を向けた所から右足を振り上げ――義足の踵を、女の鳩尾目掛けて振り抜く。多少鍛えた程度の兵士なら、一撃で悶絶させうる鋭さである。
「かっ、ッヒャヒャヒャハァ!!」
それも、女は軽く受けた。左の掌を、ぽんと合わせたのである。それでハジメが、前につんのめるように、何十センチも飛ばされた。
馬鹿げた怪力であった。同じ人の形をしているというのに、女は一歩も揺らがずそこに立っている。
「……ハジメちゃーん、ちょーっとあたしらヤバいんじゃね?」
「ヤバいかもっすね……挟みましょ、こいつ」
佐藤が、女の後ろに回った。ハジメは体勢を直して、またキックボクシングのような構えを取った。
女は構えない。両腕を体の横にぶら下げて、げたげたと笑っているばかりで――
「可哀想だなぁ、ガキ共。弱くて、腹を減らして、何もなくて」
獣の様に尖った歯を見せて、女は二人を哀れんだ。然しその目に、憐憫の情など微塵も浮かばない。有るのはただ、己より劣った存在を見下す愉悦だけで――
「あァ……!?」
「余計なお世話っすよ……」
反骨で生きる二人に、火が着いた。
一瞬ばかり視線を交錯させ、佐藤とハジメは同時に動く。まず、ハジメが高々と跳んだ。
ハジメは跳躍の勢いをそのまま、拳に乗せて女の鼻っ柱にぶつけようと――そんな素振りだけ見せて、何もせずに着地する。一度、女の前で地面に伏せるまで姿勢を沈めた。
「お……?」
また手で打撃を受けてやろうとしていた女は、虚を突かれ、気が緩む。それを見逃さず、佐藤が後ろから、女の頭目掛けて鉄パイプを振り下ろした。がつん、と鈍い音が響いた。
「痛ぇ! ……ッテメエ!」
「うぉっ、あーぶねっ!」
皮膚くらいは、やっと破けたらしい。濃緑の髪の中に赤い筋を垂らしながら、女は右で拳を握り込んで、背後を横薙ぎにぶんまわした。大木をさえ圧し折る、台風が如き裏拳であった。
佐藤はまた、身を沈めて躱す。獣というならばこちらも、獣性任せに暴れる少女である。勘と反射神経に任せ、今度は危なげ無く避けながら、女の顎の下に、横向きにした鉄パイプを押し込んだ。
「ハージメちゃーん!」
「はい、はい、はいよっ!」
佐藤が、女の喉を鉄パイプで押し込む。女は踏み止まって堪え――その膝裏をハジメが蹴り飛ばした。
どれ程の力があろうとも、足が地面に触れていなければ留まる事は出来ず――膝を蹴られて、女の足は強引に畳まれた。つまりは、体勢を崩した。
「せーのっ!!」
胸が天を向く程、女は体を反らされて――顔面へ、佐藤が肘を撃ち落とした。全く同時にハジメの義足の膝が、女の後頭部を撃ち抜いていた。二つの衝撃が女の頭蓋を、上下から叩き潰したのだ。
「け、はっ……!」
女はそのまま、仰向けに地面に落ちる。受け身も取れず、背中も頭も盛大に打ち付けて、地面に大の字に広がった。全く見事な連携であった。
ぐわっと目を見開いたままで伸びた女を、見下ろす二人はやっとの思いで深呼吸を一度した。思っていた以上に精神を消耗していた――と、言わざるを得ない。
「……はぁ……佐藤さん、怪我はねーっすか?」
「当たってねえから大丈夫……なんだろねこいつ、うっぜぇ」
仰向けに倒れた女の顔を、佐藤は無遠慮に踏みつけた。肝を冷やされた意趣返しである。ハジメは止める事も無く見ていた――止めるような事でも無かったからだ。
その後、周囲を見た。全速力で逃げていった彼女達の相方は、本当に影も形も見えないのであった。
「で、佐藤さん。山田さんどーしましょーね」
「ほっときゃ帰ってくんじゃね? それより、こいつなんか指輪してんじゃん、剥ぎ取って――っ、痛っ……!」
追剥の算段を立て始めた頃――二人が女の頭を手酷く打ち据えて、一分も経過はしていない。佐藤は、右足首に刺すような痛みを感じ、思わず叫んだ。
女が、化け物じみた握力で、佐藤の足を掴んでいた。
「てっめぇ……!」
「ヒ、ハ、ヒャッハハハハハハハァ!!」
女はけたたましく笑い、立ち上がった。左手で軽々と、佐藤を逆さづりにしていた。
頭部へ集中的に打撃を受けて、倒れたばかりとは思えない怪力である。既に目の焦点は定まり、足元にも揺らぎは見えない。完全に、回復していた。
「佐藤さん!!」
ハジメが、女の目を狙って爪先蹴りを放った。打点の高い蹴りである。女は容易くそれを掴み――腕を振り上げた。ハジメの体が鞭のように、高く宙に跳ね上がった。
そして、手を放す。落下するハジメの体を、両腕を体に沿わせた形で、女は右腕一本で抱きかかえた――正確に言うと、右腕一本で胴絞めを敢行した。
続けて、佐藤も同じ様に投げ上げ、こちらは左腕で抱き絞める。両腕を内側に封じたのは、目や耳を狙われないようにする為であった。
ベアハッグ――そういう技が有る。本来ならば両腕で、相手一人を締め上げる。そも、両腕を使わねば、人体一つを押し潰すなど不可能だし、片腕で人間を浮かせ続けるのも、まず出来はしないのだ。
だが、女は易々と、片腕で一人を浮かせ、
「ぎっ……!? っ、か、が……!」
「ぐ、ぅ……リ、だ……ぁが、っ!?」
容易く、骨を軋ませた。
肉と骨の外側から、肺を圧迫し、呼吸系を潰す。これほどに単純な技は無いが、力で勝るものが仕掛けた場合、この技は決して外れない。そして――外さなければ、窒息し、死に至る。
女は空虚な笑みを浮かべたまま、腕の力を強め続けた。餓えた獣の笑みだった。腹を満たす為に、一人や二人を殺す程度の事、何とも思わぬ獣の、寂しく凄絶な笑みであった。
少女二人の意識が遠のき始める。肋が、背骨が、軋み叫んだ。このまま死ぬのではないかとさえ、二人は思った。
「ヒャッハッハッハッハ――ァ、ッハア!」
然し――だが、然し。それ以上の底冷えする恐怖を、女は感じた。両腕に捉えた獲物を投げ捨てながら、女は地面にべたりと手を触れさせてしゃがむ。銃声が聞こえたのは、それよりほんの僅か――瞬き一つの差も無い、後の事であった。
廃墟の壁を削って、9mm弾が瓦礫に紛れる。女が屈まなければ、間違いなく後頭部から、眉間を真っ直ぐ撃ち抜く軌道であった。
「……なんだてめーら、もう一匹居やがったのか?」
この期に及んでも、女に浮かぶのは怒りでなく、哀れみを乗せた笑みである。いや――寧ろ、殊更に相手を哀れみたいという、願望を乗せた笑みであった。群れる事にさえ憧れを持つかのように、群れる弱さを嘲笑った。
振り返った先には、もう一人、少女が立っていた。先程、一人で逃げた少女とはまた別である。
女程では無いが、こちらも背が高かった。他の少女達に比べて大人びた顔立ちだが、それは大陸の――ロシアの血が、半分程流れているからであった。豊満な事は、女と張り合う程で、然し色気の無いジャージ姿である。
そんな少女が、右手に拳銃を、左手にはバールを構えていた。そして、それが妙に、堂に入っていた。
「ハジメ、佐藤……塚川が二人マモル! Не двигайтесь!」
「……群れなきゃ死ぬんだよなぁ、可哀想になぁ……?」
銃口を向けられた事に、女は怯えていなかった。寧ろ、それもまた哀れむ理由となるからか、笑顔の狂気が増した。そして、目の前に立つ顔目掛け、真っ直ぐに右拳を突き出した。
少女は、左腕全体をしなるように振るって、拳の側面を叩きながら、自分自身は女の拳と反対側に逃れる。
柄川と名乗った少女は、明らかに訓練を受けた動きをしていた。回避を行いながら、既に右手に持つ拳銃は、女の頭に向けられていた。
銃声。十数m先で瓦礫が割れる。
女は射線から頭を逸らしていた――首を横へ傾けるという、常軌を逸した回避方法である。音を超える速度の弾丸は、通過する周囲――つまり女の頭部の付近に衝撃を撒き散らす。弾丸が至近距離を通過すると、棍棒で殴られような衝撃が襲うというが、その衝撃を受けてさえ、女は自分の足で立っていた。
もう一つ、銃声。地面が抉れた。今度は女が、掌で銃身を押し下げ、射線そのものを曲げて避けていた。
然し塚川も、本質は打撃戦を得意とする者である。拳銃は飽く迄、〝致命傷を警戒させる〟武器である。事実、化け物じみたタフさの女でさえが、銃口を避ける為に片手を費やした。
空隙に、塚川はバールを振り抜く。女の右側頭部、こめかみを打った。女は倒れない。
往復させ、左側頭部へ一撃。それでも、女は崩れない。
手元で短く持ちかえて喉元への突き――やっと、女は動いた。左手で、張り手の様に、塚川の胸を打った。
「エグッ……!」
そのたった一打で、塚川の体はボールのように吹っ飛んだ。瓦礫の少しうずたかくなっている所に、背中から突っ込んでいた。
塚川の手に有った拳銃は、打の瞬間、女の右手に奪い取られている。女はまじまじと、グリップやら銃身やらを見て、
「やっすいやっすいボロ銃だなぁ? 土曜の夜に流行りの、可哀想な可哀想な安物だ、ヒャッハハハハ!」
銃身を、片手で握り潰した。
銃は、剣に取って変わった武力の象徴である。一個人が携行し得る、最も現実的な〝力〟である。それを女は、容易く握りつぶしたのである。
この女には、兎角、通じる〝技〟が何も無い。凶器も連携も、軍隊としての訓練でさえ、意味が無い。少女達は漸く――遅かったかも知れないが、此処で初めて、気付いたのであった。
「おい、ガキ共。これで終わりか? あ? 次の芸は何だ? 撃ってみろ、殴りかかってみろ!
それとも、もう何も出来ねえかぁ……ああ、可哀想だ、可哀想だなぁ!」
げたげたと、女は勝ち誇った。この世に、己に勝る者など居ないと信じるかの如き不遜であった。
「……オイ、バカ女」
「あ?」
その不遜を呼び咎めたのは、未だに立ち上がれぬ塚川である。胸骨に罅でも入ったらしかったが、女に負けず不遜な笑みをしていた。それが、女には面白くない。
「佐藤、佐藤、アレ見テ」
「あぁ……? 塚川氏の癖に生意――っ、て」
塚川は、女の右手の方向を指さした。ベアハッグから解放されて、ようやっと呼吸が落ち着いた佐藤が、指に従ってそちらを見た。
「……? てめぇら何やってんだ……?」
「ハジメ、ハジメ」
女が、怪訝な顔をして問う。塚川は何も答えず、もう一人倒れていたハジメの名を呼ぶ。
「ぅげっほ、ぐえっほ……ぉ、おー……おー?」
するとハジメも佐藤と同じように、指の差す方を見るのである。
そして、佐藤とハジメと、二人して何か、関心したような顔で頷く。
「……?」
だから、女もつられてそちらを見た――が、何も無かった。廃墟に差す日が傾いている程度で、特に見所も無い景色である。
何が有ったのか、とんと分からぬという顔で、女が塚川に視線を戻した時――女の視界の左端で、つまり先程まで背を向けていた方で、何か動くものが見えた。恐ろしい勢いで近づいているようであった。見ようと、女が身体を半分も動かす前に――大型の二輪自動車が、ブレーキを一切踏まず、女の体にぶちかましを決めていた。
人体と車両の衝突事故としても、異常な激突音であった。女の体は十m以上も飛んで、瓦礫の上に落ちて、更に数mも転がってやっと止まる。激突した二輪も、最大速度から静止するまで、数十mは減速区間を設けねばならない程であった。時速100km以上は、軽く出していたらしかった。
「ぉぉおー……飛んだっすねぇ」
「人間って飛ぶんだな……あたし、初めて見た気がするわ」
「塚川モ、初メテダナ」
滅多に見られぬ光景を目の当たりにした三人は、まずは律儀に驚愕を終えてから、
「で……おたく、罪状は車両盗難と?」
「ノーヘルじゃーん。あとライトも付けてないし、スピード出し過ぎ、マジぱねーわ」
「危険運転ダナ、轢イタ。免許停止」
「大丈夫ー、りょう免許なんか持ってなーい」
ぽんぽんと飛び出す軽口を、一番小柄な少女が、してやったりという顔で受け取る。
俗にナナハンとも呼ばれる大型バイクを走らせて来たのは、真っ先に逃げ出した山田りょうであった。
何処から盗んできたものやら、滅多に見られぬ高級車両である。このご時世、傷物になっているのは仕方が無い事だが、たった今の激突事故で、その美しいフォルムは歪に加工されていた。
「で、山田さん、佐藤さん。こいつをどーしましょーかね」
「ハジメ、ドウシテ塚川呼バナイ?」
「……塚川氏も、どうします?」
今度こそ、潰れた蛙のような恰好になっている女に、迂闊に近づく者は居なかった。
一人名を呼ばれず、一番大人びた容姿で、子供のように拗ねる塚川を適当に宥め、ハジメが平常の苦労人顔で言う。佐藤は答えを待つより先に、近くの瓦礫の中から、コンクリートが欠けて鋭くなった部分を探していた。
「ちょ、ちゃんさと、止めって、ヤバいって」
「なんでだよりょーちん、良いじゃんよやり返すくらいよー」
それを、珍しく必死に止めたのが山田だった。普段はひょうひょうとしているのだが、この日はやけに真面目顔である。そういえば、女が現れた時も、随分躊躇なく逃げていた。何か有るのかと、残る三人が口を閉ざすと、
「だって、こいつは――」
「……ッヒ、ヒヒハ、ヒャッハハハハッハハハ……!」
女は、先の悪夢を連想させるように笑って体を起こした。
いい加減、少女達も驚くのに疲れた様子である。四人を代表して嘆息するのは、リーダーであるハジメの仕事らしく、
「……マジこの人T-X」
「ターミネーターじゃねえよアタシは。てめぇらガキ共じゃ知らねえんだろうが、アタシは――」
まだ痛みの残る体を引きずり、女の前まで歩いていった。
女は体を起こしているが、流石に大型二輪の直撃は答えたのか、立ち上がるまでには至らない。ゲタゲタ笑っているのは同じだが、
「――アタシはドゥ・エィ、てめえらみてえな死んでも構わねえクソガキ共を探してたんだよ」
「おいこら。また轢くぞ? りょーちんが」
「ソウダゾ、山田ガ轢クゾ」
「何タメで呼んでんのジュース買ってこいよ塚川氏」
少なくとも、この瞬間の交戦の意図は消えたらしい――そういう臭いには敏感なのが、この少女達である。凶器を振り回す代わりに、悪態を投げての牽制に留めた。
女は――エィは、鋭利な歯の間から、やけに長い舌を出して、額から流れた血を舐める。唇の周りだけを拭い終えてから、豊かな胸の間に手を差し入れた――ポケットの少ない服なのだ。
「おい。てめぇらん中で、一番、算数が出来るのは誰だ?」
「んー? りょうがねー、方程式くらいは出来るよー」
「方程式!? てめぇ、数学者か!?」
「あーはいはい山田さんちょっと引っ込んでてね失礼」
場を混ぜっ返そうとする山田を押しのけ、ハジメがエィの問いに答えて手を上げる。するとエィは、胸の間から引き出した、小さな封筒を、ハジメの手に押し付けた。
「……うっわ、酷え字」
「アタシが書いたんじゃねぇよ、日本語なんか書けねえし」
封筒を開き、ハジメは中の文章に目を通す。読みづらい文字だが、日本語で綴られた書面であった。
内容は、誰に渡したとしても通じるように、主語を『貴女』としている、所々文法がおかしな部分もあるものだ。だが、読み進むにつれて、ハジメに残った一つの目が、ぐうと絞られて、鋭さを帯びた。
「おいおいおいハジメちゃーん、あたしらそっちのけでお手紙読むとか無いんじゃなーいのー?」
「そうだよボス、ずるーい。りょう達にも読ませてー」
「あー……読んでも良いっすけど、こういう事、あんた達は面倒がらないっすかね」
書面の内容を端的に示せば、資金と装備の提供申し出であった。
銃器弾薬は言うに及ばず、防弾チョッキや軍用ブーツ、望むならばポーチやザイルまで。食糧も、多岐多用とは言わないが、携帯食料やら缶詰やらあれこれと用意できる様子であるし、毛布や衣類なども、また然りである。
無論、ただでは無い。無いのだが――提供条件は、酷く安いものであった。
「近々、パーティーみてえなものがあるんだとよ。アタシも呼ばれてんだが、厄介な蛇女が、多分出てくる。それをぶっ殺しちまって欲しいんだよ、分かるか?」
「蛇女……たまーに噂は聞くっすね……」
「あぁ? なーんだ、たったそれだけの事かよ、楽勝じゃん!」
佐藤は、端から乗り気である。退屈をしないで済むと踏めば、危険に首を突っ込むのが彼女だ。
いや――もしかすると彼女達全員、大小の違いはあれど、そういう傾向は持っているのかも知れない。
何故と、聞かなかった。条件を聞いて、殺せと言われて、躊躇う事も無かった。
「……前金、貰えるんっすよね。バギーとマシンガンと、一通りそろえて貰わないと、政府相手は無理っすよ」
そう言われた時には、女はまた、胸のふくらみの間に指を差し入れていた。よくも隠せるものだと、ハジメは呆れて息を吐く。そうして俯いた時、その視線の先に、白い粉末の入った、袋を幾つか投げ渡された。
「十倍に薄めて丁度良い。武器庫とか管理してる奴によぉ、安く売り付けて、代金代わりに銃でも何でも分捕ればいいんじゃねーの? ベトナムからこっちに、車だの銃だの、持ってくるのも面倒なんだよ……こいつなら、キロ単位で有るけどよ」
「……流行りのアレっすか。オーバードーズで良く壊れるって、評判わりーっすよ」
不平を述べながら、ハジメはそれを受け取った。
相手は裏切るとの前提で考えたとて――まず、この薬を、政府指揮下の兵士に売り捌けば、それだけである程度以上の金になる。義足を外し、哀れな難民を気取って街に入れば、合法的に冬を越すだけの装備は得られるだろう。
仮に〝蛇女〟とやらを殺しに行かないで、それで縁が切れたとして、不味い話では無い。実際に殺しに行って、それで約束の物が手に入らないとしても――別に、愉悦は満たされているだろうから、それはそれで良いのだ。
元より、利益の為に集まった四人では無かった。他に、良く生きる道が開いていなかっただけだ。彼女達に正義が有るなら、それは楽しむ事であった。
「……佐藤さん、山田さん、塚川氏。冬は街で越しましょう。反対は?」
「無えな」
「広いお部屋がいーなー、りょうが一部屋でー、ボスとちゃんさとと塚川氏で一つの二部屋ー」
「ミンナ! ミンナデ一緒ニ、同ジ部屋デ!」
秋から冬を越し、春が空に定着するまでの間――合法的に、心地良い宿は得られるかも知れない。
そう思えば、拠点に縛られる不自由も、決して悪いものではなかった。
自由は常に、少女達の胸中に有る。飽きればそこを去るだけだ。
「ヒャッハッハッハ! てめぇらやっぱりクソだ、クソガキだな! クソみてえに死ぬんだろうな、可哀想に! ヒャーッハッハッハッハハハハハ――」
日が傾いて、もう夜であった。南越の大蛙がゲタゲタと鳴く声が、乾ききった廃墟に響く。暴力に満ちた女は、暴力を楽しむ少女達を、好感情だとかそんな領域ではないものの、これでも並々ならず気に入っていたのであった。
瓦礫を椅子にして三人、いずれも劣らず、危険な臭いの染みついた面構えをしている。街で誰かと擦れ違う際に、目を逸らされる類の気配である。
凶暴な顔、というのでも無い。いや、一人はその表現に該当するかも知れないが、彼女の場合、問題は奇抜な髪の色と巨大なサングラスであって、素顔は整っている部類である。
服装はと言えば、既に廃れた女学生風で、着崩し方まで堂に入っている。肩に担いだ鉄パイプは、酷く雑に使っていると見えて、歪み、曲がっていた。
「あー、退屈退屈退屈。ちょっとリーダー、あたしの為に漫画買ってきてよ漫画」
「10km四方に売って無いっすよ佐藤さん」
「じゃあ20km四方探し回ればいーんじゃん?」
「んな無茶な」
リーダーと呼んではいるが、見事に敬意の見えない口調で、サングラスの少女は退屈を叫ぶ。
佐藤と呼ばれたが、これは彼女の本名では無い。本名は、何が気に入らぬのか、兎角語らぬのだ。この〝佐藤〟という名さえ、飽きたら投げ捨てるのかも知れないが、今の彼女は〝佐藤〟であった。
「もっと自分を気遣って欲しいもんですよ。ねぇ、山田さん」
「んー。あ、ごめーん、聞いてなかったー。りょう知らなーい」
「……Bullshit!」
さて、残り二人の内、片方に目を向けてみれば、いかつい眼帯がまず目立つ。それさえ除けば、少年的な顔立ちの――少女に用いるのもおかしいが、中々のハンサムであった。然し、どうにも苦労人の相が浮いているように見えるのは、二人の悪友が、友人思いとは呼び難いからであろう。
右目は、眼帯で覆われている。何も見えないだろうが、事実、視力は無い。そして、右脚も無い――代わりに義足を付けている。何で出来ているかは分からぬが、透明の、そして頑丈な素材である。瓦礫の上を跳んで跳ねて、壊れもしない義足だ。寧ろ本来の脚より、使い勝手はよいのかも知れなかった。
「ちゃんさと、音ちっちゃくして。それ煩い」
「あー? あんだよ、ギャンギャン来てんのに……」
何処でかっぱらって来たか、上質のステレオが、ヘビィメタルを爆音で奏でている。電源はこれも盗難の憂き目に遭った自動車で、エンジンから電気を引いていた。
脳髄を掻き回すようなグロウルは、男のいない世界で疑似的にでも多様性を生むものであるが、音量が気に入らぬという声も出た。クレームを付けた当の本人は、積み上がった漫画をぱらぱらと捲って、時間を無為に潰していた。
「これもう飽きたー。他の無いのー?」
「ねぇよ、りょーちん自分で盗ってくればいいじゃん」
佐藤にあしらわれている少女は、ぶうと頬を膨れさせた。どうにも彼女は、自分の顔が可愛らしいのを熟知しているようである。
とは言っても、化粧で飾っているだとか、そういう事は無い。むしろ眉も特に手入れせず、そばかすも隠さずの無頓着ぶりであった。然し彼女の場合、自分は無頓着な方が良いと、何か悟っている風でもあった。
表情を豊かにころころ変えて、時折はぶうたれてみたり、猫なで声を出してみたり――端的に言うと〝あざとい〟のだが、対面してみるとそのあざとさが、鼻につく者つかない者ではっきりと割れる。そして初対面の人間は、どうしてか、殆どが後者であるのだ。山田りょうは、兎角奇妙に、人を安心させる容貌であった。
「はぁ……あんた達、ほんと自分に手厳しいですよね。何? 自分下っ端ですか? 下っ端なの?」
「リーダーはリーダーじゃん。リーダー、あたしそろそろ新しい服が欲しい」
「うん、ボスはボスじゃんねー。ボスー、りょうはドラムが静かなCD欲しいー」
「だから自分はパシリじゃねえっての、怒るよ。……でも確かに、新しいねぐらも欲しいんすよねぇ……」
さて、季節は秋であった。北から吹き下ろす風が、日に日に寒さを増している。そろそろ焚火で夜を過ごすのは、難しくなってくる頃合いであった。
幾つか拠点は持っていた。その内の半分程は、〝人間のなれの果ての化け物〟の巣になったり、政府の人間が集団で踏みつぶしたり、様々である。
せめて雪を防げる屋根と、風を防ぐ壁が欲しい。その上で、布団を敷く為の平らな床があればなおさら良かった。
盗難車を置いておける車庫などあれば、何年でも居座りたい程であった。
実際には、そんな理想的な環境は滅多に無い。壁はどこか穴が空いているし、ガラスが殆ど割れてて内部は風に吹き曝し。コンクリート片や欠けた蛍光灯で、横になるばかりか歩くのも危険な、そんな廃墟ばかりなのだ。
ちなみに、今、彼女達が拠点としてたむろしているのは、屋根も壁も無い、ただの休憩地点である。流石にこの環境、ここで夜を過ごす訳にはいかなかった。
「んじゃあ、多数決を取りまーす」
「リーダー、リーダー、一人足んない。塚川氏いない」
この先、どうするのか。リーダーと呼ばれながらあまり敬意を払われていない少女、一文字ハジメが二人に問う。
「いいじゃん、塚川氏いると偶数人だし。決めちゃおうよー」
佐藤の方は、まだ決定しなくても良いだろうと言うが、りょうは、この場に居ない誰かを待つつもりは無いらしい。
そして、彼女達は実際の所、気が長い性質では無いのである。待つ待たないで意見は確かに割れたが、
「次のねぐらです。街の近くが良い人は右手を、ちょっと離れた所が良い人は左手を上げてくださーい」
「はーい」
「はーい」
佐藤が右手、山田が左手を上げた。
佐藤が望むのは、生活の必需品を直ぐに強奪出来る位置である。対して山田は、安全を望んだ。気性の違いであった。
「……リーダー、割れたじゃん。待てば良かったんじゃね?」
「いや、ボスがまだ手ぇ上げてないよちゃんさと。……ボスはどっちがいいの?」
多数決の票は、まだ二票しか投げられていない。未開は残り一票である。
そして未開票の持ち主は、腕を組んで頭を軽く傾け、ん、と一音短く唸った。
「そーですね、自分としては――」
と言って、ハジメが左手を上げた時であった。
あけすけな足音が聞こえた。がらがらと、瓦礫を蹴り飛ばしながらの音である。佐藤の手が反射的に鉄パイプを掴んだ。
三人が、音の方角を見る。そこには、長身の女が立っていた。日焼けとは違う、生まれついて肌の浅黒い――きっと、日本でない国の生まれだろう。無造作に尻より長く伸ばした髪は、黒と緑の間の――がさつな髪型に合わず、心落ち着く見栄えであった。
そして、酷くねじくれた笑い方をしていた。他者への善意だとかそんなものが、丸ごと抜け落ちたような、暴力的で虚ろな笑い方であった。
「……んだ、てめぇは?」
真っ先に、佐藤がガンを飛ばした――昔に不良が良くやっていたような、斜め下から見上げるようなやり方だった。
女は、答える代わりに右手を上げた。毒々しい色の爪と、指輪でゴテゴテに飾られた手だ。そして、
「サンセイ!」
賛成と――佐藤の見解を支持する旨を示しながら、女はその手を振るった。
ごう、と音がした。佐藤が咄嗟に身を沈める。その髪が数本、女の手刀に切り裂かれて飛んだ。
「なっ――」
少女達三人は、いずれも場数を踏んでいる。それも、化け物相手の場数ではなく、人間を相手にしての、場数である。
空振りの一撃で、三人は理解した――あれが当たれは、体ごと佐藤は宙に舞っていたと。
「――っにをすんだコラァッ!!」
敵意には敵意を。佐藤は、女の腹目掛け、横薙ぎに鉄パイプを振るった。そして、それは容易く命中した。
命中して――女は、微動だにしなかった。
女の服装はなんといおうか、アオザイの裾を切って片足を露出させ、ズボンの代わりに黒のサイハイソックスを履いたような、そんな恰好である。ひらひらとした服は、女の豊満な体にぴたりと張り付いていて、防具を隠す余地など無いように見えた。
だが、女は平然と打撃を耐えた。腹を金属で打たれて、然し痺れたのは寧ろ佐藤の手であった。
「って……、はぁ!?」
「クリスタナ・ローケンっすか、あんた……」
ハジメが、拳を高く掲げてステップを踏み始めた。何が何だか分からないが、こいつは危険だと、直感的に判断していた。
「山田さん、そっちも!」
二人では手に余る、と見たのか。更なる加勢を、ハジメは募った。
「……山田さん?」
返事は無い。何やら嫌な予感がして、構えを解かぬまま、ハジメはそうっと視線を横へ動かすと、
「ヤバい、あいつはヤバいって、ヤバい!」
「ちょ、山田さ――おいこら、りょーう! Turn back 山田ァー!!」
当てにしていた筈のもう一人が、恐るべき健脚で遠ざかっていく所であった。
「りょーちんマジブルシットだし」
「Bullshitっすね全く……――」
貴重な戦力が一つ減ったのではあるが、追う訳にも行かない。そして――どういう事かは分からねども、目の前の女が、自分達に敵意を持っているのは確かであった。獣に食われるのを、良しとする少女達では無かった。
「――っしゃあっ!!」
だから、先手を打った。
左足を軸として大きく、時計回りに体を旋回させる。女に背を向けた所から右足を振り上げ――義足の踵を、女の鳩尾目掛けて振り抜く。多少鍛えた程度の兵士なら、一撃で悶絶させうる鋭さである。
「かっ、ッヒャヒャヒャハァ!!」
それも、女は軽く受けた。左の掌を、ぽんと合わせたのである。それでハジメが、前につんのめるように、何十センチも飛ばされた。
馬鹿げた怪力であった。同じ人の形をしているというのに、女は一歩も揺らがずそこに立っている。
「……ハジメちゃーん、ちょーっとあたしらヤバいんじゃね?」
「ヤバいかもっすね……挟みましょ、こいつ」
佐藤が、女の後ろに回った。ハジメは体勢を直して、またキックボクシングのような構えを取った。
女は構えない。両腕を体の横にぶら下げて、げたげたと笑っているばかりで――
「可哀想だなぁ、ガキ共。弱くて、腹を減らして、何もなくて」
獣の様に尖った歯を見せて、女は二人を哀れんだ。然しその目に、憐憫の情など微塵も浮かばない。有るのはただ、己より劣った存在を見下す愉悦だけで――
「あァ……!?」
「余計なお世話っすよ……」
反骨で生きる二人に、火が着いた。
一瞬ばかり視線を交錯させ、佐藤とハジメは同時に動く。まず、ハジメが高々と跳んだ。
ハジメは跳躍の勢いをそのまま、拳に乗せて女の鼻っ柱にぶつけようと――そんな素振りだけ見せて、何もせずに着地する。一度、女の前で地面に伏せるまで姿勢を沈めた。
「お……?」
また手で打撃を受けてやろうとしていた女は、虚を突かれ、気が緩む。それを見逃さず、佐藤が後ろから、女の頭目掛けて鉄パイプを振り下ろした。がつん、と鈍い音が響いた。
「痛ぇ! ……ッテメエ!」
「うぉっ、あーぶねっ!」
皮膚くらいは、やっと破けたらしい。濃緑の髪の中に赤い筋を垂らしながら、女は右で拳を握り込んで、背後を横薙ぎにぶんまわした。大木をさえ圧し折る、台風が如き裏拳であった。
佐藤はまた、身を沈めて躱す。獣というならばこちらも、獣性任せに暴れる少女である。勘と反射神経に任せ、今度は危なげ無く避けながら、女の顎の下に、横向きにした鉄パイプを押し込んだ。
「ハージメちゃーん!」
「はい、はい、はいよっ!」
佐藤が、女の喉を鉄パイプで押し込む。女は踏み止まって堪え――その膝裏をハジメが蹴り飛ばした。
どれ程の力があろうとも、足が地面に触れていなければ留まる事は出来ず――膝を蹴られて、女の足は強引に畳まれた。つまりは、体勢を崩した。
「せーのっ!!」
胸が天を向く程、女は体を反らされて――顔面へ、佐藤が肘を撃ち落とした。全く同時にハジメの義足の膝が、女の後頭部を撃ち抜いていた。二つの衝撃が女の頭蓋を、上下から叩き潰したのだ。
「け、はっ……!」
女はそのまま、仰向けに地面に落ちる。受け身も取れず、背中も頭も盛大に打ち付けて、地面に大の字に広がった。全く見事な連携であった。
ぐわっと目を見開いたままで伸びた女を、見下ろす二人はやっとの思いで深呼吸を一度した。思っていた以上に精神を消耗していた――と、言わざるを得ない。
「……はぁ……佐藤さん、怪我はねーっすか?」
「当たってねえから大丈夫……なんだろねこいつ、うっぜぇ」
仰向けに倒れた女の顔を、佐藤は無遠慮に踏みつけた。肝を冷やされた意趣返しである。ハジメは止める事も無く見ていた――止めるような事でも無かったからだ。
その後、周囲を見た。全速力で逃げていった彼女達の相方は、本当に影も形も見えないのであった。
「で、佐藤さん。山田さんどーしましょーね」
「ほっときゃ帰ってくんじゃね? それより、こいつなんか指輪してんじゃん、剥ぎ取って――っ、痛っ……!」
追剥の算段を立て始めた頃――二人が女の頭を手酷く打ち据えて、一分も経過はしていない。佐藤は、右足首に刺すような痛みを感じ、思わず叫んだ。
女が、化け物じみた握力で、佐藤の足を掴んでいた。
「てっめぇ……!」
「ヒ、ハ、ヒャッハハハハハハハァ!!」
女はけたたましく笑い、立ち上がった。左手で軽々と、佐藤を逆さづりにしていた。
頭部へ集中的に打撃を受けて、倒れたばかりとは思えない怪力である。既に目の焦点は定まり、足元にも揺らぎは見えない。完全に、回復していた。
「佐藤さん!!」
ハジメが、女の目を狙って爪先蹴りを放った。打点の高い蹴りである。女は容易くそれを掴み――腕を振り上げた。ハジメの体が鞭のように、高く宙に跳ね上がった。
そして、手を放す。落下するハジメの体を、両腕を体に沿わせた形で、女は右腕一本で抱きかかえた――正確に言うと、右腕一本で胴絞めを敢行した。
続けて、佐藤も同じ様に投げ上げ、こちらは左腕で抱き絞める。両腕を内側に封じたのは、目や耳を狙われないようにする為であった。
ベアハッグ――そういう技が有る。本来ならば両腕で、相手一人を締め上げる。そも、両腕を使わねば、人体一つを押し潰すなど不可能だし、片腕で人間を浮かせ続けるのも、まず出来はしないのだ。
だが、女は易々と、片腕で一人を浮かせ、
「ぎっ……!? っ、か、が……!」
「ぐ、ぅ……リ、だ……ぁが、っ!?」
容易く、骨を軋ませた。
肉と骨の外側から、肺を圧迫し、呼吸系を潰す。これほどに単純な技は無いが、力で勝るものが仕掛けた場合、この技は決して外れない。そして――外さなければ、窒息し、死に至る。
女は空虚な笑みを浮かべたまま、腕の力を強め続けた。餓えた獣の笑みだった。腹を満たす為に、一人や二人を殺す程度の事、何とも思わぬ獣の、寂しく凄絶な笑みであった。
少女二人の意識が遠のき始める。肋が、背骨が、軋み叫んだ。このまま死ぬのではないかとさえ、二人は思った。
「ヒャッハッハッハッハ――ァ、ッハア!」
然し――だが、然し。それ以上の底冷えする恐怖を、女は感じた。両腕に捉えた獲物を投げ捨てながら、女は地面にべたりと手を触れさせてしゃがむ。銃声が聞こえたのは、それよりほんの僅か――瞬き一つの差も無い、後の事であった。
廃墟の壁を削って、9mm弾が瓦礫に紛れる。女が屈まなければ、間違いなく後頭部から、眉間を真っ直ぐ撃ち抜く軌道であった。
「……なんだてめーら、もう一匹居やがったのか?」
この期に及んでも、女に浮かぶのは怒りでなく、哀れみを乗せた笑みである。いや――寧ろ、殊更に相手を哀れみたいという、願望を乗せた笑みであった。群れる事にさえ憧れを持つかのように、群れる弱さを嘲笑った。
振り返った先には、もう一人、少女が立っていた。先程、一人で逃げた少女とはまた別である。
女程では無いが、こちらも背が高かった。他の少女達に比べて大人びた顔立ちだが、それは大陸の――ロシアの血が、半分程流れているからであった。豊満な事は、女と張り合う程で、然し色気の無いジャージ姿である。
そんな少女が、右手に拳銃を、左手にはバールを構えていた。そして、それが妙に、堂に入っていた。
「ハジメ、佐藤……塚川が二人マモル! Не двигайтесь!」
「……群れなきゃ死ぬんだよなぁ、可哀想になぁ……?」
銃口を向けられた事に、女は怯えていなかった。寧ろ、それもまた哀れむ理由となるからか、笑顔の狂気が増した。そして、目の前に立つ顔目掛け、真っ直ぐに右拳を突き出した。
少女は、左腕全体をしなるように振るって、拳の側面を叩きながら、自分自身は女の拳と反対側に逃れる。
柄川と名乗った少女は、明らかに訓練を受けた動きをしていた。回避を行いながら、既に右手に持つ拳銃は、女の頭に向けられていた。
銃声。十数m先で瓦礫が割れる。
女は射線から頭を逸らしていた――首を横へ傾けるという、常軌を逸した回避方法である。音を超える速度の弾丸は、通過する周囲――つまり女の頭部の付近に衝撃を撒き散らす。弾丸が至近距離を通過すると、棍棒で殴られような衝撃が襲うというが、その衝撃を受けてさえ、女は自分の足で立っていた。
もう一つ、銃声。地面が抉れた。今度は女が、掌で銃身を押し下げ、射線そのものを曲げて避けていた。
然し塚川も、本質は打撃戦を得意とする者である。拳銃は飽く迄、〝致命傷を警戒させる〟武器である。事実、化け物じみたタフさの女でさえが、銃口を避ける為に片手を費やした。
空隙に、塚川はバールを振り抜く。女の右側頭部、こめかみを打った。女は倒れない。
往復させ、左側頭部へ一撃。それでも、女は崩れない。
手元で短く持ちかえて喉元への突き――やっと、女は動いた。左手で、張り手の様に、塚川の胸を打った。
「エグッ……!」
そのたった一打で、塚川の体はボールのように吹っ飛んだ。瓦礫の少しうずたかくなっている所に、背中から突っ込んでいた。
塚川の手に有った拳銃は、打の瞬間、女の右手に奪い取られている。女はまじまじと、グリップやら銃身やらを見て、
「やっすいやっすいボロ銃だなぁ? 土曜の夜に流行りの、可哀想な可哀想な安物だ、ヒャッハハハハ!」
銃身を、片手で握り潰した。
銃は、剣に取って変わった武力の象徴である。一個人が携行し得る、最も現実的な〝力〟である。それを女は、容易く握りつぶしたのである。
この女には、兎角、通じる〝技〟が何も無い。凶器も連携も、軍隊としての訓練でさえ、意味が無い。少女達は漸く――遅かったかも知れないが、此処で初めて、気付いたのであった。
「おい、ガキ共。これで終わりか? あ? 次の芸は何だ? 撃ってみろ、殴りかかってみろ!
それとも、もう何も出来ねえかぁ……ああ、可哀想だ、可哀想だなぁ!」
げたげたと、女は勝ち誇った。この世に、己に勝る者など居ないと信じるかの如き不遜であった。
「……オイ、バカ女」
「あ?」
その不遜を呼び咎めたのは、未だに立ち上がれぬ塚川である。胸骨に罅でも入ったらしかったが、女に負けず不遜な笑みをしていた。それが、女には面白くない。
「佐藤、佐藤、アレ見テ」
「あぁ……? 塚川氏の癖に生意――っ、て」
塚川は、女の右手の方向を指さした。ベアハッグから解放されて、ようやっと呼吸が落ち着いた佐藤が、指に従ってそちらを見た。
「……? てめぇら何やってんだ……?」
「ハジメ、ハジメ」
女が、怪訝な顔をして問う。塚川は何も答えず、もう一人倒れていたハジメの名を呼ぶ。
「ぅげっほ、ぐえっほ……ぉ、おー……おー?」
するとハジメも佐藤と同じように、指の差す方を見るのである。
そして、佐藤とハジメと、二人して何か、関心したような顔で頷く。
「……?」
だから、女もつられてそちらを見た――が、何も無かった。廃墟に差す日が傾いている程度で、特に見所も無い景色である。
何が有ったのか、とんと分からぬという顔で、女が塚川に視線を戻した時――女の視界の左端で、つまり先程まで背を向けていた方で、何か動くものが見えた。恐ろしい勢いで近づいているようであった。見ようと、女が身体を半分も動かす前に――大型の二輪自動車が、ブレーキを一切踏まず、女の体にぶちかましを決めていた。
人体と車両の衝突事故としても、異常な激突音であった。女の体は十m以上も飛んで、瓦礫の上に落ちて、更に数mも転がってやっと止まる。激突した二輪も、最大速度から静止するまで、数十mは減速区間を設けねばならない程であった。時速100km以上は、軽く出していたらしかった。
「ぉぉおー……飛んだっすねぇ」
「人間って飛ぶんだな……あたし、初めて見た気がするわ」
「塚川モ、初メテダナ」
滅多に見られぬ光景を目の当たりにした三人は、まずは律儀に驚愕を終えてから、
「で……おたく、罪状は車両盗難と?」
「ノーヘルじゃーん。あとライトも付けてないし、スピード出し過ぎ、マジぱねーわ」
「危険運転ダナ、轢イタ。免許停止」
「大丈夫ー、りょう免許なんか持ってなーい」
ぽんぽんと飛び出す軽口を、一番小柄な少女が、してやったりという顔で受け取る。
俗にナナハンとも呼ばれる大型バイクを走らせて来たのは、真っ先に逃げ出した山田りょうであった。
何処から盗んできたものやら、滅多に見られぬ高級車両である。このご時世、傷物になっているのは仕方が無い事だが、たった今の激突事故で、その美しいフォルムは歪に加工されていた。
「で、山田さん、佐藤さん。こいつをどーしましょーかね」
「ハジメ、ドウシテ塚川呼バナイ?」
「……塚川氏も、どうします?」
今度こそ、潰れた蛙のような恰好になっている女に、迂闊に近づく者は居なかった。
一人名を呼ばれず、一番大人びた容姿で、子供のように拗ねる塚川を適当に宥め、ハジメが平常の苦労人顔で言う。佐藤は答えを待つより先に、近くの瓦礫の中から、コンクリートが欠けて鋭くなった部分を探していた。
「ちょ、ちゃんさと、止めって、ヤバいって」
「なんでだよりょーちん、良いじゃんよやり返すくらいよー」
それを、珍しく必死に止めたのが山田だった。普段はひょうひょうとしているのだが、この日はやけに真面目顔である。そういえば、女が現れた時も、随分躊躇なく逃げていた。何か有るのかと、残る三人が口を閉ざすと、
「だって、こいつは――」
「……ッヒ、ヒヒハ、ヒャッハハハハッハハハ……!」
女は、先の悪夢を連想させるように笑って体を起こした。
いい加減、少女達も驚くのに疲れた様子である。四人を代表して嘆息するのは、リーダーであるハジメの仕事らしく、
「……マジこの人T-X」
「ターミネーターじゃねえよアタシは。てめぇらガキ共じゃ知らねえんだろうが、アタシは――」
まだ痛みの残る体を引きずり、女の前まで歩いていった。
女は体を起こしているが、流石に大型二輪の直撃は答えたのか、立ち上がるまでには至らない。ゲタゲタ笑っているのは同じだが、
「――アタシはドゥ・エィ、てめえらみてえな死んでも構わねえクソガキ共を探してたんだよ」
「おいこら。また轢くぞ? りょーちんが」
「ソウダゾ、山田ガ轢クゾ」
「何タメで呼んでんのジュース買ってこいよ塚川氏」
少なくとも、この瞬間の交戦の意図は消えたらしい――そういう臭いには敏感なのが、この少女達である。凶器を振り回す代わりに、悪態を投げての牽制に留めた。
女は――エィは、鋭利な歯の間から、やけに長い舌を出して、額から流れた血を舐める。唇の周りだけを拭い終えてから、豊かな胸の間に手を差し入れた――ポケットの少ない服なのだ。
「おい。てめぇらん中で、一番、算数が出来るのは誰だ?」
「んー? りょうがねー、方程式くらいは出来るよー」
「方程式!? てめぇ、数学者か!?」
「あーはいはい山田さんちょっと引っ込んでてね失礼」
場を混ぜっ返そうとする山田を押しのけ、ハジメがエィの問いに答えて手を上げる。するとエィは、胸の間から引き出した、小さな封筒を、ハジメの手に押し付けた。
「……うっわ、酷え字」
「アタシが書いたんじゃねぇよ、日本語なんか書けねえし」
封筒を開き、ハジメは中の文章に目を通す。読みづらい文字だが、日本語で綴られた書面であった。
内容は、誰に渡したとしても通じるように、主語を『貴女』としている、所々文法がおかしな部分もあるものだ。だが、読み進むにつれて、ハジメに残った一つの目が、ぐうと絞られて、鋭さを帯びた。
「おいおいおいハジメちゃーん、あたしらそっちのけでお手紙読むとか無いんじゃなーいのー?」
「そうだよボス、ずるーい。りょう達にも読ませてー」
「あー……読んでも良いっすけど、こういう事、あんた達は面倒がらないっすかね」
書面の内容を端的に示せば、資金と装備の提供申し出であった。
銃器弾薬は言うに及ばず、防弾チョッキや軍用ブーツ、望むならばポーチやザイルまで。食糧も、多岐多用とは言わないが、携帯食料やら缶詰やらあれこれと用意できる様子であるし、毛布や衣類なども、また然りである。
無論、ただでは無い。無いのだが――提供条件は、酷く安いものであった。
「近々、パーティーみてえなものがあるんだとよ。アタシも呼ばれてんだが、厄介な蛇女が、多分出てくる。それをぶっ殺しちまって欲しいんだよ、分かるか?」
「蛇女……たまーに噂は聞くっすね……」
「あぁ? なーんだ、たったそれだけの事かよ、楽勝じゃん!」
佐藤は、端から乗り気である。退屈をしないで済むと踏めば、危険に首を突っ込むのが彼女だ。
いや――もしかすると彼女達全員、大小の違いはあれど、そういう傾向は持っているのかも知れない。
何故と、聞かなかった。条件を聞いて、殺せと言われて、躊躇う事も無かった。
「……前金、貰えるんっすよね。バギーとマシンガンと、一通りそろえて貰わないと、政府相手は無理っすよ」
そう言われた時には、女はまた、胸のふくらみの間に指を差し入れていた。よくも隠せるものだと、ハジメは呆れて息を吐く。そうして俯いた時、その視線の先に、白い粉末の入った、袋を幾つか投げ渡された。
「十倍に薄めて丁度良い。武器庫とか管理してる奴によぉ、安く売り付けて、代金代わりに銃でも何でも分捕ればいいんじゃねーの? ベトナムからこっちに、車だの銃だの、持ってくるのも面倒なんだよ……こいつなら、キロ単位で有るけどよ」
「……流行りのアレっすか。オーバードーズで良く壊れるって、評判わりーっすよ」
不平を述べながら、ハジメはそれを受け取った。
相手は裏切るとの前提で考えたとて――まず、この薬を、政府指揮下の兵士に売り捌けば、それだけである程度以上の金になる。義足を外し、哀れな難民を気取って街に入れば、合法的に冬を越すだけの装備は得られるだろう。
仮に〝蛇女〟とやらを殺しに行かないで、それで縁が切れたとして、不味い話では無い。実際に殺しに行って、それで約束の物が手に入らないとしても――別に、愉悦は満たされているだろうから、それはそれで良いのだ。
元より、利益の為に集まった四人では無かった。他に、良く生きる道が開いていなかっただけだ。彼女達に正義が有るなら、それは楽しむ事であった。
「……佐藤さん、山田さん、塚川氏。冬は街で越しましょう。反対は?」
「無えな」
「広いお部屋がいーなー、りょうが一部屋でー、ボスとちゃんさとと塚川氏で一つの二部屋ー」
「ミンナ! ミンナデ一緒ニ、同ジ部屋デ!」
秋から冬を越し、春が空に定着するまでの間――合法的に、心地良い宿は得られるかも知れない。
そう思えば、拠点に縛られる不自由も、決して悪いものではなかった。
自由は常に、少女達の胸中に有る。飽きればそこを去るだけだ。
「ヒャッハッハッハ! てめぇらやっぱりクソだ、クソガキだな! クソみてえに死ぬんだろうな、可哀想に! ヒャーッハッハッハッハハハハハ――」
日が傾いて、もう夜であった。南越の大蛙がゲタゲタと鳴く声が、乾ききった廃墟に響く。暴力に満ちた女は、暴力を楽しむ少女達を、好感情だとかそんな領域ではないものの、これでも並々ならず気に入っていたのであった。